顧承 From Wikipedia, the free encyclopedia 顧 承(こ しょう、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将。字は子直[1]。顧邵の子。生母は陸氏(陸遜・陸瑁の姉妹)。兄に顧譚がいる。妻は張温の妹。 生涯 嘉禾年間、母の兄弟の陸瑁と倶に礼を以て徴された。騎都尉・呉郡西部都尉などを務め、山越討伐の戦功により昭義中郎将、さらに侍中・奮威将軍を歴任した[1]。 孫権の後継者をめぐって二宮事件が起きると、孫覇派の全琮父子による讒言を受けて、兄の顧譚・張休・姚信らとともに交州へ流罪となった。37歳で死去した[1]。 家系図 顧奉 顧雍 顧邵 顧譚 顧承 顧裕(顧穆) 顧禺 顧済 顧栄 顧毗 顧徽[ft 1] 顧裕 顧向 顧悌[ft 2] 顧彦 顧礼 顧謙 顧秘 顧参[ft 3] 顧寿[ft 4] 顧衆[ft 5] 顧昌 顧会 顧容 顧相 顧和[ft 6] 顧淳 [1]三国志巻52裴注に呉書を引いて曰く「雍母弟徽」とある。 [2]三国志巻52裴注に呉書を引いて曰く「雍族人悌」とある。 [3]晋書巻57に「秘子参」とある。 [4]晋書巻57に「参弟壽」、晋書巻76に「衆兄壽」とある。 [5]晋書巻76に「驃騎将軍栄之族弟也」とある。 [6]晋書巻83に「侍中衆之族子也」とある。 脚注 [1]『中国の思想』刊行委員会 編『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、110頁。 Related Articles