応璩
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略歴
応璩は、博学好文で知られ、書記を善くした。曹丕・曹叡のときには散騎常侍となり、曹芳が即位して暫くしてから、侍中・大将軍長史となった。時に曹爽が専断を行い、法に多く違反するようになると、応璩は、詩をもってそれを風刺したという。その詩は広く伝わり、文選にも、百一詩をはじめとした応璩の著作が撰録されている。後に侍中として復帰し、著作を司ったとある。劉知幾の『史通』古今正史篇には、魏の国史である『魏書』の編纂にも参画したと名前が残っている。
嘉平4年(252年)に没し、衛尉を追贈されている。
若い頃、人相見の朱建平に占ってもらったことがあった。朱建平は、「君は62歳の頃に常伯[注 1]になりますが、その時災厄があります。その一年前に、あなただけに白い犬が一匹見えるでしょう。他の人には見えません」といった。応璩は61歳で侍中となり、省内に詰めていた時に突然白い犬を見たが、他の人は誰も見ていなかった。それからは集会を開いたり、旅行して田畑を見て回ったり、宴会を催して楽しんだ。朱建平に告げられた寿命を一年過ぎて、63歳で死去したという。
脚注
- 周の時代、王の側近の官職。転じて、皇帝に近侍する侍中・散騎常侍などを指した。