増谷康紀

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本名 増谷 康紀[1]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本・北海道札幌市[1]
ますたに やすのり
増谷 康紀
プロフィール
本名 増谷 康紀[1]
性別 男性
出生地 日本の旗 日本北海道雨竜郡妹背牛町[2][3]
出身地 日本の旗 日本・北海道札幌市[1]
生年月日 (1961-07-05) 1961年7月5日(64歳)
血液型 O型[1]
職業 声優ナレーター[4][5]
事務所 青二プロダクション[6]
配偶者 あり
公式サイト 増谷 康紀|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重 170[8] cm / 61 kg
靴のサイズ 25.0[8] cm
活動
活動期間 1990年代[9] -
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

増谷 康紀(ますたに やすのり、1961年7月5日[9] - )は、日本男性声優ナレーター[4][5]北海道雨竜郡妹背牛町出生[2][3]札幌市出身[1]青二プロダクション所属[6]

小学生の頃は雨竜郡妹背牛町に住んでいた[2]

物心がつく前の小さい頃は目立ちたがりだったようで、近所にあった祖父母の家に遊びに行き、雑誌に掲載されていた替え歌などを、こたつの上にあがり歌っていたという[10]。その時は全然覚えていないが、心の奥底には人前で何かをして見せることへの喜びが残っていたかも知れないという[10]。小学・中学・高校の頃は、特に趣味も持たなかった地味な子供で、いじめもあっていたという[10]

アニメ特撮については子供の時から好きだった[11]

しかし好きなことと仕事は別と思い、北海道大学工学部精密工学卒業[1]後、声優になる前は東芝半導体事業部[1]会社員[9]として技術職をしていた[10][11]。その後、30歳を節目に「好きなことで勝負しないと勝てない」と思い、目指し方(養成所)のことが具体的に分かるなどが重なり、声優になることを決めた[11]

青二塾東京校14期生[6]。同期に神谷浩史稲田徹丹下桜豊嶋真千子らがいる。

同塾に入塾した当初、自己都合で退職する場合、職場に迷惑が掛からないよう、辞職を願い出てから1ヶ月間は担当していた仕事の引継ぎなどをする事になっていた[12]。養成所の入所オーディションを受け、合格の発表を貰ってから辞表を提出したため、1993年4月末のゴールデンウィーク前まで東芝に通っていた[12]

アルバイトとしては、1年目は台湾小料理の店をしていた[13]。その店は制服に特徴があり、デザインがほとんど、『ドラゴンボール』の亀仙流の服のようで背中に「」の一文字で、コスプレのようであったという[13]。その後、後述の通り、大学に劇団に所属していたため、その関係で回って来るアルバイトは、着ぐるみに入る仕事であった[13]。最初にしたのはハローキティの着ぐるみに入るアルバイトであった[13]戦隊ショースーツアクターも何度かしており、『太陽戦隊サンバルカン』のバルシャークをしていた[13]

アニメでの初主演は『アミテージ・ザ・サード』のロス・シリバス役となる[14]

富士見二丁目交響楽団』のドラマCDで主役の一人桐ノ院圭を演じ、そのファンの集いにて出会った桐ノ院ファンの女性と交際し結婚、その経緯について同CDフリートークにて明かしている。

アマチュア時代からニフティサーブのアニメフォーラムで「ニンジャマスター」のハンドルネームで活動していた。

人物

なかなかの美声の持ち主[14]。声優としては、多数のアニメ、ゲーム、洋画、CDドラマに出演し幅広い役柄を演じている[9][4]。一方、ナレーターとしては、多数のテレビ番組にも出演している[4]

大学生時代はアニメ研[14]、劇団に所属していた[15][16]。その時は高校時代からの同級生だった女の子が演劇が好きなだけなのだが、劇団に入団しよかようかどうか決めかねていると言うのを聞いていた[16]。その時期、その人の事を憎からず思っており、「自分が先に入って誘えば、その人も決心がつくのではないか」と考えたこと、受験で抑圧されていた反動で、勉強以外の新しい何かを始めたいと思ったためであった[10][16]。入団した後に何度が誘ったが、その女の子は、健康上の理由で入団するのを断念してしまったという[16]。その後は約4年間演劇をしていたという[10]

趣味はパソコン[6]。特技はモノマネ[1]日本漢字能力検定2級、日本語検定1級、基本情報技術者試験(旧:2種情報処理技術資格)の資格を取得している[6]

2つ違いの兄がいる[17]

出演

脚注

外部リンク

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