永山駅
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駅名の由来

- 1898年(明治31年)
- 1905年(明治38年)4月1日:鉄道作業局に移管[2]。
- 1912年(大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称[2]。
- 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1978年(昭和53年)12月1日:貨物取扱を専用線発着車扱貨物に限定[3]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物・荷物取扱い廃止[4][3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[5][3]。
- 1998年(平成10年):宗谷本線当駅以南と函館本線小樽 - 旭川駅間に自動進路制御装置(PRC)を導入[6]。
- 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに構内改良を実施。分岐器を弾性分岐器に変更[7]。
→「永山 (旭川市)」も参照
駅構造
跨線橋で結ばれた相対式ホーム2面2線を有する地上駅[8]。2000年(平成12年)までに行われた高速化工事に際し、駅舎が位置する稚内方に向かって右手の上り本線(1番線)側を直進側とする片開き分岐に変更されているが、後述の運転取扱い上の理由から、駅舎側が上り本線、対向側(2番線)を下り本線としての運用が続けられ、いわゆる「一線スルー」とはなっていない[7]。
運転扱いのため終日社員を配置し、みどりの窓口が設置されている。
運転上の取り扱い
宗谷本線は当駅を境に閉塞方式が切替わり、以南が自動閉塞式(CTC、PRC付帯)、以北が特殊自動閉塞式(電子閉塞)である[7]。当駅以北へ進入する際は、車上側機器を設定・確認する必要があるため、下り列車は客扱いの有無にかかわらず停車する[9][7]。一方で、逆の場合は特に機器の設定を行わず通過が可能であることから、前述の高速化工事で上り列車の高速通過が可能なように分岐器を両開きから片開き弾性分岐器に換装している[7]。
のりば
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1 | ■宗谷本線 | 上り | 旭川方面 |
| 2 | 下り | 比布・名寄方面 |
- 駅舎(2004年6月)
- 改札口(2018年2月)
- ホーム(2017年8月)
- 当駅で交換するキハ54形とキハ40形普通列車(2007年4月)
- 2番線に立つ、「電子閉そく開始」の標識(2018年2月)
- 1番線に立つ、「電子閉そく終了」の標識(2018年2月)
- 跨線橋(2017年8月)
- 駅名標(2017年8月)
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
なお、「旭川市統計書」を出典とする値については2018年(平成30年)版からデータ提供元のJR北海道での集計方法が過去の値含めて変更になっているため、2018年版に掲載で最も古い値となる2011年(平成23年)度以降の値は新集計方法での値を用いる。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1912年(大正元年) | 60,923 | (166.9) | [10] | ||
| 1917年(大正6年) | 62,489 | (171.2) | |||
| 1931年(昭和6年) | 107,382 | (293.4) | |||
| 1932年(昭和7年) | 107,426 | (294.3) | |||
| 1933年(昭和8年) | 99,768 | (273.3) | |||
| 1934年(昭和9年) | 112,448 | (308.1) | |||
| 1935年(昭和10年) | 106,377 | (290.6) | |||
| 1936年(昭和11年) | 109,857 | (301.0) | |||
| 1937年(昭和12年) | 117,577 | (322.1) | |||
| 1938年(昭和13年) | 122,898 | (336.7) | |||
| 1939年(昭和14年) | 156,334 | (427.1) | |||
| 1952年(昭和27年) | 324,035 | (887.8) | |||
| 1953年(昭和28年) | 312,141 | (855.2) | |||
| 1954年(昭和29年) | 321,243 | (880.1) | |||
| 1955年(昭和30年) | 323,691 | (884.4) | |||
| 1956年(昭和31年) | 350,511 | (960.3) | |||
| 1957年(昭和32年) | 365,444 | (1,001.2) | |||
| 1958年(昭和33年) | 388,568 | (1,064.6) | |||
| 1959年(昭和34年) | 393,739 | (1,075.8) | |||
| 1978年(昭和53年) | 1,489.0 | [11] | |||
| 1992年(平成4年) | (842.0) | [8] | 一日平均乗降客数:1,684 | ||
| 2001年(平成13年) | 197,461 | (541.0) | [12] | うち、年間の普通旅客:121,898 | |
| 2002年(平成14年) | 188,570 | (516.6) | [13] | うち、年間の普通旅客:120,501 | |
| 2003年(平成15年) | 182,437 | (498.5) | うち、年間の普通旅客:115,399 | ||
| 2004年(平成16年) | 157,331 | (431.0) | うち、年間の普通旅客:94,787 | ||
| 2005年(平成17年) | 149,450 | (409.5) | うち、年間の普通旅客:85,631 | ||
| 2006年(平成18年) | 148,505 | (406.9) | うち、年間の普通旅客:82,703 | ||
| 2007年(平成19年) | 144,702 | (395.4) | うち、年間の普通旅客:79,156 | ||
| 2008年(平成20年) | 151,200 | (414.2) | うち、年間の普通旅客:80,113 | ||
| 2009年(平成21年) | 157,924 | (432.7) | [14] | うち、年間の普通旅客:78,797 | |
| 2010年(平成22年) | 160,033 | (438.4) | うち、年間の普通旅客:79,096 | ||
| 2011年(平成23年) | 175,680 | (480.0) | [15] | ||
| 2012年(平成24年) | 174,470 | (478.0) | |||
| 2013年(平成25年) | 177,390 | (486.0) | |||
| 2014年(平成26年) | 171,550 | (470.0) | |||
| 2015年(平成27年) | 172,752 | (472.0) | |||
| 2016年(平成28年) | 178,850 | (490.0) | [16] | ||
| 2017年(平成29年) | 182,865 | (501.0) | 422.4 | [16][JR北 1] | |
| 2018年(平成30年) | 178,120 | (488.0) | [16] | ||
| 2019年(令和元年) | 176,660 | (482.7) | 402.8 | [16][JR北 2] | |
| 2020年(令和2年) | 123,735 | (339.0) | [16] | ||
| 2021年(令和3年) | 109,500 | (300.0) | [17] | ||
| 2022年(令和4年) | 122,275 | (335.0) | [17] | ||
| 2023年(令和5年) | 131,760 | (360.0) | 285.0 | [17][JR北 3] | |
| 2024年(令和6年) | 133,225 | (365.0) | [17] | ||
