恩根内駅
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年表
当駅は利用が僅少であるとして、一度は2021年(令和3年)3月での廃止が計画されていたが[新聞 1]、地元住民の運動により、美深町が維持管理費用を負担して存続していた[新聞 2][新聞 3]。しかし、2024年(令和6年)3月のダイヤ改正で廃止された[JR北 1][新聞 4][3]。

- 1911年(明治44年)11月3日:鉄道院天塩線名寄駅 - 当駅間開業に伴い開設[4][5]。一般駅[1]。
- 1912年(大正元年)11月5日:当駅 - 音威子府駅間延伸開業[6]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道に移管。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取り扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1993年(平成5年)12月:現在の駅舎(待合室)が落成[8][10][11]。
- 2019年(令和元年)12月3日:JR北海道が沿線自治体に対し、宗谷本線活性化推進協議会を通じて当駅含む宗谷本線の29駅[注釈 1]について、自治体による維持管理もしくは費用負担による存続か、2021年(令和3年)3月での廃止かの方針を2020年3月までに報告するよう要請[新聞 8]。
- 美深町は以前から光熱費や管理費など毎年約50万円を支出しており、駅を存続させる場合にはJR北海道の試算でさらに年間204万円が必要とされた[新聞 9]。
- 2020年(令和2年)
- 3月25日:同日までに美深町が当駅の廃止を容認[新聞 10][新聞 11][新聞 12][新聞 13]。路線バスやスクールバスで代替するとし[新聞 12][新聞 13]、2021年(令和3年)3月のダイヤ改正時の廃止を予定[新聞 1][新聞 12][新聞 13]。
- 4月:美深町が地元住民に対し、「線路が国道40号とほぼ並行しており、バス転換はさほど難しくはない」として、当駅ほか対象4駅[注釈 2]を全て廃止する意向を説明[新聞 14]。
- 6月3日:恩根内自治会が「高校生の通学利用が見込まれる」ことを理由として存続要望書を提出[新聞 9][新聞 14][新聞 15][新聞 16]。
- 7月16日:美深町長山口信夫が恩根内自治会役員と会談[新聞 9][新聞 14][新聞 16]。
- 7月22日:美深町議会全員協議会が駅存続を了承し、町として存続の方針が決まる[新聞 9][新聞 14][新聞 16]。
- 2021年(令和3年)4月:美深町による維持管理に移行[新聞 2][JR北 2][新聞 3]。恩根内自治会が駅待合室の市街地側とホーム側に「恩」のプレートを掲示[12]。プレートは地域イベントで身にまとっていた黄色い法被の背面にデザインされている「恩」をモチーフに制作した[12]。
- 2023年(令和5年)7月:恩根内自治会が同年実施した存廃についての住民アンケートを基に、同月までに当駅の廃止を容認する旨を、美深町に伝える[新聞 18][新聞 17]。
- 2024年(令和6年)
駅名の由来
当駅の所在する地域名(字名)より。地域名は当駅から見て天塩川対岸の小川のアイヌ語名、「オンネナイ(onne-nay)」〔年取った(←親なる)・川〕に由来する[13]。
駅構造
1面1線の単式ホームを持っていた地上駅。無人駅。構内は千鳥配置の相対式2面2線のホームであったが、無人化に伴って駅舎ホーム側への棒線化が行われた[8]。また、手押し式の転車台も設けられ、1960年代まで残存した[8]。このほか、かつて林業が盛んだった頃は、近隣の駅と同様に周辺の山林から切り出された木材の出荷駅としての役割も持ち、稚内方面に向かって左側に木造駅舎とその横の稚内側に荷物積卸場、駅舎と反対側の名寄寄りに貨物積卸場が設けられ、客扱い用に、荷物積卸場へは稚内側から引込線、ホーム外側には貨物積卸用の副本線を有した。
駅舎は有人時代の木造駅舎が解体された後、車掌車改造のものを経て、1993年(平成5年)12月[11]に現在の駅舎(美深町所有[10])となっていた[8]。
- ホーム(2017年10月)
- 駅名標(2017年10月)
利用状況
乗車人員の推移は以下の通り。出典元が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで1日平均乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1911年(明治44年) | 13,893 | (38.0) | [14] | ||
| 1915年(大正5年) | 11,421 | (31.2) | |||
| 1937年(昭和12年) | 22,229 | (60.7) | |||
| 1948年(昭和23年) | 50,704 | (138.9) | |||
| 1958年(昭和33年) | 76,922 | (210.7) | |||
| 1968年(昭和43年) | 56,566 | (155.0) | |||
| 1978年(昭和53年) | 74.0 | [15] | |||
| 2015年(平成27年) | 「10名以下」 | [JR北 3] | |||
| 2016年(平成28年) | 2.8 | [JR北 4] | |||
| 2017年(平成29年) | 2.2 | [JR北 5] | |||
| 2018年(平成30年) | 1.6 | [JR北 6] | |||
| 2019年(令和元年) | 0.8 | [JR北 7] | |||
| 2020年(令和2年) | 0.2 | [JR北 8] | |||
| 2021年(令和3年) | 0.0 | [JR北 9] | |||
| 2022年(令和4年) | 0.0 | [JR北 10] | |||
| 2023年(令和5年) | 0.2 | [JR北 11] | |||
