アルゴスのヘライオン
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位置
歴史
建築
神殿内の像と奉献物
パウサニアースは神殿内の様子を比較的詳しく伝えている。彼によれば、ヘーラーの主像は大きな金と象牙の坐像で、ポリュクレイトスの作とされた[7]。女神は玉座に坐し、頭にはカリスたちとホーラーたちを表した冠を戴き、一方の手にザクロ、他方の手に笏を持っていた[7]。また笏の上にはカッコウがとまっており、これはゼウスがヘーラーに恋したときカッコウに変じたという伝承に結びつけられていた[7]。
パウサニアースによれば、ヘーラー像の傍らにはナウキュデス作と伝えられるヘーベーの金象牙像があり、その近くには、ティーリュンスから移されたという古いヘーラー木像も安置されていた[7]。また神域内の奉献物として、ヘーベーとヘーラクレースの婚礼を表した銀の祭壇、ハドリアヌス帝奉献の黄金と宝石の孔雀、ネロ帝奉献の黄金冠と紫衣などが挙げられている[7]。
神話と伝承
パウサニアースは、この神域の周辺の丘がエウボイア、プロシュムナ、アクライアと呼ばれるのは、アステリオーンの3人の娘の名に由来すると伝えている[4]。同じ箇所では、アステリオーン川のほとりに「アステリオーン」と呼ばれる植物が生え、その葉でヘーラーの冠を編んだとも記される[4]。こうした伝承から、神域はヘーラーの養育譚やアルゴリス地方の神話地誌と強く結びついていたことがうかがえる[4][1]。
また、旧神殿が焼失した事情についてもパウサニアースは伝えている。彼によれば、ヘーラーの女神官クリューセーイスが眠り込んだため、燈火が花輪に燃え移って火災になったという[7]。彼女はその後テゲアへ逃れてアテーナー・アレアーに祈願したが、アルゴス人は災厄の後も彼女の像を撤去しなかったとされる[7]。
発見と発掘
ウォーリック大学の案内によれば、神域は1831年に確認され、1892年から1895年にかけて、チャールズ・ウォルドスタイン率いるアメリカ在アテネ古典学研究所関係者による大規模発掘が行われた[8][9]。記録では、ウォルドスタインはリチャード・ノートンらの助力を得て発掘を進めたとされる[9]。
その後、1949年にはジョン・キャスキーとピエール・アマンドリが、紀元前7世紀から紀元前6世紀の堆積層の追加調査を行った[9][10]。ASCSA の出版案内によれば、これらの調査では、5世紀神殿の建築・彫刻断片のほか、旧神殿の破壊に伴うとみられる多数のアルカイック期のテラコッタ、青銅器、象牙製品、金製ロゼット、貨幣などが出土した[11]。

