偶像に犠牲を捧げるヤロブアム
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| フランス語: Jéroboam sacrifiant aux idoles 英語: Jeroboam Sacrificing to Idols | |
| 作者 | ジャン・オノレ・フラゴナール |
|---|---|
| 製作年 | 1752年 |
| 素材 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 111 cm × 143 cm (44 in × 56 in) |
| 所蔵 | 芸術アカデミー、パリ |
『偶像に生贄を捧げるヤロブアム』(ぐうぞうにいけにえささげるヤロブアム、仏: Jéroboam sacrifiant aux idoles、英: Jeroboam Sacrificing to Idols)は、18世紀フランス・ロココ期の巨匠ジャン・オノレ・フラゴナールがキャンバス上に油彩で制作した歴史画である[1]。この絵画により、20歳になったばかりのフラゴナールは1752年8月26日に名誉あるローマ賞を受賞した。彼が王立絵画彫刻アカデミーで通常の訓練を受けていなかったため、この「早熟な勝利」はなおさら驚くべきことであった[2]。作品のサイズは、縦111.5センチ、横143.5センチである。その後、アカデミーに所蔵されていたが、フランス革命時にアカデミーが廃止され、現在は芸術アカデミーに所蔵されている[3]。

主題はローマ賞選考会員により選択されたもので、『旧約聖書』中の「列王記」 ( 12:26-30, 13:1-5) にある異例であるが劇的な逸話を扱っている。この主題は、フラゴナールがすでにフランソワ・ブーシェの工房で描いていたパストラル (牧歌) 的恋愛、戯れ、官能的神話の軽やかな場面とはかけ離れたものであった。本作に描かれているのは、右側の白いターバンをしたヤロブアム1世が異教の偶像に犠牲を捧げようとする瞬間であり、左側にいる名前が特定されていない預言者が介入しようとしている[4]。
ヤロブアム王は、ベテルの祭壇に向かって呼びかける神の人の言葉を聞くと、祭壇から手を伸ばして、「その男を捕らえよ」と命じたが、その人に向かって伸ばした彼の手は萎えて戻すことができなかった。 神の人が主の言葉に従って与えたしるしが実現して、祭壇は裂け、その祭壇から脂肪の灰が散った[5][6]。
ちなみに、外国人の妻の影響で「偶像に犠牲を捧げるソロモン王」の主題の方が「偶像に犠牲を捧げるヤロブアム」より人気があった[7]が、それは男性を支配する「女性の力」を表す一群の絵画に属していた。
様式
フラゴナールは、自身の本来のやわらかな様式を歴史画の要請に適合させた。それは、師のブーシェよりも今や指導を仰ぐことになったシャルル=アンドレ・ヴァン・ローや、1752年1月にローマで死去した在ローマ・フランス・アカデミーの会長ジャン=フランソワ・ド・トロワの様式により近いものであった[8]。
赤外線写真の図像では、とりわけ画面中央の割れた祭壇に数多くのペンティメントが明らかになっている。聖書の記述にある「灰が散った」という部分は、フラゴナールにとって視覚化するのに試練となり、明らかに大変な苦労をしたのである[9]。