梅鋗

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梅 鋗(ばい けん、生没年不詳)は、中国末から前漢にかけての将軍長沙王呉芮に仕えた。

紀元前209年の秦末の反乱において、梅鋗は番陽県令の呉芮に従って挙兵し、呉芮軍の将軍を務めた。

劉邦南陽郡を平定した後、西進を続け、各地を降伏させて丹水に到達した。この時、高武侯の鰓や王陵も劉邦軍に加わり、西陵や湖陽を陥落させた。梅鋗もここに到着し、劉邦軍と連合して析や酈などを共同で攻略した。最終的に武関を陥落させ、劉邦が真っ先に咸陽に入城する貢献を果たした。

その後、項羽が秦を滅亡させると、項羽自ら功績があった18人を諸侯王として分封した(項羽十八諸侯)。呉芮は百越の民衆を率いて諸侯軍を支援し、さらに項羽に従って関中に入った功績から、衡山王に封じられた。梅鋗は呉芮の麾下の将領として圧倒的な功績を挙げたため、100,000戸の領地を封与され、列侯の爵位を賜った。その具体的な封地と侯の名称は史書に記録されていない。100,000戸は呂不韋などに比肩するほどの食邑戸数であり、梅鋗の功績の大きさが窺える。

楚漢戦争では呉芮が項羽によって衡山王を剥奪され、番君に降格されると、呉芮に従って漢に与した。

漢王朝成立後、劉邦は梅鋗が自分に従って共に秦を降した多大な功績を考慮し、これによって呉芮も厚遇されて長沙王に封ぜられた。

民間伝承

脚注

参考文献

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