宮間あや
From Wikipedia, the free encyclopedia
| |||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
| |||||||||||||||||||||||
| 名前 | |||||||||||||||||||||||
| 愛称 | あや | ||||||||||||||||||||||
| カタカナ | ミヤマ アヤ | ||||||||||||||||||||||
| ラテン文字 | MIYAMA Aya | ||||||||||||||||||||||
| 基本情報 | |||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
| ||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1985年1月28日(41歳) | ||||||||||||||||||||||
| 出身地 | 千葉県大網白里市 | ||||||||||||||||||||||
| 身長 | 157cm | ||||||||||||||||||||||
| 体重 | 50kg | ||||||||||||||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||||||||||||||
| ポジション | MF | ||||||||||||||||||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||||||||||||||||||
| ユース | |||||||||||||||||||||||
| フッチボールSurf | |||||||||||||||||||||||
| 読売メニーナ | |||||||||||||||||||||||
| クラブ1 | |||||||||||||||||||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||||||||||||||
| 1999-2000 |
/日テレ・ベレーザ | 6 | (2) | ||||||||||||||||||||
| 2001-2008 |
| 110 | (62) | ||||||||||||||||||||
| 2009 |
| 20 | (0) | ||||||||||||||||||||
| 2009 |
→ | 6 | (1) | ||||||||||||||||||||
| 2010 |
| 5 | (0) | ||||||||||||||||||||
| 2010 |
| 17 | (1) | ||||||||||||||||||||
| 2010-2016 |
| 122 | (48) | ||||||||||||||||||||
| 通算 | 286 | (114) | |||||||||||||||||||||
| 代表歴2 | |||||||||||||||||||||||
| 2003-2016 |
| 162 | (38) | ||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月23日現在。 2. 2016年3月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||||||||||||||||||
宮間 あや(みやま あや、1985年1月28日 - )は、千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)出身の元女子サッカー選手。元日本女子代表(なでしこジャパン)。ポジションはミッドフィールダー。千葉県立幕張総合高等学校出身。なでしこジャパンでは主将を務めた経歴も持つ。
幼少期・ユース
1985年1月28日、宮間文夫(現・大網白里市市議会議員)の次女として生まれる。父は、習志野高校時代にサッカー部に所属し[1]、高校3年次に読売サッカークラブの練習に参加した経験を持つ。その父が作ったチームである“ フッチボール Surf ”で、大網白里町立白里小学校1年の時からサッカーを始める。
小学校5年生の時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」に応募して、親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験し[2]、日本サッカー協会から派遣されていた元日本女子代表の本田美登里と出会う。この時、宮間らボールを追う15名の少女たちを見て、本田は指導者の道を目指すことを決意する[3]。
小学校6年生の時、中学1年の男子チームのメンバーとして県大会・地区予選に特例として出場。決勝戦では延長戦の末、自身がVゴールを決め優勝を果たした。この決勝戦で、監督である父からかけられた「自分以外の仲間のためにプレーしろ」という言葉を今でも鮮明に覚えているとする宮間は、「初めてチーム一丸となってサッカーの試合を戦った」と当時を振り返っている[4]。宮間のサッカーの技量は、小学生の時すでに、対戦した大谷秀和が「あとで聞くまで、女子とは思っていなかった」と振り返る[5] ほどになっていた。
また、小学生の時にはテレビ番組の収録で澤穂希や小野寺志保たちとサッカーをする機会があり、将来の日本代表入りを期待する言葉をかけられるなど、当時から期待を集めていた[6][注釈 1]。
クラブ
読売メニーナに所属し、1999年にはNTVベレーザへの昇格を果たすが、チームの方針に疑問を持ったこと[7]や、自宅から練習場までの所要時間などが負担となり、幕張総合高校2年生の時に退団。
宮間が進学した幕張総合高校では、八千代高校で羽生直剛らを育てた今泉守正が男子サッカー部を率いていた。今泉は、宮間をただ1人の女子部員として、このサッカー部に迎え入れる。しかし、当時男子チームへの女子の登録は認められていなかったので宮間は公式試合に出られず、そのままでは日本女子代表への招集の機会も逸してしまいかねないジレンマに陥った。
- 岡山湯郷Belle
2001年に、本田美登里が率いる岡山湯郷Belleに第一期生として入団[8]。高校時代は、金曜日の放課後に岡山に移動し、日曜の試合後に千葉へ帰るという生活をしていた[8]。卒業後も、岡山県美作市の温泉旅館「季譜の里」で清掃のアルバイトをしながら岡山でのプレーを続け、2008年(平成20年)までチームの主力選手として活躍した[8][9]。
2003年、リーグで敢闘賞を受賞した。
2004年、リーグで17得点を挙げて2部リーグ得点女王と最優秀選手に輝き、翌シーズンの1部昇格の原動力となった。
2007年の日本女子サッカーリーグでは、ベストイレブンと特別表彰「サポーターが選ぶMVP」を受賞した[10]。
- アメリカ移籍 (WPS)
2009年に発足した米国WPSのロサンゼルス・ソルに移籍[11]。開幕戦でリーグ創設初得点をアシスト。シーズン通算でもリーグトップタイの6アシストを記録したほか、チーム内で唯一全試合フルタイム出場を果たす[12] など、チームのレギュラーシーズン1位獲得(プレーオフ決勝で敗れて優勝は逃す)に貢献。さらにWPSオールスターズにも選出され、スウェーデンの強豪クラブチーム・ウメオIKとのオールスターゲームに出場した。シーズン終了後の9月には、前所属先の岡山湯郷に一時復帰(レンタル移籍)した。
2010年2月、ロサンゼルス・ソルのWPSからの撤退に伴い実施された分散ドラフトでセントルイス・アスレティカに移籍したが、このチームが資金難の為にシーズン序盤で WPS から脱退。再び行われた分配ドラフトで、この年 WPS に新規加入したアトランタ・ビートに再移籍した。この在米時代に、ホープ・ソロ、アビー・ワンバック、カミーユ・アビリー、カリーナ・ルブランらと交流を持った。
- 岡山湯郷Belle (2010年-2016年)
2010年、WPSシーズン終了後の9月に古巣の岡山湯郷に完全移籍した。
2011年11月には3年ぶりになでしこリーグベストイレブンに選出された[13]。
2014年シーズン、なでしこリーグのレギュラーシリーズで岡山湯郷Belleが優勝を果たした[14]。
2016年11月5日、契約満了に伴い、所属する岡山湯郷を退団[15]。後述の通り、事実上の引退であった。
- 岡山湯郷Belle退団後
2016年の岡山湯郷Belle退団後、宮間は表舞台から姿を消し、どこのチームにも所属しない一方で、自らの去就について明らかにすることもなかった。
2018年12月9日、FIFA女子ワールドカップフランス2019の組み合わせ抽選会のドローアシスタントを務めた[16][17]。
同年6月5日に行われた、FIFA女子ワールドカップ フランス2019 公式記念コイン記者発表会の配布資料に記載された宮間のプロフィールに「2016年度のシーズンを最後に現役を引退」と記されていることが明らかになった[18]。イベント主催者も宮間サイドに「引退していたのは事実」であることを確認しているという[19]。
2022年5月14日、WEリーグ初の国立競技場の試合で、澤穂希と共にキックインセレモニーを務めた[20]。
2023年2月25日、東京で開催されたW杯トロフィーツアーイベントに参加し[21]、翌日はU-12世代の選手の第6回東京FA会長杯少女ミニサッカー大会にトロフィーと共にサプライズで参加[22]、日本サッカーミュージアムの休館トークイベントトークイベント「未来へのパス」にも参加した[23]。
同年3月、うるま市で開催された女子サッカー国際交流イベントに参加し、U-16日本代表選手らと交流をした[24]。
上記のような各種イベント参加の他、FIFA公式サイト「FIFA.com」を含む各種媒体へのインタビュー[25] や子ども向けのサッカー教室[26] などで、サッカーに関わる活動を続けている。
同年8月20日、2023 FIFA女子ワールドカップ・決勝の選手入場前のトロフィープレゼンターを務めた[27]。
2025年3月、日本サッカー協会女子委員会委員長補佐に就任[28]。
代表
2003年に日本代表に招集され、同年のFIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。翌2004年のU-19アジア女子選手権では主将を務めた。 2004年に大橋浩司が代表監督に就任すると当初はサブとして、後にレギュラーとして試合に出場。最終的には大橋監督在任中に全試合に出場することになった。2007年9月11日、FIFA女子ワールドカップ・中国大会のイングランド戦(中国上海虹口足球場)では、直接フリーキックにより2得点を記録した[29]。
- FIFA 女子ワールドカップ ドイツ大会
2011年には、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会に出場。フリーキックで決勝点を決めた初戦のニュージーランド戦と、準決勝のスウェーデン戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチを獲得した。
決勝のアメリカ戦では、1ゴール1アシストを記録。先制点を入れられるも、後半の残り少ない時間にゴール前のこぼれ球を押し込んだ。延長戦でも1点のリードを許していた残り時間4分のところで、コーナーキックで澤による同点ゴールをアシストした。優勝の行方はPK戦に持ち込まれ、日本の1人目としてキッカーを務め成功。4人目の熊谷紗希がPKを決めて日本優勝が決定した瞬間、対戦相手のアメリカ選手たちに歩み寄り敬意を表した。この時、ホープ・ソロからは「セントルイス・アスレティカの練習のときでも、わたしからあんなに点取れなかったくせに、なんでこんなときだけ、アヤは決めるの?」と冗談交じりに言われた一方で「日本が大震災で大変なときに、こんなに大きなことを成し遂げたんだから、もっと喜んでいいんじゃないの」と労われたという[4]。大会通算では、2ゴール4アシストの活躍で日本の初優勝に大きく貢献し、大会オールスターチームにも選出された。
この活躍を受け、同年8月10日に岡山県から岡山県県民栄誉賞[30]、8月17日には千葉県から千葉県県民栄誉賞を受賞[31][32]。8月18日、なでしこジャパンの同僚とともに、国民栄誉賞を受賞。
9月1日、ロンドン・オリンピック(2012年)の予選初戦で、タイ相手に後半から出場、勝利に貢献した[33] 。
11月15日、なでしこジャパンの同僚とともに紫綬褒章[34][35]、11月23日、アジアサッカー連盟の2011年度女子年間最優秀選手賞[36] を受賞。
2011年のFIFA最優秀選手賞(FIFAバロンドール)選考委員会において、宮間が12.18%のポイントを獲得し4位に入った[37]。なお、各国代表の主将や監督及びサッカー専門記者の投票により同賞を獲得した澤穂希自身は、宮間に1票を投じた[38]。
- 2012年
2012年2月10日、監督の佐々木則夫から、澤の後任としてチーム主将に指名され[39]、ポルトガル南部で行われるアルガルヴェ・カップ2012[40] に臨んだ。佐々木は、なでしこジャパンにおける宮間の役割を、こう述べている。「宮間はサッカーに対する情熱も理論もチーム屈指であり、プレーでも言葉でもチームを勇気づけることができる。仲間思いで、気配りも隅々まで行き届いている。宮間は、キャプテンという肩書が加わったからといって、みんなに対する態度を変えたりはしなかった。自分だけが特別なのではなく、『みんなで一つのチーム』というスタンスで、今もチームメイトに接している」[41]。また、宮間自身は「みんなが自分を出せる雰囲気をつくっていけたら」と抱負を語った[8]。
決勝進出をかけた第3戦アメリカ戦は、途中出場した高瀬愛実にコーナーキックでボールを送り、米国への歴史的な勝利(1勝4分21敗)を演出した。大会MVPを獲得した[42]。優勝を逸したことに関しては「自分の力不足」[43] とし、「自分たちの足元を見つめ直すいい機会になったと思う」[44] と述べた。
- ロンドン・オリンピック
2012年8月7日に行われた準決勝戦において、フリーキックによって2ゴールの起点を作り、フランスへの勝利を決定した[45]。フランスのGKを誘い出したフリーキックは、「ぶれ球ならGKのキャッチミスかDFのヘディングミスが起きる」 [46] と見越した末に選んだプレーだった。試合後、決勝戦で対決する米国の代表的メディアの一つNBCニュースは、在米時代の同僚だった仏代表のカミーユ・アビリーを宮間が慰める写真を掲げ、「優れたスポーツ選手でありながら真のスポーツマンシップをも見せた」[47] と称えた。
アメリカとの決勝戦を終えた後の談話で、「チーム一丸となってやり切れたことを誇りに思っている。結果は銀だったが、お互いを信じてやってこられた。みんなに感謝している」と同僚への感謝を口にした[48]。
オリンピックでの銀メダル獲得を受け、同年8月13日、岡山県から2度目の岡山県県民栄誉賞を受賞[30]。
同年11月29日、2年連続2回目のAFC年間最優秀選手(女子)に選出された[49]。
- 2014年
2014年5月、ベトナムで開催された2014 AFC女子アジアカップではアジアカップ初優勝を達成し、大会MVPを受賞した[50]。
- 2015年
カナダで開催された2015 FIFA女子ワールドカップに、主将として出場。決勝こそアメリカに2-5と大敗したが、チームの大黒柱として準優勝に大きく貢献した。
- 2016年
2016年、リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選の日本代表メンバーに選出されたが、チームは予選3位となり五輪出場権を逃した[51][52]。
所属クラブ
ユース
シニア
- 1999年 - 2000年
NTVベレーザ/日テレ・ベレーザ - 2001年 - 2008年
岡山湯郷Belle - 2009年
ロサンゼルス・ソル
- 2009年9月 - 2010年2月
岡山湯郷Belle(レンタル移籍)
- 2009年9月 - 2010年2月
- 2010年
セントルイス・アスレティカ - 2010年
アトランタ・ビート - 2010年10月 - 2016年
岡山湯郷Belle
人物
- 「とても才能あるサッカー選手。技術面でとても優れていて、 卓越した試合運びで良いパスを通し、身のこなしが素早いのです。足を止めた時がとりわけ脅威で、彼女がつぎにどう動くかわからないのです。彼女は自分の思うところに自在にボールを打つことができます。彼女がプレーしているのを見るのは楽しみです … 対戦相手の時でなければの話ですが!」[53] - イングランド代表ケリー・スミス
- 「両足で蹴れるし、キックの精度が高い。セットプレーでは、自分はボールに体をあてるだけでいい」[54] と澤穂希が評する、キッカーとしての卓越した能力から、日本女子代表の試合の場合、フリーキックやコーナーキックを任されることが多い。また右利きでありながら左足でも遜色のない精度で蹴れるため、コーナーキックはどちらのサイドかによって、フリーキックではゴールへの角度によって両足を使い分けて蹴っている。
- 「彼女は小学5年生の時から『世界一になる』って言っていたんですが、それが冗談に聞こえませんでした。そして、一緒に生活するうちに、『この子は、とんでもないことをやっちゃう子なんじゃないか』と思うようになったんです」[55] … 恩師である本田美登里の言葉。
- 「これまでもサッカーは楽しいと思ってきたが、宮間とのコンビはさらに楽しい。自分のプレーを分かってくれていることが大きい」[54] … なでしこジャパンの元主将・澤穂希の言葉。
- 「私は同点でいい、と思っていた。あの一言で、最後まで諦めない気持ちになれた」[56] … 2011年W杯で同点打を決めた後、宮間に「澤さん、あと1点で勝てるよ」と声を掛けられた澤穂希の言葉。
- 「(宮間)あやは、W杯優勝後と一番難しい時期にキャプテンになった。それだけにいろいろ大変だったと思います」[57] … ロンドン五輪で米国への敗戦後、最初に抱き合った同僚・岩清水梓が語った言葉。
- 「『サッカーが好きで、この環境を自分が選んだんだから』と決して弱音は吐かなかった。試合中の苦しい時間帯に自分を犠牲にしてでもチームのために頑張る。コーチから厳しいことを言われ落ち込んだチームメートに声を掛けていた」[8] … 幕張総合高時代のサッカー部長で、U-20サッカー日本女子代表当時の監督でもあった今泉守正の言葉
- 大網白里市の歌手・ヨーデル渡辺によって、宮間の応援歌『海を越えて』が作られた[58]。また、ロック歌手で元なでしこリーグ選手の石田美穂子によって、宮間の応援歌『君という花』が作られた[59]。
- 2016年の現役引退に際して理由等を一切語ることはなかったが、2025年の日本サッカー協会女子委員長補佐就任に際して東洋経済オンラインのインタビューに応じ、引退の理由として、宮間が理想としてきた『死ぬほど頑張らないと勝てない』『何かを犠牲にしなければ人を感動させることはできない、応援してもらうに値しない』サッカーへの姿勢が、時代や社会情勢の変化で合わなくなってきた(宮間曰く『自分が理想とするサッカーは、もうこの時代にはない』)ことを理由として述べた。また、引退そのものに未練はなかったものの、引退直後は生きる目標を見失い(本人曰く「絶望でしかなかった」)、家に引きこもる生活が数ヶ月続いたという[60]。
個人成績
タイトル・表彰
代表
日本女子代表
- FIFA女子ワールドカップ:1回 (2011)
- アジア競技大会:1回 (2010)
- AFC女子アジアカップ:1回 (2014)
- 東アジアサッカー選手権:2回 (2008、2010)
クラブ
岡山湯郷Belle
- なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ 1部) レギュラーシリーズ優勝:1回 (2014)
- L・リーグ2部(日本女子サッカーリーグ 2部) 優勝:1回 (2004)
個人
- 敢闘賞:1回 (2003)
- 最優秀選手:L・リーグ2部 (L2) (2004)
- ベストイレブン:6回 (2007、2008、2011、2012、2013、2014)
- 特別賞 (2015)
- 特別表彰「サポーターが選ぶMVP」:2回 (2007、2008)
- アジア年間最優秀選手賞:3回 (2011、2012、2015)
- アルガルヴェ・カップ 大会最優秀選手:1回 (2012)
- AFC女子アジアカップ 大会最優秀選手:1回 (2014)
- FIFA女子ワールドカップ ブロンズボール:1回 (2015)
- FIFPro ベストイレブン:1回 (2015)
表彰
- 国民栄誉賞(2011年、2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表の一員として)
- 紫綬褒章(2011年、同上)
- 岡山県県民栄誉賞(2011年、2012年)
- 千葉県県民栄誉賞(2011年)