名鉄3700系電車 (初代)
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| 名鉄3700系電車(初代) 国鉄63系割り当て車 | |
|---|---|
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モ3700形3709-ク2700形2709 | |
| 基本情報 | |
| 運用者 | 名古屋鉄道 |
| 製造所 | 日本車輌製造・川崎車輌・汽車製造・近畿車輛[1][2] |
| 製造年 | 1946年 - 1947年[3] |
| 製造数 | 20両[3] |
| 運用開始 | 1946年(昭和21年)12月[3] |
| 運用終了 | 1949年(昭和24年)4月[1] |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 2両編成 |
| 軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
| 電気方式 | 直流1,500 V(架空電車線方式) |
| 車両定員 | 159人(座席52人) |
| 自重 | 42.0 t |
| 全長 | 20,000 mm |
| 全幅 | 2,930 mm |
| 全高 | 4,200 mm |
| 車体 | 半鋼製 |
| 台車 | TR25A |
| 主電動機 | 直流直巻電動機 MT30 |
| 主電動機出力 | 128 kW |
| 搭載数 | 4基 / 両 |
| 駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
| 歯車比 | 2.87 (66:23) |
| 定格速度 | 56 km/h(全界磁時) |
| 制御方式 | 電空カム軸式間接自動加速制御 |
| 制御装置 | CS5 |
| 制動装置 | AMA-RE電磁自動空気ブレーキ |
| 備考 | 主要諸元はモ3700形のデータを示す[4][5]。 |
名鉄3700系電車(めいてつ3700けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が太平洋戦争終戦直後の混乱期に相当する1946年(昭和21年)から翌1947年(昭和22年)にかけて、当時の運輸省より国鉄63系電車の割当を受け、導入した電車である。
車体長20 m級4扉仕様の大型車体を備える3700系電車は、名鉄が従来保有した各形式と比較して約40 %収容力が増大し[3]、名古屋鉄道発行の社史『名古屋鉄道社史』において「終戦直後の混乱期において輸送難緩和に非常に役立った[3]」と評された。しかしその一方で、大型車体が原因となって運用区間が限定され、運用上の制約が大きかったことから[1][6]、1948年(昭和23年)から翌1949年(昭和24年)にかけて全車が他事業者へ譲渡され、導入から約3年で形式消滅した[6]。
以下、本項においては3700系電車を「本系列」と記述する。
名鉄においては、太平洋戦争中の空襲などによって被災した戦災車両は全在籍車両の約25 %に相当する119両にのぼった[7]。また戦中の酷使などに起因する整備不良車も相当数存在し、車両故障発生による列車の運休が頻発、場合によっては半日以上にわたって運休が続くという状態であった[7]。その一方で終戦後の復員輸送需要や都市部の食糧不足により郊外へ物資の買出しに向かう利用客によって利用客数は爆発的に増加し[7]、各列車とも車内に乗り切れなかった客が車両の屋根部や連結面、果ては連結器上部へに座り込むなど、殺人的と評されるほどの激しい混雑状況を呈した[7]。さらには終戦後のモラル低下から側窓や客用扉を蹴破って無理矢理乗車する客も多数存在し[7]、資材不足からそれらの修復もままならないなど、車両事情は極めて深刻な状況に陥っていた[7]。加えて、終戦直後の混乱期という時節柄、車両の新製に関しては厳しい制限が課されており、鉄道事業者独自の車両製造発注による輸送力改善は事実上不可能であった[3]。
そのような状況は名鉄のみならず、日本全国の大手・中小私鉄を問わず全ての鉄道事業者に共通するものであった[8]。この緊急事態への対策として、運輸省内に設置された鉄道軌道統制会の主導により、国鉄(当時の運輸通信省鉄道総局)が戦中に戦時設計によって設計・製造した63系電車を大都市圏の大手私鉄向けにも増備し、導入することが計画された[8]。また、割当の対象となった鉄道事業者に対しては、導入条件として各事業者が従来保有した車両のうち一定数を中小私鉄へ譲渡することを義務付けており[9]、大手私鉄の救済のみならず中小私鉄の輸送事情の改善も目的とした政策であった[9]。
上記経緯により、1945年(昭和20年)度下半期および1946年(昭和21年)度予算によって運輸省が発注・製造した63系電車合計490両のうち[10]、モハ63形116両が落成後に割当対象の各事業者へ供給された[10]。このうち名鉄へ割り当てられた20両が[1]、制御電動車モ3700形(初代)3701 - 3710および制御車ク2700形(初代)2701 - 2710として導入された[1][* 1]。
なお、本系列導入の代替措置として、名鉄からはモ100形(初代)・モ450形など従来車各形式合計12両が中小私鉄への供出対象となり[12]、蒲原鉄道・熊本電気鉄道など各事業者へ譲渡された[12][* 2]。
仕様
モ3700形・ク2700形とも国鉄63系電車の原設計に忠実に製造されており、その外観・仕様は国鉄向けに新製された車両と同一である[3]。車体長19,500 mm・車体幅2,800 mmの車体寸法[4]はいずれも当時の名鉄に在籍する各形式中最大であり、特に車体幅は地方私鉄法に基く規定にて定められた最大幅2,744 mmを超過していたことから、導入に際して特別認可を得ている[1]。
主要機器もまた63系電車の原設計に沿ったものを採用、MT30主電動機(端子電圧675 V時定格出力128 kW、同定格回転数770 rpm[14])・CS5電空カム軸式自動加速制御装置・TR25A台車・AMA-RE電磁自動空気ブレーキ・PS13菱形パンタグラフなど国鉄制式機器で占められている[4]。
ただし、63系電車においては運転台側および連結面側の両側妻面とも連結器を密着連結器としていたのに対して、本系列では運転台側妻面のみ並形自動連結器を採用し[3][4][* 3]、また63系電車の特徴の一つである妻面幕板部の大型通風口は埋込撤去された[3]。
車体塗装は国鉄車並みの茶色1色塗装とされ[15]、当時名鉄に在籍する車両の標準塗装がダークグリーン1色塗装とされていた中にあっては特異な存在であった[15]。