阪口夢穂

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愛称 みずほ、みーちゃん
カタカナ サカグチ ミズホ
ラテン文字 SAKAGUCHI Mizuho
国籍 日本の旗 日本
阪口 夢穂
名前
愛称 みずほ、みーちゃん
カタカナ サカグチ ミズホ
ラテン文字 SAKAGUCHI Mizuho
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-10-15) 1987年10月15日(38歳)
出身地 大阪府堺市(現・堺市北区
身長 165cm
体重 56kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
下野池JSC
サウスフリーウィンドFC
200?-2004 ラガッツァ高槻スペランツァ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 日本の旗 スペランツァF.C.高槻 21 (7)
2005 日本の旗 FC VITORIA - (-)
2006-2008 日本の旗 TASAKIペルーレFC 56 (15)
2009 アメリカ合衆国の旗 FCインディアナ英語版 2 (1)
2010-2011 日本の旗 アルビレックス新潟レディース 28 (10)
2012-2020 日本の旗 日テレ・ベレーザ 125 (42)
2021-2022 日本の旗 大宮アルディージャVENTUS 4 (0)
通算 236 (75)
代表歴2
2006-2018  日本 124 (29)
獲得メダル
女子サッカー
女子W杯
2011 ドイツ
2015 カナダ
オリンピック
2012 ロンドン女子
1. 国内リーグ戦に限る。2022年5月22日現在。
2. 2018年4月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

阪口 夢穂(さかぐち みずほ、1987年10月15日 - )は、大阪府堺市(現・堺市北区)出身[1]の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。ポジションはミッドフィールダー。実兄はchaqqのドラム担当の阪口憂也。

ユース時代〜クラブ時代

堺市立五箇荘東小学校堺市立五箇荘中学校[2]大阪府立東百舌鳥高等学校[3]。7歳から下野池少年サッカースクールでサッカーを始め、サウスフリーウィンドFCを経て、スペランツァFC大阪高槻の下部組織であったラガッツァFC高槻スペランツァに入団。

2003年、ラガッツァ所属のままトップチームのスペランツァにも登録され、5月11日に行われたL・リーグ開幕戦 (対戦相手: 田崎ペルーレ)に先発出場。第2節の伊賀FCくノ一戦で初ゴールをあげるなど9試合に出場した。同年度のU-18大阪府選抜に選出されて全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会に出場した (決勝戦で静岡県選抜に破れ、準優勝の成績で同大会を終えた)。

2004年7月11日、宝塚バニーズレディースサッカークラブ戦でハットトリックを記録した。

ラガッツァFC高槻の選手およびスタッフがスペランツァから独立し、FC VITORIAを設立した際、阪口もそれに追随する形でスペランツァを離れた。

2006年、なでしこリーグTASAKIペルーレFCに入団。リーグ戦では加入初年度からレギュラーとして試合に出場した。なでしこスーパーカップ (対戦相手: 日テレ・ベレーザ) でも後半途中から出場機会を得た。

2006年12月、第28回全日本女子サッカー選手権大会・準決勝浦和レッドダイヤモンズ・レディース戦においてPK戦まで試合がもつれ込んだ際に急遽ゴールキーパーを務め、3連続セーブの好守を見せ同試合の勝利に貢献した[4]

2008年限りで所属クラブのTASAKIペルーレが休部[5]

2009年、アメリカUSL WリーグFCインディアナ英語版へ移籍した[6]。Wリーグの開幕戦では1得点1アシストとチームの勝利に貢献したが[7]、男子チームとの練習中に左膝の前十字靭帯を断裂する大怪我を負い、全2試合の出場にとどまった[8]

2010年、アルビレックス新潟レディースの選手として日本復帰することとなった[9]

2012年、日テレ・ベレーザへ移籍[10][11]、プロ契約選手となった[12][13]。同年12月、練習中に右膝半月板を損傷し、全治約2カ月の診断を受けた[14]

2015年11月、日テレ・ベレーザは5年ぶりのリーグ優勝を果たし、自身初の最優秀選手賞に選出された[15][16]

2017年シーズン、日テレ・ベレーザのなでしこリーグ3連覇に貢献し、史上初となる3年連続での最優秀選手賞を受賞した[17][18]

2018年4月28日に行われたなでしこリーグ第3節アルビレックス新潟レディース戦で右膝を負傷し、右膝の前十字靭帯と内側半月板の損傷で全治6~8ヶ月と診断された[19]

2021年1月29日、2021シーズンよりWEリーグ大宮アルディージャVENTUSへの完全移籍が発表された[20][21]。2022年6月29日、退団が発表された[22]

2023年4月9日、自身のTwitterで現役引退を発表した[23]

日本代表

2001年9月清水ナショナルトレーニングセンター(J-Step)で行われたU-16日本女子ユース選抜候補に招集され、トレーニングキャンプに参加した[24]

2003年1月、U-18日本女子代表候補トレーニングキャンプに招集された[25]

2005年1月、U-19日本女子代表候補トレーニングキャンプに招集され、その後はU-18日本女子代表チームの一員として試合に出場。

2006年1月、なでしこジャパン候補トレーニングキャンプメンバーに初招集された。同年7月、AFC女子アジアカップに出場する日本代表メンバーに選出され[26]、A代表初招集となった。代表デビュー戦となった7月19日のベトナム戦で、後半から出場し2得点を挙げた[27]

2007年、FIFA女子ワールドカップ 中国大会の日本代表メンバーに選出されたが、出場機会を得ることはできなかった[28]

2008年の北京オリンピック直前に当時の代表監督であった佐々木則夫により、長年コンビを組むことになる澤穂希と一緒にボランチへとコンバートされた[29][30]。この大会ではグループリーグ・決勝トーナメントの全試合に先発出場し、日本は4位で大会を終えた[31]

2011年7月、FIFA女子ワールドカップ ドイツ大会ではボランチとして全試合スタメン出場し、日本のワールドカップ初優勝に貢献した。決勝アメリカ戦は延長でも決着が付かずPK戦にもつれ込み、阪口は日本の3番目のキッカーとしてPKを決めた[32]

2012年、ロンドンオリンピックでは全試合に出場し、準決勝フランス戦で2点目となるゴールを決めるなど銀メダル獲得に貢献した[33]

2015年、女子W杯カナダ大会の決勝トーナメント1回戦オランダ戦で1ゴールを挙げ、チームの2-1の勝利に貢献した[34]。後半33分、相手ゴール前で大儀見のヒールパス、宮間の折り返しを岩渕がスルーし阪口が左足で決めたこのゴールは、FIFAによる大会最優秀ゴールの候補にもなり[35]、海外メディアからも絶賛された[36]

2016年、リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選の日本代表メンバーに選出されたが、チームは予選3位となり五輪出場権を逃した[37][38]。同年4月、佐々木則夫に替わり高倉麻子が代表監督に就任してからは、背番号10番を背負うことになった[39]

2018年4月、ヨルダンで行われた2018 AFC女子アジアカップ2019 FIFA女子ワールドカップ予選)のグループリーグ第3戦オーストラリア戦で後半18分に先制となるゴールを決め、試合は最終的に1-1で引き分けたが、規定により5位までに与えられる2019年フランス大会の出場権を獲得した[40]

引退後

現役引退後は帰郷し、実兄が代表取締役を務める家業の融星運輸株式会社に入社した。2023年10月、運転手業務に専念する実兄に代わり同社の代表取締役に就任した[41][42]

現役時代の2020年に運行管理者の資格を取得、以後家業に必要な大型自動車免許けん引免許・乙種第4類危険物取扱者はじめ行政書士宅地建物取引士ファイナンシャルプランナー2級など各種資格を取得した。家業の傍ら、サッカー・資格関連の講演等も積極的にこなしている[43][44][45][46]

所属クラブ

個人成績

タイトル・表彰

主なメディア出演

脚注

外部リンク

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