島田舜也
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プロ入り前
幼少期はサッカーに魅了されていたが、4歳上の兄に憧れていたこともあり、小学校入学前より野球を始める[2]。中学時代は横浜泉中央ボーイズに所属した[3]。
進学した木更津総合高等学校では、1学年上にのちにDeNAで再びチームメートとなる篠木健太郎がおり、1年秋より寮で同部屋となり生活した[2]。この時、篠木より「チームの中心がコケたらチームがコケる」との言葉をもらったという[4]。甲子園出場はなし[2]。
東洋大学では、1年春の中央大学との試合で初登板したが、サヨナラ打を浴びた。2年春では1部昇格に貢献したが、チームは秋に再度2部降格となった[5]。3年春は6試合に登板して3勝、防御率1.34と結果を残すも[6]、同リーグ戦後に参加した大学日本代表選考合宿で、「投球がアバウトではよくない」と痛感したという[5]。3年秋に東都大学リーグ2部で8試合に登板して5勝1敗、防御率0.64の成績で、最高殊勲選手、最優秀投手、最優秀防御率の3つのタイトルを獲得し、チームの1部昇格に大きく貢献した[4][7]。しかし1部昇格した4年春の開幕直後は、「ポテンシャルと気持ちだけで投げていた」と語るように、ドラフトに対する重圧もあって試合になかなか集中できず、開幕戦で先発するも3回4失点、翌日の試合でサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど振るわなかった[5]。その時家族から「あんなピッチングしていたらドラフト1位はないよ」という言葉をもらったことや[8]、兄から「マウンドで楽しめていないんじゃないか」と指摘されたことなどを受け、「マウンドに上がったら明るくいよう」と決め、以降は復調[5]。次の4月17日の國學院大學との試合で9回2失点完投と修正し、1部リーグで初勝利を挙げた[8]。その後、春は先発で敗戦投手になることはなかった[5]。同年の日米大学野球選手権大会の代表に選出されたが、コンディション不良のため辞退した[9]。その後の4年秋のリーグ戦でも、初登板で6回途中4失点と振るわなかったが、次の登板で9回1失点完投勝利を果たす修正力を見せた[10]。
2025年のドラフト会議にて、地元球団でもある横浜DeNAベイスターズからドラフト2位で指名を受けた[7]。なお、このドラフトで同期の宮下朝陽もDeNAから3位指名を受けており、また同じく同期の花田旭も中日ドラゴンズよりドラフト6位で指名を受けた[11]。11月25日に入団交渉に臨み、契約金7000万円、推定年俸1200万円で入団に合意した[1]。背番号は15[12]。
横浜DeNA時代
選手としての特徴
人物
詳細情報
背番号
- 15(2026年[12] - )