勇者のみ (1965年の映画)

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勇者のみ』(ゆうしゃのみ、英語題:None But the Brave)は、1965年に公開された、日米合作による映画[1][2]。日本での公開日は1965年(昭和40年)1月15日[出典 1]。制作は東京映画シナトラ・エンタープライズ[出典 2]。配給は日本側が東宝[出典 3]、アメリカ側がワーナー・ブラザース[7]

制作費は360万ドル[7]。カラー、東宝スコープ[8][5](シネマスコープ[9])。上映時間は100分[出典 4]。日本における同時上映は『喜劇 駅前医院』である。

太平洋戦争中の南の孤島を舞台に、日米の兵士に芽生えた友情を描く戦争映画[1]。本作品はフランク・シナトラにとっては主演ばかりでなく、初めて映画監督として映画の演出を務めた作品である。制作費はワーナーが負担した[7]

太平洋戦争末期、戦線から外れたソロモン群島の孤島に米軍機が不時着し、島を守る日本兵と交戦状態となる[1]。両者は島唯一の井戸水を巡って対立するが、日本側指揮官の黒木中尉は負傷した兵を救うため、米軍側軍医のデニス中尉に水と食料を引き換えに助力を求め休戦する[1]。やがて両者に友情が芽生える[7]

キャスト

アメリカ側

日本側

スタッフ

特撮

孤島の全景、戦闘機の空戦、墜落する米軍機、大暴風雨などの特撮シーンは、円谷英二率いる東宝特撮スタッフが担当した[出典 8]。シナトラは、本作品の打ち合わせで東宝本社を訪れた際に『世界大戦争』(1961年)の試写を観て円谷に依頼することを決めたという[10]。円谷はハワイロケにも参加したのち、ハリウッドで資料収集も行っており、日本とは異なる南海の葉や土の色を再現するために現地で比較用の撮影を行い葉や土の現物も持ち帰っている[10]

特撮班の撮影は1964年5月に開始されたが、6月からは同年夏公開の『宇宙大怪獣ドゴラ』の撮影が入ったため一時中断し、8月5日に再開したのち同月20日にクランクアップした[10]

大津波の撮影は、特撮ステージに作った海岸線の巨大なミニチュアへ向けてスロープから大量の水を流すという一発勝負の手法がとられた[出典 9]

脚注

参考文献

外部リンク

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