近鉄モ5820形電車
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 近鉄モ5820形電車 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 運用者 | 近畿日本鉄道 |
| 種車 | クニ5421形 |
| 改造所 | 近畿日本工機 |
| 改造年 | 1960年 |
| 改造数 | 2編成4両 |
| 廃車 | 1983年 |
| 投入先 | 南大阪・吉野線 → 養老線 |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 2両編成 |
| 軌間 | 1,067 mm |
| 電気方式 | 直流1500 V |
| 全長 | 17,860 mm |
| 台車 | D-16 |
| 主電動機 | WH-556-J6 |
| 主電動機出力 | 75 kW × 4 |
| 駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
| 制御方式 | 抵抗制御 |
| 制御装置 | 日立製作所製MMC-HT10A |
| 制動装置 | AMA自動空気ブレーキ |
近鉄モ5820形電車(きんてつモ5820がたでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)が1960年に南大阪線・吉野線の特急列車用に導入した電車である。有料特急「かもしか」号の特急車として、伊勢電気鉄道承継車のモニ6231形(旧・デハニ231形)を電装解除したクニ5421形からの改造により2編成4両が登場した。
南大阪線と接続する吉野線沿線には吉野、大峰山、大台ケ原などの観光地があり、観光輸送の増強が図られることになった[1]。1950年代の南大阪線系統では特急列車の設定がなく、1959年8月より一般車のモ5800形5805・5806を使用した快速「かもしか」号が大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間に不定期で運転されていた[1]。この「かもしか」号の特急列車格上げ用の車両として、名古屋線用車両の車体と南大阪線用車両の機器類を組み合わせて内装を特急車仕様としたモ5820形が1960年に登場した[2]。
改造種車は伊勢電気鉄道が1930年にデハニ231形として導入した車両で、1941年の関西急行鉄道成立時にモニ6231形へ改称、近鉄成立後の1958年に電装品を6441系に流用して電装解除されクニ5421形となっていた[3]。このうち伊勢線・養老線に転用されていたクニ5421 - 5424の4両が再電装化されて南大阪線・吉野線特急用のモ5820形5821 - 5824に改造されている[3]。
編成は阿倍野橋方から奇数車・偶数車の2両編成である。改造は古市検車区に併設されていた古市工場内の近畿日本工機(後の近鉄車両エンジニアリング)で施工された[4]。
構造
再電動車化、座席のオールクロスシート化、内装更新などの改造が行われた。
車体
車体は伊勢電気鉄道承継車のモニ6231形(旧・デハニ231形)を電装解除したクニ5421形からの改造である。従来の荷物室と荷物用扉は撤去され、乗務員扉が新設された[5]。
車両長さは17,860 mm、幅は2,743 mm、高さはパンタグラフ搭載車が4,186 mm、パンタグラフ非搭載車が3,728 mmとなっている[4]。側面の客用扉は片開き2扉で扉幅は1,000 mm、妻面窓は運転台窓、車掌台窓、非運転台窓ともHゴム支持となり、非運転台側の貫通路にも貫通扉が設けられた[4]。塗装は上部がオレンジ、下部が紺色の特急色である[4]。
車内の座席はオールクロスシートに変更され、車端部の一部の固定式を除いて転換クロスシートとされた[4]。内装はアルミデコラ化されたが、車販準備室やトイレなどの設備は設けられていない[2]。
主要機器
台車は名古屋線の標準軌化で捻出された狭軌用イコライザー台車のD-16形が搭載された[2]。駆動方式は吊り掛け駆動方式である。主電動機はモ5621形5621 - 5624からウェスティングハウス・エレクトリック製のWH-556-J6(出力75 kW)が流用されており、流用元の5621 - 5624の車体は高松琴平電気鉄道へ譲渡され同社の20形(3代)となった。
主制御器は日立製作所製のMMC-HT10Aが新製され、1C8M方式の2両ユニットとされた[4]。パンタグラフはS-514-A形を奇数車の非運転台側に1基搭載する[4]。
運用
「かもしか」号は1960年2月15日よりモ5820形を使用した有料特急に格上げされたが、利用状況から1961年9月21日のダイヤ改正で料金不要の快速に格下げされた[1]。快速格下げ時点で「かもしか」号の大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の所要時間は1時間19分であった[1]。
1965年3月18日に運行を開始した吉野特急には本格的な特急車として16000系が新製投入され、モ5820形は予備車的存在となった[3]。その後のモ5820形は臨時特急・一般急行・団体列車に使用された[4]が、1970年11月29日の「かもしか」号さよなら運転をもって南大阪線での運用を終了し、養老線へ転属した[2]。
養老線への転属後も車内は転換クロスシートで残された[6]。塗装は当初は特急色を維持していたが、1971年に一般車と同じマルーン単色に変更された[4]。1974年には主電動機がモ6601形から流用のWH-586-JP5(出力127 kW)に、台車も同じくモ6601形から流用のボールドウィン形に換装されている[4]。
老朽化と養老線車両の大型車への置き換えに伴い、1980年に5823・5824が、1983年に5821・5822が廃車され、いずれも塩浜工場で解体された[2]。