北の宿から
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歌詞
- 140万枚を超える売り上げを記録し、都にとっては「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」に続いて3曲目のミリオンセラーシングルとなった。1990年時点での売上は145万枚[2]。
- 1975年の『第26回NHK紅白歌合戦』と翌1976年の『第27回NHK紅白歌合戦』で歌唱されている。
- 第7回日本歌謡大賞および第18回日本レコード大賞の大賞を受賞した。日本レコード大賞と日本有線大賞のダブル受賞は史上初の快挙であった。
作詞者の阿久悠は都の元気の良さを生かそうと考え、『野郎』というタイトルの詞を作ったが不採用になり、急遽イメージを転換して本曲を書いた。「別れた男性のセーターを編む」というのは別れに決着をつける儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というイメージで作詞した[3]。
「演歌撲滅運動」なるキャンペーンを提唱した淡谷のり子は本曲を名指しで批判した。阿久は「僕は強い女を書いたつもりだったのに、怖い女あるいは悲しい女を描いたと受けとられた」と述懐している[4]。
都が音楽番組で歌唱する際は「大サビ」としてサビの部分をリフレインし、音程を上げて歌うパターンが多く披露されていた(レコード音源にはそのようなパートはない)。
旋律
フレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第1番の第1楽章のピアノ独奏部分の冒頭部との類似が指摘されている。作曲者の小林亜星はこの曲を元に作曲したわけではない、と述べている[5]。ショパンは1849年に亡くなっており、同曲が発表された1975年時点ではピアノ協奏曲の著作権は消滅していた。小林は後に懇意のヴァイオリニスト、天満敦子のためにこの曲のヴァイオリン編曲版を発表している。
チャートアクション
- オリコンシングルチャートの1976年の年間第3位、1977年の年間11位を獲得した[1]。オリコンシングルチャート史上100曲目の週間1位作品でもある。初登場時は83位だったが、発売約1か月後に『第26回NHK紅白歌合戦』で歌われ、約半年後にはトップ10にランクイン。年末の音楽賞レースの影響で44週目(1976年12月6日付)に1位を獲得した。この到達週記録は2003年に中島みゆきの「地上の星/ヘッドライト・テールライト」に破られるまで1位であった。その後12月20日付から1977年1月10日付まで3週連続で1位を記録している[1]。