オゼッラ・FA1C
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| カテゴリー | F1 |
|---|---|
| コンストラクター | オゼッラ |
| デザイナー | ジョルジオ・ヴァレンティーニ |
| 先代 | オゼッラ・FA1B |
| 後継 | オゼッラ・FA1D |
| 主要諸元 | |
| シャシー | アルミニウム製モノコック |
| サスペンション(前) | アッパーアーム, ロワーウィッシュボーン, ショックアブソーバー |
| サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, |
| トレッド |
前:1,850 mm (73 in) 後:1,705 mm (67.1 in) |
| ホイールベース | 2,720 mm (107 in) |
| エンジン | フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90°V8, NA, |
| トランスミッション | ヒューランド 5速 |
| 重量 | 580 kg (1,280 lb) |
| 燃料 | バルボリン (3 GP) / Agip (16 GP) |
| タイヤ | ミシュラン / ピレリ |
| 主要成績 | |
| チーム |
|
| ドライバー |
31. 32. |
| 初戦 | 1981年イタリアグランプリ |
オゼッラ・FA1C (Osella FA1C) はオゼッラ・スクアドラ・コルセが1981年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはジョルジオ・ヴァレンティーニ。FA1Cは1981年から1982年にかけて15戦に出走、1982年に3ポイントを獲得した。これはオゼッラにとって初のポイント獲得となった。FA1Cはまた、リカルド・パレッティが死亡事故を起こした車両でもある。
レース戦績
1981年
FA1Cは9月にイタリアグランプリでデビューした。ジャン=ピエール・ジャリエがドライブしたが、セカンドドライバーのベッペ・ガビアーニはFA1Bをそのままドライブした。ジャリエはFA1Cのデビュー戦を9位で完走した。しかしながら残る2戦はいずれもリタイアとなった。
1982年
1982年、FA1Cは7月下旬のフランスグランプリまで使用された。ドライバーはジャリエ(31番車)と、イタリア人ルーキーのリカルド・パレッティ(32番車)であった。ジャリエは3度完走し、最高位はサンマリノでの4位であった。このサンマリノグランプリはFOCA系チームの大半がボイコットしたため、出走したのは14台であった[3]。パレッティは予選落ちが8回、通過したのは3回のみであった。最後のカナダグランプリで彼はディディエ・ピローニのフェラーリに追突、事故死した。 第9戦のオランダからチームは1台体制に縮小された。第12戦ドイツからは新型のFA1Dが投入された。
F1における全成績
| 年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981年 | オゼッラ・スクアドラ・コルセ | フォード-コスワース DFV V8 |
M | USW |
BRA |
ARG |
SMR |
BEL |
MON |
ESP |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
CAN |
CPL |
0 | NC | ||
| 9 | Ret | Ret | ||||||||||||||||||||
| 1982年 | オゼッラ・スクアドラ・コルセ | フォード-コスワース DFV V8 |
P | RSA |
BRA |
USW |
SMR |
BEL |
MON |
USE |
CAN |
NED |
GBR |
FRA |
GER |
AUT |
SUI |
ITA |
CPL |
3 | 12位 | |
| Ret | 9 | Ret | 4 | Ret | DNQ | Ret | Ret | 14 | Ret | Ret | ||||||||||||
| DNQ | DNPQ | DNQ | Ret | DNPQ | DNPQ | DNS | Ret | |||||||||||||||