豊原放送局
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前史
1925年(大正14年)、大阪朝日新聞社が実施した試験放送(放送機は社団法人大阪放送局から借用)を大泊無線局で受信し同社に祝電を送ったところ、翌日の放送でこれが取り上げられ局員を感激させた。しかし、日本本土(内地)からの放送を受信するには高価な高級受信機(ラジオ)が必要で、一般には普及しなかった。
1928年(昭和3年)6月、日本放送協会札幌放送局・仙台放送局の両放送局が放送を開始すると、受信状態が改善され聴取者が増加した。さらに、1933年10月、豊原にラジオ相談所が開設され、受信機の修理も可能になった。
樺太庁でも放送事業の研究に着手し、放送施設の建設費を昭和11年度の予算に計上したが、予算は不成立に終わり計画は頓挫した。このため、樺太庁は方針を転換し、官民一致して放送局の開設を日本放送協会と逓信大臣に請願することになった。これが功を奏し、日本放送協会は1938年(昭和13年)に豊原放送局の開設を決定した[2]。第二次近衛内閣のもと日中戦争の中で政府は情報宣伝政策を強化、満州・朝鮮・中国等も含め外地にも広大な国策放送宣伝のネットワークを作ろうとし、1941年夏になると陸軍省が積極的となり、設立を急がされた[3]。
沿革
- 1936年(昭和11年)8月 - 札幌中央放送局、樺太庁始政30回記念樺太拓殖共進会会場(豊原)に臨時の放送局を開設(呼出符号JDAK)、ニュースや場内の実況中継などを放送するとともに、豊原付近の電波感度を調査
- 1937年(昭和12年) - 日本放送協会、豊原市の豊原公園内に局舎建設用地を選定
- 1938年(昭和13年) - 日本放送協会、豊原放送局の開設を決定
- 1940年(昭和15年)5月 - 日本放送協会、豊原放送局の工事に着手
- 1941年(昭和16年)11月21日 - 豊原放送局の放送施設許可(呼出符号JDAK、出力1kW)
- 1941年(昭和16年)11月21日 - 試験電波発射(出力1kW)
- 1941年(昭和16年)12月8日 - 太平洋戦争開戦の臨時ニュースにより、緊急に仮放送開始
- 1941年(昭和16年)12月26日 - 正式に放送開始(出力50W)開局式典が催され、豊原高等女学校の生徒が合唱を行った[3]
- 1942年(昭和17年)3月21日 - 電波管制のため電力線切替え有線放送に変更(50W)
- 1943年(昭和18年)12月1日 - 豊原放送局に札幌中央放送局豊原分室を設置
- 1944年(昭和19年)12月 - 大泊と真岡で電灯線利用の有線放送開始
- 1945年(昭和20年)8月15日 - 終戦の詔勅(玉音放送)を放送
- 1945年(昭和20年)8月23日 - ソ連軍の進駐により放送停止。最後の放送は、ソ連軍の命による「各家庭のラジオを豊原駅前に持参すること。命に服さない者は厳罰に処する」というものであった[1]。
- ソ連軍が彼らの通信用無線機を取付け開始。
- 1945年(昭和20年)8月28日 - ソ連軍により局舎接収
- 1945年(昭和20年)9月11日 - 社宅の一部を明渡しさせられる[1]。
