呂乂
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劉備は入蜀後、塩と鉄の専売で利益を得るため塩府校尉を設置した。塩府校尉となった王連は、呂乂を杜祺・劉幹とともに招聘し典曹都尉に任命した。
その後、呂乂は新都・綿竹の県令を経て、巴西・漢中・広漢・蜀郡の太守を歴任した。後方にあって物資や人員を前線に送り、諸葛亮の北伐を支えた。また、任地の行政は善政と呼べるものであったため、住民から慕われた。
後に中央に召されて尚書となり、延熙9年(246年)に没した董允に代わって尚書令に任命された。職務を滞りなく行い、門の前で人が待つようなことはなかった。贅沢はせず、清廉・謙虚で言葉は少なく、仕事は簡明で煩雑さがなかったので、清能と称された。しかし、法に厳格で法律至上の俗吏を好んで任用したため、以前より評判を落とした。
延熙14年(251年)に死去した。