徳満駅
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| 徳満駅 | |
|---|---|
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駅舎(2017年10月) | |
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とくみつ Tokumitsu | |
![]() | |
| 所在地 | 北海道天塩郡豊富町字徳満 |
| 駅番号 | ○W75 |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | ■宗谷本線 |
| キロ程 | 220.9 km(旭川起点) |
| 電報略号 | トツ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
2人/日 -2014年- |
| 開業年月日 | 1926年(大正15年)9月25日[1] |
| 廃止年月日 | 2021年(令和3年)3月13日[JR北 1][JR北 2][新聞 1] |
| 備考 | 無人駅 |
徳満駅(とくみつえき)は、かつて北海道天塩郡豊富町字徳満にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲121845[2]。駅番号はW75。
年表

- 1926年(大正15年)9月25日:鉄道省天塩線の駅として開業[3][4]。一般駅[1]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1][4]。
- 2016年(平成28年)3月26日:同日のダイヤ改正に伴う普通列車の減便で幌延駅 - 稚内駅間の普通列車が5往復から3往復となり、全普通列車が停車するようになる。それ以前は、夜間の上り普通列車が通過した。
- 2019年(令和元年)12月3日:JR北海道が沿線自治体に対し、宗谷本線活性化推進協議会を通じて当駅含む29駅[注 1]について、自治体による維持管理もしくは費用負担による存続か、2021年(令和3年)3月での廃止かの方針を2020年3月までに報告するよう要請[新聞 3]
- 2021年(令和3年)3月13日:利用者減少とダイヤ改正に伴い、廃止[JR北 1][JR北 2][新聞 1]。
駅名の由来
かつて豊富町の豊富市街から徳満にかけては現在のエベコロベツ川のアイヌ語名「イペコロペッ(ipe-kor-pet)」(食物〔魚〕・を持つ・川)から「エベコロベツ」と呼ばれて、その下流側(現:豊富市街など)が「パンケエベコロベツ」、上流側(現:徳満)が「ペンケエベコロベツ」と呼ばれていた[5][注 2]。
このうち、パンケエベコロベツは1908年(明治41年)にその意訳から「豊富」と命名され、ペンケエベコロベツも1917年(大正6年)ごろ集落住民の合議により「福満(ふくみつ)」と命名された[5]。
しかし、駅の開業にあたって鉄道当局はすでに同音の城端線福光駅が存在することを理由に「福満」は不適当とし、「福」を「徳」と言い換えた「徳満」として命名したため[6][7][8][5]、開業同年に地名や学校名も改称された[5]。
駅構造
元々稚内方面に向かって右側から、上り本線(1番線)、下り本線(2番線)を持つ千鳥配置の相対式ホーム(構内踏切付)の駅であり、1番線の旭川方には貨物用の引き込み線も設けられていたが[9]、無人化時に旧1番線を残して棒線化された[10]。
宗谷本線の棒線化された駅は大半が既存の駅舎を解体して車掌車を転用した簡易駅舎などに改築された一方で、当駅は開業時からの駅舎をそのまま使用していたが[10]、2000年7月に解体されプレハブ建築の待合室と簡易なトイレが並べて置かれるのみとなっていた[8]。
かつて駅員が配置されていた際には隣の豊富駅と共に語呂が良い(徳が満ちる・徳が満ちて豊かな富を得る)ために入場券や乗車券の人気があった[9]。
- ホーム(2017年10月)
- 駅名標(2017年10月)
利用状況
乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1965年(昭和40年) | 29,305 | (80.3) | [5] | ||
| 1966年(昭和41年) | 25,604 | (70.1) | |||
| 1967年(昭和42年) | 20,321 | (55.5) | |||
| 1968年(昭和43年) | 16,659 | (45.6) | |||
| 1969年(昭和44年) | 16,278 | (44.6) | |||
| 1970年(昭和45年) | 13,557 | (37.1) | |||
| 1971年(昭和46年) | 14,895 | (40.7) | |||
| 1978年(昭和53年) | 29 | [11] | |||
| 1992年(平成4年) | (3.0) | [10] | 一日平均乗降客数6人 | ||
| 2015年(平成27年) | 「10名以下」 | [JR北 3] | |||
| 2016年(平成28年) | 2.6 | [JR北 4] | |||
| 2017年(平成29年) | 1.6 | [JR北 5] | |||
| 2018年(平成30年) | 1.6 | [JR北 6] | |||
| 2019年(令和元年) | 1.2 | [JR北 7] | |||
| 2020年(令和2年) | 1.2 | [JR北 8] | 営業最終年度 | ||
