呂青
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生涯
秦末の反乱において呂青は息子の呂臣と共に項梁に帰順した。その後、楚の懐王(後の義帝)に仕え、呂臣は司徒に、呂青は令尹に任命された。呂青と呂臣の親子は再興された楚の朝廷で高位に就き、左尹の項伯、上柱国の陳嬰、後に柱国を務めた共敖らと共に、懐王政権の中枢を構成した。
高祖5年(紀元前202年)、楚漢戦争が項羽の死によって終結すると、呂青は西楚の左令尹の身分で劉邦に帰順した。
高祖6年(紀元前201年)、正月壬子の日、新陽侯に封ぜられ、食邑1,000戸を領した。その功績は陳嬰と同等と評価され、『漢書』の功臣列侯の中では第81位に序せられている。
恵帝4年(紀元前191年)、侯位10年で死去し、呂臣が新陽侯の爵位を継承した。