松本好雄

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死没 (2025-08-29) 2025年8月29日(87歳没)[3]
出身校
職業
まつもと よしお
松本 好雄
第45回京都大賞典表彰式(2010年10月10日)
生誕 (1938-01-06) 1938年1月6日[1][2]
日本の旗 日本 兵庫県明石市[2]
死没 (2025-08-29) 2025年8月29日(87歳没)[3]
出身校
職業
肩書き
配偶者 松本 和子[1]
子供 松本 好隆(長男)[1]
松本 金次(父)[6]
受賞
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松本 好雄(まつもと よしお、1938年昭和13年)1月6日 - 2025年令和7年)8月29日)は、日本実業家馬主

兵庫県明石市に本社を置く船舶用部品メーカー・株式会社きしろの代表取締役会長を務めたほか、「メイショウ」の冠名を用いる馬主として多くの競走馬を所有したことでも知られていた[7]

人物

1938年昭和13年)1月6日兵庫県明石市出身。きしろ発動機株式会社(当時)の社長であった松本金次の長男として生まれる[6]。父の経営する工場に出入りするなどして理系を志し、千葉工業大学工業経営学科に進学[5]。6年かけて同大学を卒業、卒業研究のテーマは「自動車部品プレス加工工程の短縮」であった[5]1962年(昭和37年)にきしろ発動機入社、その後取締役専務を経て[1]1972年(昭和47年)、父の急逝に伴い[5]社長に就任した[8]。その後1991年平成3年)にはきしろ発動機を株式会社きしろに社名変更、2004年(平成16年)の本社移転を経て、2009年(平成21年)に社長職を長男の好隆に譲り、代表取締役会長に就任した[8]

2025年令和7年)8月29日膵臓がんのため死去[3]87歳没。訃報は同年9月2日、きしろにより公表された[3]。同年7月中旬頃に膵臓がんが判明し、さらに多臓器への転移もあり、治療が難しいことから入院せず、自宅療養をしながら出社していたという[9]

2007年(平成19年)には紺綬褒章2010年(平成22年)には旭日小綬章を受章している[5][10]

愛棋家としても知られ、将棋の腕前はアマ六段[要出典][注釈 1]。将棋棋士の内藤國雄とは旧知の間柄。その内藤の発案に応える形で、2005年より女流棋戦『きしろ杯争奪関西女流メイショウ戦』のスポンサーとなっている。この他にも多くの趣味を有し、囲碁(二段)、ゴルフハンディキャップ8)、釣り園芸を嗜んだ[11]

清和政策研究会の会長だった森喜朗の紹介により、明石市出身の衆議院議員西村康稔の後援会長に就任した[12][13][14]

馬主活動

勝負服と冠名

松本の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主として知られる。勝負服の柄は青、桃襷、桃袖[15]であるが、これは松本が初めて所有馬を預託した調教師高橋直の師匠にあたる高木良三に所有馬を預けていた有力馬主が使用していたものであり、当人が馬主を引退したのち、松本や高木らが話し合った末に松本がこの服色を使用することとなったという経緯がある[16]。なお、現在ホッカイドウ競馬所属騎手の吉本隆記が松本の許可を得て同じ柄の勝負服を使用している[15]

冠名に用いる「メイショウ」[10]は、本人が明石市生まれであることから「石の本」に由来し[5]、また同じ発音の「名将」ともかけている[17][18]。馬主になって3年目から冠名を使うようになって以降すべての馬名に「メイショウ」が入り、例外はなかったという[17]馬名は所有頭数の多さから自身だけでは考えきれず、会社の社員や取引先の人物、知人からアイデアを募り専用のノートに記録、牧場から馬の特徴を聞き、雰囲気にあったというものをノートから選出して命名していた[17]。評判のいい良血馬などには、残しておいたとっておきの馬名を与えることもあった[17]

妻の和子、長男の好隆もともに馬主であり、勝負服はそれぞれ「桃、青襷、青袖」「青、桃襷、桃袖青一本輪」を使用[19][20]、冠名には好雄と同様に「メイショウ」を用いる。好隆は2015年メイショウスザンナクイーンステークスを制し、重賞勝ちを収めている。好雄の死去に伴い、所有馬については所有権移転の猶予期間を経て、2025年10月3日の中央競馬より好隆名義に変更され、登録服色も好雄のものを継承した。

馬主としての経歴

もともと馬好きであり、初めて買った馬券ウイルディールが勝った皐月賞、好きな騎手は高橋成忠であった[21]。大学時代、友人(「下宿のおやじさん」とも[5])に連れられ中山競馬場に皐月賞の観戦に訪れたものの、あまりの観客の多さに馬を見ることも馬券を買うこともできずにいたところ、スタンドにある馬主席が目に入ったこときっかけに、馬主への憧れを抱くようになる[17]。ただし、晩年のインタビューで松本は「最初は馬に興味はなかったんです」と語っており、馬主であった同業者と馬を共同所有したことがはじまりであったという旨を述べている[22]

1974年、日本中央競馬会に馬主登録する[5][22]。同業者の馬主から高橋直を紹介され、はじめにファイアスという牝馬を所有する[注釈 2]も同馬は未勝利に終わった[24]。それから、本業が行き詰まった馬主の所有馬を買い取るなどして所有馬の数が増えていった[22][24]

初の「メイショウ」の冠名を持つ馬はメイショウグリーンで[17]1976年1月10日には同馬で初勝利を挙げた[3]。それからは1983年にメイショウキングがカブトヤマ記念を勝ち重賞初制覇[24]1988年にメイショウエイカンが京都大賞典を勝ちグレード制導入後の重賞初制覇を果たす[22]。この京都大賞典の際、松本は経営していた会社の慰安旅行に同行し九州へ赴いていたため、現地には臨場できなかった[18]2001年メイショウドトウ宝塚記念を優勝し、GI競走初制覇を果たした[24]

2002年4月1日小林百太郎の後任として一般社団法人阪神馬主協会の会長に就任[25]2006年3月31日近藤利一に交代するまで在職した[25]。さらに2005年4月からは日本馬主協会連合会(JOA)の会長にも就任(前任は和泉信一[26]。連合会会長は2012年12月まで務め、その後は森保彦に交代したのち[26]、死去するまで名誉会長を務めた[3]

所有馬の活躍は続き、2006年メイショウサムソン皐月賞日本ダービークラシック二冠、翌2007年は同馬が天皇賞連覇、2013年にはメイショウマンボオークス秋華賞牝馬二冠を達成した。そして2025年8月23日中京3Rの2歳未勝利戦で高杉吏麒騎乗のメイショウハッケイが1着となり、個人馬主として初のJRA通算2000勝を達成した[27][注釈 3]。この時は競馬場には不在で自宅で観戦し感謝のコメントをJRAを通じて出していたが、その4日後に松本は死去[29]。個人名義では中央で2004勝、地方で1057勝を挙げ、GIレース16勝を含め重賞を106勝した[30](2025年10月1日時点)。

松本の没後、9月4日にJRAは「これまで競馬の発展にご尽力いただいたことに敬意を表し」と理由を挙げ、阪神馬主協会およびJOAの共催により、阪神競馬場に献花台・記帳台を設置することを発表(設置期間は9月6日から15日[31][32]。馬主の訃報に接しての対応としては異例のものとなった[32]9月13日の阪神競馬場の最終レース終了後には、日本騎手クラブ主催による献花式も実施された[33]。また年末の12月25日には、有馬記念の公開枠順抽選会後に執り行われたセレモニーにおいて、JRA理事長特別表彰を日本将棋連盟とともに受賞[34]。式典には好隆、武豊石橋守らが登壇した[34]

馬主としての人物

飯田祐史(左)、石橋守(右)の引退セレモニーにおける松本(中央)(2013年2月24日) 青、桃襷、桃袖の勝負服を着用し、メイショウタバルに騎乗する武豊(第172回天皇賞)
飯田祐史(左)、石橋守(右)の引退セレモニーにおける松本(中央)(2013年2月24日)
青、桃襷、桃袖の勝負服を着用し、メイショウタバルに騎乗する武豊(第172回天皇賞

北海道の牧場関係者や関西の厩舎関係者からは、尊敬と親しみを込めて「メイショウさん」と呼ばれており[24]三嶋牧場を中心に結成された「三愛会」という名の松本を囲む会もあるという[22][35]。また、馬に対して情熱を注ぐ理由を松本は「なかなか勝てないから」と語っており、勝つことが難しいゆえに勝利の喜びが大きいということを強調している[24]

騎手の起用は調教師に一任する方針を採る[24]。ただし2007年、メイショウサムソンの凱旋門賞挑戦に際しては敢えて鞍上を石橋守から武豊に替えさせた[36]その際松本は石橋と武を呼んで「今回ばかりは私のわがままを聞いてほしい」と石橋に了解を求めたという[要出典]。その後、2010年代には武豊や武幸四郎を本格的に自身の競走馬の主戦騎手に据えるようになった[37]

座右の銘は、「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」[38]

主な所有馬

GI級競走優勝馬

重賞競走優勝馬

獲得賞金順一覧

馬名性別生年戦数勝数賞金
メイショウサムソン 2003 27 9 10億6594万9000円
メイショウドトウ 1996 27 10 9億2133万4000円
メイショウハリオ[注釈 4] 2017 32 10 6億6630万5000円
メイショウバトラー 2000 50 14 6億0843万3000円
メイショウボーラー 2001 29 7 4億6672万4000円
メイショウトウコン 2002 41 9 4億3763万0000円
メイショウマンボ 2010 10 6 4億3519万5000円
メイショウアムール 1991 53 11 3億9329万9000円
メイショウダッサイ 2013 36 10 3億8494万6000円
メイショウカイドウ 1999 43 11 3億5698万4000円
メイショウオウドウ 1995 27 6 3億3297万7000円
メイショウモトナリ 1994 32 7 2億9579万7000円
メイショウレグナム 1988 59 7 2億7508万9000円
メイショウベルーガ 2005 30 7 2億6749万8000円
メイショウビトリア 1987 39 6 2億5312万1000円
メイショウワカシオ 1994 59 7 2億3733万7000円
メイショウホムラ 1988 25 10 2億3441万5000円
メイショウキオウ 1997 38 7 2億1922万5000円
メイショウユウシ[注釈 5] 1991 69 9 2億1205万9000円
メイショウスミトモ 2011 70 8 2億1275万0000円

※獲得賞金が2億円以上の、既に登録が抹消された馬について記載。

ギャラリー

主な表彰馬

JRA賞
メイショウサムソン(2006年)
メイショウマンボ(2013年)
メイショウダッサイ(2020年)
メイショウサムソン(2007年)

馬主として成し遂げた主な記録

脚注

参考文献

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