チョー (俳優)

日本の男性俳優、声優、ナレーター (1957-) From Wikipedia, the free encyclopedia

チョー1957年昭和32年〉12月15日[1][3][4] - )は、日本俳優声優ナレーター[10]作詞家作曲家埼玉県[3][4]鴻巣市出身[5][6][7][8]俳協所属[6][11]。本名・旧芸名長島 茂(ながしま しげる)[1][2][注 1]。同じく旧芸名は長島 雄一(ながしま ゆういち)[1][2][3]

本名 長島 茂ながしま しげる[1][2][注 1]
愛称 チョーさん
性別 男性
概要 チョー, プロフィール ...
チョー
プロフィール
本名 長島 茂ながしま しげる[1][2][注 1]
愛称 チョーさん
性別 男性
出身地 日本の旗 日本埼玉県[3][4]鴻巣市[5][6][7][8]
生年月日 (1957-12-15) 1957年12月15日(68歳)
血液型 B型[6][9]
職業 俳優声優ナレーター[10]
事務所 俳協[6][11]
配偶者 あり
公式サイト チョー|俳協
公称サイズ(時期不明)[12]
身長 / 体重 167 cm / 60 kg
声優  活動
活動名義 長島 雄一ながしま ゆういち(旧芸名)
チョー(2006年8月23日以降)
活動期間 1980年代 -
ジャンル アニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間 1984年 -
ジャンル テレビドラマ舞台操演
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ
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代表作は、顔出し出演は『たんけんぼくのまち』(チョーさん)、声優としては『いないいないばあっ!』(ワンワン ※スーツアクターも兼任)、『ONE PIECE』(ブルック)、『ロード・オブ・ザ・リング』(ゴラム[5]

経歴

鴻巣市立田間宮小学校[13][14][15][16][17]鴻巣市立鴻巣中学校[17]埼玉県立鴻巣高等学校[13][17]二松學舍大学文学部国文学科卒業[7][18]

生い立ち

子供の頃は友人と相撲やかくれんぼや探検や秘密基地づくりをして遊んでいた[8]。一番好きだったのは空想遊びで、空想の世界で主人公になり、探検したり冒険したり戦ったりと、1人で色々想像しては楽しんでいたという[8]

大学時代は落語研究会に所属[19][注 2]。国語科教員免許と書道科教員免許を持っている[11]。当初は国語科の教員志望をして大学に入学した[20][21]。しかし当時は人見知りで積極的に人前に出るタイプではなく、テレビに出演するようになるとは想像もしていなかったという[22]。あまり人とのコミュニケーションが得意ではなく、話をするのもどちらかといえば苦手で「教員になりたいなら人前で喋れなくちゃいけないだろう」と思い、大学進学と同時に誘われて落語研究会に所属して初めて「何かを表現するのは楽しいな」と思うようになった[19][20][22]

大学4年生の夏、地元の埼玉県で教員の採用試験を受けたが落選[19][20][22]。採用試験は年1度しかないため、翌年の夏に再受験しようと思ったが、次の試験まで1年間あり、「時間ができたから何かしよう」と考えていたという[20][22]。その時、劇団青年座研究所が夜間部の受講者を募集しているチラシを見つける[19][20][22]。当時、同劇団に所属していた西田敏行が活躍していたこともあり、興味を持って入所[19][20][22]。大学卒業までの間、軽い気持ちで通っていたが、そこで一緒になった研究生たちとの関わりが楽しく新鮮だった[19][22]。それまで舞台も見たことがなかったが、『ブンナよ、木からおりてこい』のゲネプロを見て「舞台ってこんなに面白いんだ!」 と感銘を受ける[19]。そこで初めて演劇の世界へ進むことを意識し始めたが、その時は「テレビに出たい」というミーハーな気持ちだった[19][20][22]。同時に東京の成城学園前に住む友人の所に遊びに行った時、途中の道で見た三船敏郎加山雄三といった大スターの自宅が豪邸であり、驚いたことと同時に「こんな大きな夢を持って働きたい」とも感じ、大学卒業間際になって本格的に演技の道に進んだ[20]

大学卒業後は大学の講師の紹介で、私立高校に臨時教員として就職することが決まっていた[20]。しかし演技の道を捨てきれないという気持ちがあり、文学座演劇研究所を受けて、受かったら就職を断念しようと思ったという[19][20]。当時は松田優作中村雅俊田中裕子といった文学座出身の俳優が一気にスターになっていたからというミーハーな理由だったという[20]。夜間講座とは異なり、数千人がオーディションに殺到し、そのうち合格するのは数十人程度であったため、ダメだったら演劇は断念するつもりだったという[22]。受けたところ合格したため、就職先を紹介してくれた教師のところに「やっぱり就職はやめます」と謝りに行ったという[20]。両親に「教員を目指すのをやめて、研究所に入りたい」と伝えた際には、「どうしようもない」と呆れられたという[19][20]

キャリア

俳優として

その後、青年座研究所実習科などを経て、三宅裕司主催の劇団スーパー・エキセントリック・シアター渡辺えり子座長の劇団3○○などが注目されていたことから、「僕たちも見習って気合いを入れよう」と仲間たちと劇団座座座、演劇企画シンデレラストアを創立し[7]、脚本を書いたり、構成をしたりと劇団員として演劇に打ち込む[19][20][22][21][23]。立ち上げた劇団については青年座系列の劇団だったため、初井言榮付き人を探していたことから、青年座から「初井言榮さんの付き人兼運転手をしてほしい」と頼まれた[19][20][22]。その後は初井の付き人をしながら勉強し、その時に5,000円の日給に飛びついた[19][20][22]。初仕事は初井からの紹介で、大正末期を舞台にしたテレビドラマの遊郭の客役だった[9]。下積み時代はアルバイトとして児童劇を全国の小学校で公演をしていたという[8]

その後「社会科教育番組のオーディションがあるから受けてみない?」という話を貰い、26歳の時にNHK教育テレビの『たんけんぼくのまち』のチョーさん役で実質的なテレビデビューを果たす[19][20][21][22][23]。その時に付き人を辞めさせてもらったという[9]

『たんけんぼくのまち』に出演後もそれだけでは食べていけず、その後は志望していた俳優の道を歩もうと思っていたという[22][24]。しかしオーディションすらないなど、俳優の仕事は少なく、ことのことについては「今でこそNHKの子供向け番組に出演するような人物は注目されるものの、当時は番組ディレクターや役者を使う立場の人間は、僕のことを知らなかったんでしょう」と振り返っている[22]。その時に「仕事を選ぼうとすることは、おこがましいことだ」と身に染み、「周囲から求められる仕事がある間は、全力で取り組もう」としみじみ感じていたという[22]

声優として

劇団の公演を見に来ていた声優事務所のぷろだくしょんバオバブのマネージャーから声が掛かり、ラジオのCMで声優としての活動を始める[19][22][24]。その時にマネージャーに「もっと仕事がほしいんですけど」と相談したところ、「じゃあ、うちの事務所に入らないか?」と言われ、1986年よりぷろだくしょんバオバブに所属[11][19][22][24]。『たんけんぼくのまち』のロケにも時間が取られ、劇団の稽古も行うと他の仕事をする時間が取れなくなることもあり、事務所に所属と同時に劇団を解散した[24]

声優の仕事を始めるきっかけは、当初は食べていくためである[25]。『たんけんぼくのまち』が終わった34歳の頃には、アルバイトと貯金を切り崩して生活しており、「このままだと食べていけない」と思ったため、偶々芝居を見に来てくれた声優事務所のマネージャーに声を掛けられてラジオのCMに出演[25]。当時はバブル経済の時代で、30秒から1分のCMを演じていただけで今までアルバイトした数倍のギャランティを稼ぎ、「これはいいな」と思ったという[9][25]。事務所に所属して本格的にやろうと思ったのは30歳過ぎてからであり、番組が終了した1992年以降、声の仕事が増え始めた[9][25]

声優デビュー当時は前述の通り、芝居を見に来ていた人物からラジオCM出演依頼を貰ったりしたことで、そのラジオCMのナレーションがクライアントに気に入られ、継続して何度も仕事を貰っていたため、「声優の仕事を増やせばもっとお金を稼げるだろう」と思っていた[24]。しかし、アフレコの時に絵と台本を同時に見ることができないなど経験が浅く、端役が多かったということもあり、演じるキャラクターがいつ出てきたのかも判断できず、アニメや洋画の吹き替えの恐怖症になっていた[24]。結局、アフレコに慣れるまで5年ぐらいかかったという[24]

現在まで

2006年8月23日付けで、芸名を長島雄一からチョーに改めた[2]。改名前から出演している番組やドラマCDのキャスト紹介では、括弧書きで「チョー(長島雄一)」と併記されることがある。

2007年東京俳優生活協同組合に移籍する[11]

2009年みうらじゅん賞を受賞[26]

ロード・オブ・ザ・リング』でゴラムの日本語吹き替えを務めた際、ゴラム役を演じたアンディ・サーキスが来日した際に本人と共演を果たした。以後サーキスが演じるキャラクターの吹き替えを多く担当している。

また、顔出しでメディアに出演する際は、『たんけんぼくのまち』で扮したキャラクターと同じような丸縁の眼鏡を掛けて出演する機会が多くなってきている。

2018年、第12回声優アワードにて富山敬賞を受賞[27]

声優以外の活動

たんけんぼくのまち

現芸名の「チョー」は、かつてNHK教育テレビの『たんけんぼくのまち』で「チョーさん」として出演していたことに由来するもので、番組放送中は愛称としても使われた。この番組を始めた当初は、本名の「長島茂」名義で出演していた。

番組が始まった時の年齢は26歳くらいで、その後は約8年間番組は続いていたが、その間の仕事はほとんどこれだけだったという[9]。当時は撮影自体は楽しかったが、15分番組1話分の撮影に1週間くらい時間を費やすため、ほかのレギュラーの仕事は入れず、事務所にも所属していないことからマネージメントも受けられなかったという[9]

番組が始まって3~4年経った時に、「やめたい」、「このままではダメなんじゃないか」と思い始めたという[22][28]。元々は俳優志望だったため、同じ番組を長く続け、特定のイメージがついてしまうのが心配だったという[22]。しかし引き留められ、結局は番組が終了するまで続けていたという[22]。「子ども番組以外でも挑戦してみたい」と思い、「辞めさせてください」と言って、8年で辞めたという[28]。しかしその後、結局ドラマや映画は皆無で、その時に「自分から辞めちゃいけないんだな」と実感したという[28]

番組終了後の一時期には「チョーさん死亡説」が流れたこともある[23]。同シリーズの特番でオーディオコメンタリー出演した際には「うっかりしているチョーさんが海に転落するなど、過酷なロケをやっていたから死亡説が流れたのではないか」と語っている。その頃は前述の通り、声優プロダクションに所属していたが、仕事が少なかったため、コンビニやイベント設営などのアルバイトをしていた[23]。この「チョーさん死亡説」は、後に出演した『超生命体トランスフォーマー ビーストウォーズリターンズ』で、これを基にしたアドリブを入れた[注 3]ほか、前に所属していた事務所のボイスサンプルで「チョーさんまだ生きてるよ」とコメントしたり、『たんけんぼくのまち 2009』のチョーさんが登場するシーンで「生きてるよ」と口にするなど、自らネタにすることもある。

『ETV50 もう一度見たい教育テレビこどもスペシャル たんけんぼくのまち 2009』(2009年5月5日)では胸に「ごらんの有様だよ」と書かれたTシャツを着用し、『とくせんETV』「たんけんぼくのまち」(2009年10月2日)では胸に「過去の人」と書かれたTシャツを着用して出演した。

2009年12月31日放送『ETV50もう一度見たい教育テレビ フィナーレ もう一度見たい教育テレビ』リクエストのベスト50で、1位を獲得した。さらに、その後の放送では第6シリーズの舞台となった神奈川県三浦市を18年ぶりに探検した。

NHK放送番組以外では料理バラエティ『みうらじゅんのマイブームクッキング』第2期4回目に出演。当時の姿で『チョーさん号』に乗って登場し、盛大にこけるというシーンもあった。また、この回で『たんけんぼくのまち』での年齢設定が19歳であることやDVDのオーディオコメンタリーにみうらがゲスト出演していることも明かされた。

いないいないばあっ!

NHK教育テレビの番組『いないいないばあっ!』では、「ワンワン」役で、声のみならず、本人が着ぐるみの中に入って出演している。また、「かぜさん ふわり」、「おおきくなぁれ」、「ワンワンのこもりうた」、「だっこしてギュッ!」、「パクパクおんど」、「パクパクフラダンス」、「スーパーワンのうた」で作詞・作曲に携わった[注 4]。改名後も当初は「長島雄一」名義での出演を続け、自ら作詞作曲した曲が番組内で流れた場合のみ「作詞・作曲 チョー」と表記されていた。2006年11月後半に放送された番組よりすべての表記が「チョー」名義に変更されている。

声優の仕事もしていた時、「今度、赤ちゃん向けの番組を試験的に制作するから、出演してみる?」と声を掛けられたことが出演のきっかけだという[22]

着ぐるみの操演はアルバイトで戦隊ものの怪人をしたくらいしか経験がなかったが、表現には変わりがないため、抵抗は無かったという[24]

かつて所属した事務所のプロフィールで添えられたボイスサンプルでは、着ぐるみの暑さと息苦しさが語られていた。

女性自身』でのインタビューでは、放送開始から25年が過ぎ、放送当初に番組を見ていた赤ちゃんが親となり3世代で見てくれる人が現れ始めることを期待しつつ、「今後もワンワンを続けていきたい」と語っている[29]

人物

「役者を目指す」と決めた時から周囲に迷惑をかけ通していると語る[19]。自身が声優、俳優としての活動を続けられることについては「運が良かったからだ」と語り、「どうして運が良いのか」と聞かれても特に分からないという[30]。若い頃から「俳優としてテレビに出たい」という思いを持ち続けており、顔出しの仕事が少ないため、「少しでも増えたらいいな」と語っている[19]。2011年と2014年のインタビューによると未だに映画に出演したことがなく「映画の撮影現場ってどんな雰囲気なんだろう」と興味津々のため、夢としては「映画に出ること」と語っている[23][30]。役者としては『たんけんぼくのまち』でほぼ止まったままで、「誰かが見てくれているはず」と言い続けていた[23]。しかし、声優の依頼は増えたが、俳優の仕事は来なかったこともあり、埼玉県鴻巣市の土手を走りながら「誰かオレを見つけてくれー!」と叫んだこともあった[23]。その時に「たんけんのチョーさんとも、劇団時代のハイテンションとも違う、ギャップのあるチョーをお見せできたら」とも語る[23]

2022年のインタビューによると若い時は「とにかく何でもやろう、それが勉強になる」と思い向き合っていたが、50歳を迎えるあたりから「もう自分には時間がないぞ」、「好きなこと、得意なことをどんどんやっていこう」と思い色々なものを削ぎ落していった[19]。しかし、50代の頃に20代や30代の後輩に「これからだね! 楽しみだね!」と言われたことで、60代になってからの2~3年で考えが変わっていき、年下の人物に対して「まだまだこれからだよ」と声を掛けることもあった[19]。ある時、47歳の人物が「そろそろ50歳、だんだん先が見えてきました」と言っていたのを聞いて、「そんなことないよ! これからだよ!」と返していたが、50歳が近づいてきた時の「同じように残りの時間を意識して焦りと不安感を抱いていたな」ということを思い出した[19]。70歳や80歳になってからのことを考えていたところ、その後の自身に対しては「もう時間がないから、これを諦めてあれをしよう」と考えずに「もっと素直にいろいろなことに挑戦してもいいんじゃないか」と思うようにしている[19]。その時に「生きている限りは、先のことを考え過ぎない方がいいのかな」「年を重ねると知恵もつくし、器用になるから、どうしても傷つかないで済む道を選んでしまう。でもそれってすごくつまらないのかもしれない」と感じるようにもなったという[19]

自己中心的な性格であるという[19]。自身は子供と接するのが得意な方ではなく、「自分自身が子供のようなところがあることから、特に意識しないだけだ」と語る[8]

斎藤志郎とは文学座演劇研究所の同期[31]

2012年10月1日、自身の生まれ育った埼玉県鴻巣市のこうのす観光大使に就任[13]

特色

声種ハイバリトン[11]

役柄としては老け役が多く、風邪で喉がやられてる時は老け役でごまかせるものの、それ以外は少し厳しいこともあり、徹底的に予防するようにしているため、プロポリススプレーを手放すことができないという[32][33]

声優の仕事の演じること自体の面白さについては「子供の頃に楽しんでいた空想遊びの延長な気がしている」と語る[8]

その時々の芝居を楽しむことだけは心がけており、演じているキャラクターが登場する場面をいかに楽しく演じられるか、想像力をかきたてて演じている[30]。不安定な演技になることもあるが、型どおりの演技ではないほうが好評だったりしている[30]。その時に「型にはまらないようにしよう」と思っても結局は型から抜け出せなかったりするが、型どおりにならないようにと常に心がけていると、演じることがだんだん楽しくなってくるという[30]

ポパイのオリジナル声優である浦野光と声質が似ており、休業していた浦野の代役として追加収録を引き受けたり、ポパイをパチンコなどで代演したこともある。

歌や作詞・作曲については専門の勉強をしたことはまったくなかった[30]。ただし歌は好きで、ジョギングをしている最中にふと気になったフレーズを節をつけて歌ってしまうことがある[30]。作詞・作曲したものについては既存の曲に似ているものも多く、ほとんどの場合はボツになるが、運良く採用された曲が世に出たりする場合もある[30]。やりたいことがあったら、とにかく「やりたい!」と表現してしまうほうで、採用されなかったとしてもやりたいことをやっているだけでワクワクしてしまい、作っていく作業自体が楽しく、皆で一緒に作っていくというのが好きだという[30]

趣味・嗜好

趣味はバドミントンジョギング[11]。また、「ワンワン」の着ぐるみは20kgほどあり、それを着て側転などをしてみせるために、それ以前から好きな時にできることやお金がかからないことから役者になろうと思った日の20歳の頃から続けている毎朝10kmのランニングを欠かしていない[19][23][24][34]。昔は運動神経が鈍かったため、運動も体育の授業も好きではなかった[8]。鉄棒が全然できず、父が自宅に自作の鉄棒を作ったが、それでも全然できなかった[8]。体育への意識を詩に書いたことがあり、小学1〜2年生の頃「また通信簿2かな」、「鉄棒がどうしてもできない」と書いたものが新聞の紙面に掲載されたことがあり、親戚も笑っていたという[8]

特技はポパイ竹中直人物まね、口ラッパ[35]のいかく声[11]。物まねを行う際は擬音が多い。竹中直人の物まねについては、自身のブログでファンから問われた際に「なにを言ってるんだこの人」と理解できずに戸惑ってしまうほどに、自身の特技のひとつであることを失念していた[36]ダンスラッキィ池田の6番弟子[23]。その他の資格は普通自動車[11]

大の巨人ファンであり、特に長嶋茂雄の大ファン。旧芸名の長島雄一は、本名の長島茂に「雄」を付けると(「島・嶋」の字が違うが)長嶋茂雄、「一」を付けると長嶋一茂になることが由来である[37]

家族

既婚者であり、ラジオなどで度々妻(チョー子と呼んでいる)について語っている(ひだまりラジオ×365 第1回、ひだまりラジオ×☆☆☆ 第8回)。

3人きょうだいの長男[8]

出演

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ

1979年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
2022年
2023年
2024年
2025年
2026年

劇場アニメ

1990年
  • ヘヴィ
1991年
1994年
1996年
1998年
2001年
2002年
2003年
2004年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2021年
2022年
2023年
2024年
2026年

OVA

1989年
1990年
1991年
1992年
  • 究極のSEXアドベンチャー カーマスートラ(ブラフマー)
  • シークエンス(医者)
  • 電影少女 -VIDEO GIRL AI-(巡査 / カップルの男)
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
  • 旭日の艦隊(英幕僚A)
2001年
  • 新世紀 淫魔聖伝(ボンノ)
2003年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2015年
2019年
2020年

Webアニメ

2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
2022年
2024年
2025年

ゲーム

1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
  • U.P.P.(臥門)
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
  • 第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇(ギルボア・サント)
  • ボーダーランズ プリシークエル(Dr.ナカヤマ)
  • ONE PIECE 超グランドバトル! X(ブルック
  • ONE PIECE ワンピースキングス(ブルック
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
2022年
2023年
2024年
  • クレヨンしんちゃん 「炭の町のシロ」(銀の助)
  • SAND LAND(シーフ[148]
  • BLUE PROTOCOL(カヴァ・アク[149]
  • 燃えよ!乙女道士 〜華遊恋語〜(リーホン[150]
  • カイジ外伝:激熱の街(大槻)
2025年
  • ジョジョの奇妙な冒険 オラオラオーバードライブ(ウィルソン・フィリップス)

ドラマCD

吹き替え

担当俳優

アンディ・サーキス ※サーキス公認声優[153]

映画

ドラマ

アニメ

特撮

2009年
2010年
2011年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年

ラジオ

※はインターネット配信

CM

ナレーション

テレビ番組

※はインターネット配信

テレビドラマ

その他のコンテンツ

音楽

キャラクターソングを含む。

  • ONE PIECE
    • ビンクスの酒:9人の麦わらの一味(『ONEPIECE ビンクスの酒』初収録 2009年3月)
    • 幸せの黒いハンカチ(『ONEPIECE ビンクスの酒』初収録 2009年3月)
    • A THOUSAND DREAMERS 〜9人の麦わら海賊団篇〜(『ONEPIECE ビンクスの酒』初収録 2009年3月)
    • ウィーアー 〜9人の麦わら海賊団篇〜(『ONEPIECE ブルックスペシャルCD ブルックと麦わらの一味の音楽会』初収録 2009年4月)
    • ビンクスの酒 〜ブルックver.〜(『ONEPIECE ブルックスペシャルCD ブルックと麦わらの一味の音楽会』初収録 2009年4月)
    • NEW WORLD(『NEW WORLD』初収録 2011年12月)
    • 骨 to be wild(『NEW WORLD』初収録 2011年12月)
    • Bone Holiday(『日本横断!47クルーズCD in長野』初収録 2015年1月)
    • 約束の岬(『日本横断!47クルーズCD in静岡』初収録 2015年1月)
    • フェスティバルの夜へ(『ONEPIECE キャラソンBEST“FESTIVAL”』初収録 2016年7月)
    • Family 〜9人の麦わらの一味編〜(『ONEPIECE キャラソンBEST“FESTIVAL”』初収録 2016年7月)
    • ねこまむしの旦那に会いに行こう[注 11](『ONEPIECE キャラソンBEST“FESTIVAL”』初収録 2016年7月) - 作詞チョー子(チョーの妻)作曲チョー子・チョー
    • スリラーナイト・スリラーバーク(『ONEPIECE Island Song Collection スリラーバーク』初収録 2017年10月)
    • Family 〜10人の麦わらの一味編〜(『ONEPIECE オリジナルサウンドトラック“WANOKUNI”』収録 2022年3月)
    • Pump Up Power Up![注 12] (『Pump Up Power Up!』収録 2023年7月)
  • 荒川アンダーザブリッジ
    • 行様☆Go!Summer!! 〜いや、行くのは金星だから〜 (荒川アンダー ザ ブリッジ×2 10 BRIDGE×2 オープニングテーマ 歌:高井 2010年12月)
  • いないいないばあっ!』※作詞作曲した楽曲のみ掲載
    • パクパクおんど(『NHK いないいないばあっ!〜こんにちは!ったら ラッタンタン』初収録 2008年)
    • スーパーワンのうた(『NHK いないいないばあっ! ブンブン ブキューン!』収録 2010年)
    • パクパクフラダンス(『NHK いないいないばあっ! ブンブン ブキューン!』収録 2010年)
    • だっこしてギュッ!(『NHK DVD いないいないばあっ! パチパチパレードっ!』収録 2013年)
    • ワンワンのこもりうた(『NHK いないいないばあっ! かんぱーい!!』収録 2017年)
    • かぜさん ふわり(『NHK いないいないばあっ! ピョンピョンアニマルパーティー!』収録 2023年)
  • その他
    • ゴミ収集車の唄 〜私の四畳半ライブ(福山潤『浪漫的世界31』収録 2009年11月) - 作詞作曲
    • たんけんぼくのまち 〜ありがとう〜(2009年12月) - 2番3番作詞、唄

脚注

参考文献

外部リンク

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