吉川和多留

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生年月日 (1968-09-26) 1968年9月26日(57歳)
東京都
活動期間2002–2010
2010年 順位22位 (1 pt)
吉川 和多留
2011年シーズン開幕前のセパンテストでYZR-M1を駆る吉川
生年月日 (1968-09-26) 1968年9月26日(57歳)
東京都
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2002–2010
チャンピオン0
2010年 順位22位 (1 pt)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
2 0 0 0 5

吉川 和多留(よしかわ わたる、: Wataru Yoshikawa1968年9月26日 - )は、東京都出身のオートバイレーサー。1994年と1999年の全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスチャンピオン。現在はヤマハロードレース世界選手権MotoGPクラス用マシン、YZR-M1の開発ライダーと全日本ロードレース選手権に参戦するヤマハ・ファクトリー・レーシングチームの監督を務める。またMotoGPのテレビ中継(日テレG+)に時折ゲスト解説者として出演している[1]

YZR-M1の開発ライダー

1990年に国内A級SP750チャンピオンを獲得すると、国際A級に昇格し翌1991年から全日本ロードレース選手権TT-F1クラスにフル参戦を開始。当初から一貫してヤマハのマシンに乗り続け、TT-F1クラスがスーパーバイククラスに改編された1994年に未勝利ながら、コンスタントにポイントを積み重ねた事で、初のチャンピオンを獲得した。

1996年シーズンは全日本を離れてスーパーバイク世界選手権にフル参戦し、ヤマハ勢としてはコーリン・エドワーズに次ぐ2番手となるシリーズランキング9位の成績を残した。翌1997年より全日本に復帰し、1999年には2度目のシリーズチャンピオンに輝いた。

鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)には1991年から2005年まで15年連続で出場を果たし、中冨伸一とペアを組みYZF-R1を駆った2003年にベストリザルトとなる2位表彰台を獲得した[2]。2015年からは、ワークスチームとして鈴鹿8耐に復帰した「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」の監督を務め、同年から2018年にかけてチームを優勝に導いた。2025年ヤマハ発動機のレース活動70周年にあわせ参戦する「YAMAHA RACING TEAM」の監督に就任する。YAMAHA MOTORSPORTS MEDIA CONFERENCEを開催 ファクトリー体制となる「YAMAHA RACING TEAM」の鈴鹿8耐参戦を発表

現在はヤマハロードレース世界選手権MotoGPクラス用マシン、YZR-M1の開発ライダーを務めており、同クラス初年度となった2002年シーズンの第13戦パシフィックGPツインリンクもてぎ)ではワイルドカード枠で実戦デビューし、12位で完走を果たした。

2010年シーズンには、第4戦イタリアGP脛骨開放骨折の重傷を負い長期欠場することになったバレンティーノ・ロッシの代役として、フィアット・ヤマハチームより第7戦カタルーニャGPに出場し15位となる。なお当初3戦の出場予定であった[1][3][4]が、ロッシの回復が早まったため第7戦のみとなった。

レース戦績

脚注

外部リンク

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