菊間駅
From Wikipedia, the free encyclopedia
年表
かつては一部の急行列車が停車しており、1988(昭和63)年4月ダイヤ改正時点では、下り「うわじま」1号と「いよ」3号が停車していた(上りは全列車通過)[5]。
菊間駅は港が近く、面積1400㎡、貯炭能力3000トンの鉄道用燃料貯炭場が設置された。開通一年前の1924(大正13)年6月には神戸の業者がすでに菊間町と交渉を進め、同年11月末には内定。町では貯炭場となる265坪に対し、坪3円の補償を決定し、港の拡張工事などにも取り組んだ。配炭所には遍照院の裏まで引き込み線を新設し、300坪を充て、15坪の事務所兼宿舎も建築した。石炭は、九州の宮尾より伊予石炭合資会社が購入し、後には松山機関区へ毎月1000~1500トン、西条機関区へは毎月800トンを無蓋貨車にて配給していた[6]。
菊間瓦の海上輸送を担った海運業者が、貯炭場の開設に伴い石炭輸送の大型船に転向、海運業がは飛躍した。鉄道輸送による菊間瓦の販路の拡大も大きく、その後、1935(昭和10)年、鉄道省は西四国と中国を結ぶ連絡航路を計画。その航路として菊間~仁方が内定した。しかし、その後の松山・今治の誘致運動に破れ、戦時体制突入により、この計画は変更され、仁堀連絡船(仁堀航路)として営業を開始した。航路開設後に備え旅館の営業許可を受けた家が多く、現在も町の規模や地理的位置の割には比較的多い[7]。
- 1925(大正14)年6月21日:鉄道省によって開設[3]。
- 1950(昭和25)年3月18日:昭和天皇のお召し列車が5分間停車。駅前奉迎が行われた(昭和天皇の戦後巡幸)[8]。
- 1971(昭和46)年11月8日:貨物取扱廃止[3]。
- 1985(昭和60)年3月14日:荷物扱い廃止[3]。駅員無配置駅となる[9]。
- 1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる[3]。
- 1988(昭和63)年3月:駅員を再配置し、有人駅となる[10]。
- 1990(平成2)年11月21日:土日祝日の駅員配置を取止め[11]。
- 2010(平成22)年10月1日:再度無人化[4][12]。
駅構造
駅周辺
- 瓦のふるさと公園
- 旧菊間町は四国の瓦の発祥の地。そのアピールのため、1997年に菊間駅のすぐ南の小さな山が「瓦のふるさと公園」として整備された。山の上に出来た時計台には「瓦の町」の文字が刻まれ、夜はライトアップされる。駅からも見える、菊間のシンボルとなっている。
- かわら館(同公園内)
- 「瓦のふるさと公園」の開園と同時に瓦制作を体験出来る「かわら館」がオープンした。駅から徒歩3分。
- 遍照院(新四国曼荼羅霊場 第42番札所)
- 歌仙の滝
- 今治市役所菊間支所
- 国道196号
- 愛媛県道168号菊間停車場線
- 太陽石油四国事業所
- 今治市立菊間小学校
- 今治市立菊間中学校
- 菊間港
- 今治市役所菊間支所(2025年4月)
