ルパート・キーガン

From Wikipedia, the free encyclopedia

ルパート・キーガン
Rupert Keegan
ルパート・キーガン
1978年モナコGP
英語版
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 イングランドの旗 イングランド
エセックス州ウエストクリフ=オン=シー英語版
生年月日 (1955-02-26) 1955年2月26日
死没地 イタリアの旗 イタリア
トスカーナ州エルバ島
没年月日 (2024-09-23) 2024年9月23日(69歳没)
F1での経歴
活動時期 1977,1978,1980,1982
所属チーム '77 ヘスケス
'78 サーティース
'80 RAM (ウィリアムズ)
'82 マーチ
出走回数 37 (25スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1977年スペインGP
最終戦 1982年ラスベガスGP
英国F1経歴
活動時期 1979英語版
レース数 13
タイトル 1 (1979)
優勝回数 5
表彰台(3位以内)回数 6
通算獲得ポイント 65
ポールポジション 5
ファステストラップ 4
テンプレートを表示

ルパート・キーガンRupert Keegan, 1955年2月26日 - 2024年9月23日)は、イギリスエセックス出身の元レーシングドライバーフォーミュラ1に1977年から1982年にかけて参戦していた[1]。1976年のイギリス・フォーミュラ3選手権チャンピオン。

キーガンがドライブしたヘスケス・308E。

1977年、ヘスケスからF1世界選手権へデビュー。同年の最高位はオーストリアGPの7位で、結果的にF1キャリアのベストリザルトであった。

1978年はサーティースへ移籍するも完走は1戦のみと低調で、シーズン終了を待たずしてチームを離脱する。

1979年は世界選手権から離れ、イギリス国内の英国F1選手権に参戦。シリーズチャンピオンを獲得する。

1980年は世界選手権のシーズン半ばにRAMから復帰するも入賞は叶わなかった。

1982年、マーチ・グランプリからシーズン終盤の5戦に参戦。フランスGP限りで離脱したヨッヘン・マスの後任であった。同チームはRAMの実質的な後継であり、1970~92年にかけて断続的に参戦したマーチ・エンジニアリングとは別組織のプライベイトチームである。チームの規模は当時のF1で最も小さく[2][3]、完走は最終戦のラスベガスGPのみで、トップから3周遅れの12位を記録した。これがキーガンにとって最後のF1出走であった。

2024年9月23日、イタリアエルバ島の自宅で死去。69歳没[4][5]

レース戦績

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI