パドヴァのポルテッロ門

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製作年1741-1742年ごろ
寸法62 cm × 109 cm (24 in × 43 in)
『パドヴァのポルテッロ門』
イタリア語: Porta Portello, Padova
英語: The Porta Portello, Padua
作者カナレット
製作年1741-1742年ごろ
種類キャンバス上に油彩
寸法62 cm × 109 cm (24 in × 43 in)
所蔵ナショナル・ギャラリーワシントンD.C.
『パドヴァのポルテッロ門』
スペイン語: Porta Portello en Padua
英語: Porta Portello, Padua
作者カナレット
製作年1760年ごろ
種類キャンバス上に油彩
寸法62.8 cm × 109.2 cm (24.7 in × 43.0 in)
所蔵ティッセン=ボルネミッサ美術館マドリード

パドヴァのポルテッロ門』(パドヴァのポルテッロもん、: Porta Portello, Padova西: Porta Portello en Padua: Porta Portello,Padua)は、18世紀イタリアの画家カナレットキャンバス上に油彩で描いた風景画で、2点のやや異なるヴァージョンが知られている。1741-1742年ごろに制作されたワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵の作品 (サミュエル・ヘンリー・クレス英語版のコレクションから1961年に寄贈) [1][2]と、1760年ごろに制作されたマドリードティッセン=ボルネミッサ美術館蔵の作品 (カルメン・ティッセン=ボルネミッサ英語版から寄託) [3]である。

カナレットとその甥ベルナルド・ベッロットが確立した地誌学的風景画「ヴェドゥータ」(都市景観画) は、18世紀ヨーロッパ各地で広く好まれた。寸分狂いのない線遠近法と明瞭な明暗効果の中に捉えられたヴェネツィアなどの都市風景の広がりは、時代精神と共鳴するところがあったと思われれる[4]

カナレットとベッロットは、1740年ないし1741年にヴェネツィアからブレンタ運河沿い (カナレットの絵画『ブレンタ運河沿いのドーロの眺め[5]を参照) にパドヴァに旅行した[2][3]。その成果の1つが本作『パドヴァのポルテッロ門』であると考えられる[2]。画面中央にある白い建物がポルテッロ門で、東のヴェネツィアからやってきた旅行者にとってパドヴァの入り口にあたるものであった。この門は古代ローマ凱旋門を模したもので、1518 - 1519年にグリエルモ・デ・グリージ英語版によって設計された。パドヴァへの7つの入り口の1つであり、「オンニサンティ門」とも呼ばれた[2][3]

カナレットの素描『パドヴァのブレンタ運河とポルテッロ門』 (1740-1743年ごろ)、アルベルティーナウィーン

カナレットの絵画に表されている様々な建物の中で、画家の創作でないと仮定すれば[3]、運河右側の列柱のある建物など最も重要なものは特定化されていない。一方、遠景に見えるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会英語版やその鐘楼は現存する。しかし、カナレットはそもそも、パドヴァのこの地域を正確には再現していない。たとえば、前景にある壁は想像上のものであり、実際のポルテッロ橋は2本ではなく、3本の橋脚を持っているのである[2][3]

『パドヴァのポルテッロ門』の2点のヴァージョンは、前述のカナレットとベッロットの旅行にもとづき1740年代初頭に描かれたとされる。カナレットは旅行の際に素描を制作しており、その中にはポルテッロ門を描いたもの (ウィーンアルベルティーナニューヨークメトロポリタン美術館などの所蔵) も含まれている[3]。しかし、2点の絵画は明らかにそれらの素描にもとづいているだけでなく、アトリエで構成されている[2][3]。そのため制作年を決定することは難しく、パドヴァ旅行の20年後に制作されたとも提唱されている。ティッセン=ボルネミッサ美術館では、作品の制作年を1760年ごろとしている[3]

2点の『パドヴァのポルテッロ門』のヴァージョンには、人物の配置や舟の位置など若干の相違点が見て取れる[2]。しかし、全体に暗い色調、明るい大気を共有している[3]

脚注

参考文献

外部リンク

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