2003年9月下旬、走馬楼街の東側で戦国時代から明清にかけての古井戸十数か所を発見した。そのうち深さ10.4mの8号古井を11月に発掘し、内部から大量の竹木片と簡牘を出土した。この古井戸の場所はかつて走馬楼呉簡が発見された地点から95mのところである。
簡文中に「四年二月乙未朔」から「九年十一月丁酉朔」の紀年が含まれていることから、紀元前125年から紀元前120年の年号に符合し、漢の武帝時代初期の遺物であることが確認された。この地域では劉発の子の劉庸が長沙王として君臨していた。これらの簡牘はその当時の公文書にあたるもので、内容の大部分は司法文書である。これによって当時の訴訟制度や法制改革、上計制度[注釈 1]、あるいは交通上の郵駅制度[注釈 2]などの研究に裨益すると思われる。張家山漢簡とあわせれば、漢代の司法制度をより理解できると期待されている。