近鉄460系電車
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戦後奈良線系統の木造車は全体の13%を占めており、保守に関して現場から不満の声が挙がっていた。このうちモ261形・ク101形・モ250形の3形式27両は車齢的に台枠・機器類などの流用が可能であり、1955年ごろになると鋼体化技術が進み木造車時代と同等の重量で鋼体化できると判明したことから、外板のみの簡易鋼体化を行い継続使用することになった[1][2]。それにより1954年から1957年にかけてできたのが本系列である。改造元となった車両との番号対照は下記の通り[3][4]。
- モニ261形モニ261 - 264 → モ460形モ461 - 464
- モ261形モ275・266 - 274・265 → モ460形モ465 - 475
- モ250形モ252 - 257・251 → モ460形モ476 - 482
- ク101形ク101 - 105 → サ300形サ301 - 305
改造は全車とも近畿車輛(近車)である[2]。1954 - 1955年に改造された[3]モ466 - 475・サ301 - 305を1次車、1955年に改造された[3]モ461 - 465を2次車、1957年に改造されたモ476 - 482を3次車とする[5]。
車体
15 m級の半鋼製車体を持つ3扉車であり[6]、種車の都合から1・2次車と3次車で車体の長さがわずかに異なる(1・2次車が15,230 mm、3次車が15,361 mm)[5]。モ460形は1次車と2・3次車で前面形状が異なり、1次車がHゴム支持2枚窓の非貫通形[注 1]、2・3次車が3枚窓の貫通形で[2]、どちらも片運転台車となっている[1][6][7]。運転台の向きは、奇数車が奈良向き、偶数車が大阪向きである[5]。サ300形は切妻車体で両貫通である[2][6]。なお、木造車時代に取り付けられていたトラス棒は全車とも撤去されている[1]。鋼体の各部材などにプレス物・室内天井部にアルミ板を使用するなど軽量化に努めた結果、モ260形時代の28.8 tからモ460形の29.4 tとほとんど車重を増すことなく鋼体化に成功している[1]。室内灯は1・2次車が白熱灯であったが、3次車は蛍光灯となっている[1][5]。なお、1次車は窓枠・側扉も流用されたが、2・3次車ではすべて新製されている[3]。パンタグラフはモ460形に搭載しており、製造当初は全て連結面側に搭載されたが、[5]1次車のうち、467・473・475・477については1965年ごろに運転台側に移設された[5]。
主要機器
改番・改造
1963年には車内灯が白熱灯のままだった1・2次車において室内灯の蛍光灯化が放送装置設置と併設で実施された[5]。また同じ年にはモ461・モ462・モ463の3両に台車交換を実施し、モ461の台車は近車製のKD-40に、モ462・463は同じく近車製のKD-46に交換された[7][8][5]。
1964年にモ460形の1次車2両が制御車に改造されク360形となり、モ660形とペアで大和鉄道(現:田原本線)に貸し出された。改造元との対照は下記の通り[1][2]。
- モ460形モ469・471 → ク360形ク361・362
1966年にはさらに4両が改造されたが、こちらは3次車からの改造で貫通形であることからク370形とされた。こちらはモ600形と4両編成を組み京都線で使用されている[1][2][3][8]。
- モ460形モ476・478・480・482 → ク370形371 - 374
また、1965年にはモ467・473・475・477の4両について、パンタグラフを連結面寄りから運転台寄りに移設している[5]。