山田真一 (声優)
From Wikipedia, the free encyclopedia
一番最初になりたかった職業は怪獣の着ぐるみの中に入ることだった[7]。一番好きな怪獣は『ウルトラマン』のゼットンを挙げている[8]。
その後は漫画家になる夢を持っており[9]、2010年10月18日付けのツイートでもそれを断念したわけではなくその後もその夢を持ち続けているという[10][11][12]。
青二塾東京校12期生として入塾[5]。卒業後、青二プロダクションに所属[3]。1992年に声優としてデビュー[6]。
声優デビュー後の3~4年は全然仕事をしていなかったが、転機になったのは1996年開催のアトランタオリンピックの日本テレビでの放送期間中のナレーションを務めていたことだった[6]。そこでゴールデンタイムに「山田真一」と名前が出て、TBSの昼の番組でナレーションをするなど、徐々に声をかけてもらう機会が増えていったという[6]。
人物
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(以下『ガキ使』)ではナレーションを務めているが、『ガキ使』については参加する以前から毎週録画しているぐらい好きだった[6]。マネージャーに山田からお願いしされたことがきっかけだったこと、当時の『ガキ使』のナレーターは同じ事務所に所属している真地勇志たちが担当してきたため、「ぜひ機会があればやらせてください!」と『ガキ使』に参加することになった[6]。最初に『ガキ使』でナレーションを入れたのは1998年10月に放送されたゴルフ対決[6]。その時はその後のハイテンションな感じでもなく、いたって普通だったと語る[6]。『ガキ使』では2006年に笑福亭笑瓶をオーディションするレギュラー放送の企画で誕生した「ショウヘイヘーイ」の天の声も担当しており、それを最初に担当していた時は当時のディレクターが「長いバージョン、短いバージョン、テンションの上げ下げ……」と一個一個細かく指示された[6]。山田は松本人志が「こういうシーンでこういうのを使いたいから」と事前にディレクターに伝えていたと推測している[6]。収録していた最中は正直何のことか分からず読んでいたが、オンエアを見てみていたところ「なるほど、ここで使うんだ!」と感心していた[6]。「ショウヘイヘーイ!」に至ってはレギュラー放送の7~8年後に『笑ってはいけないシリーズ』で復活して人気になったことからその時には疑問に思っても「ひとつひとつ真剣にやらなければ」と気を引き締め直していたという[6]。『ガキ使』内で1度だけ困ったことがあり、1999年に放送された「顔面悶絶!!ガキの使いブサイクカレンダー」の回で、スタッフたちが番組カレンダーに使う写真を撮るためにひどい目にあった[6]。しかし、途中で笑いが止まらなくてまともに読めなくなってしまい、ディレクターも結構怒っていたと山田は語る[6]。ナレーションで注意していることは、主役は芸人で山田はガイドであり案内役のため、「とにかく出演者の邪魔をしないこと」と語る[6]。ダウンタウン、ココリコ、月亭方正とは『ガキ使』の新年会の企画の『山-1グランプリ』の時に毎年あいさつしている[6]。その時に突っ込んだ会話はしていないが、皆も認識してくれていると語る[6]。『ガキ使』については山田にとっても青春そのもので、キャリアの半分以上携わっていた[6]。その時に死ぬまで続けたく、いまだに「日本一ナレーションしたい番組」と思っているといい、心から「ダウンタウンと『ガキ使』が存在する時代に生まれてよかった」と思っているという[6]。
趣味はスニーカー・怪獣ソフビ収集、イラスト[3]。特技は歌、サッカー[2]、ウルトラマン検定試験全国37位、宇宙人・UFO目撃談のモノマネ[3]。
高校時代のひとつ上の先輩で山田と同郷の人物に漫画家のにしむらともこがいる[13][14][15]。にしむらとは同じく美術部に所属していた[16]。
弟(7月30日[17][18] - )は兵庫県佐用郡佐用町のパン屋の「ル・プルースト」を経営している[19][20][21][22]。