小森卓郎

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生年月日 (1970-05-21) 1970年5月21日(55歳)
小森 卓郎
こもり たくお
総務省ホームページより
生年月日 (1970-05-21) 1970年5月21日(55歳)
出生地 日本の旗 神奈川県横浜市
出身校 東京大学法学部
プリンストン大学大学院修了
前職 国家公務員大蔵省財務省
所属政党 自由民主党安倍派→無派閥)
親族 義父:北村茂男(衆議院議員(4期)、第73代石川県議会議長)[1]
公式サイト 小森たくお(小森卓郎)オフィシャルサイト
選挙区 石川県第1区
当選回数 3回
在任期間 2021年11月2日[2] - 現職
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小森 卓郎(こもり たくお、1970年〈昭和45年〉5月21日 - )は、日本政治家大蔵財務官僚自由民主党所属の衆議院議員(3期)。石川1区選出。経済産業大臣政務官内閣府大臣政務官復興大臣政務官

総務大臣政務官第2次岸田第2次改造内閣)、金融庁総合政策局総合政策課長、防衛省大臣官房会計課長、石川県企画振興部長、同総務部長を歴任した[3]

神奈川県横浜市出身(現住所は石川県金沢市平和町[4])。東京大学法学部卒業。東大在学中は弁論部に所属した[5]。1993年財務省(当時は大蔵省)に入省(大臣官房文書課[6]1997年プリンストン大学大学院修了。在学中は、後に米FRB議長となるベン・バーナンキからマクロ経済学を教えられる。1997年7月、理財局資金第一課原資係長[7]1998年7月、理財局資金第一課企画係長[8]。その後は国際局総務課長補佐(渉外)[9]、国際局国際機構課長補佐(通貨基金)[10]、2002年から2005年の3年間、IMF(国際通貨基金)のエコノミストとして日本経済を担当、その後、主計局主計官補佐(防衛係主査)、大臣官房総合政策課長補佐兼大臣官房総合政策課企画室長など。2009年から2011年にかけて当時の松井孝治、福山哲郎両官房副長官に秘書官として仕える。2011年7月から石川県に出向。企画振興部長と総務部長を務め、北陸新幹線金沢開業の準備や、IRいしかわ鉄道の設立に携わる[11][12]2014年7月に財務省へ復帰した。同年9月に石川3区選出の北村茂男衆議院議員の長女と結婚。

2014年からは金融庁で国際室長・市場課長・総合政策課長、防衛省で会計課長を歴任。

2017年第48回衆議院議員総選挙では引退を表明した北村の後任となる石川3区の候補として小森の名が一時挙がるも、出馬にいたらず[13][14]

財務省、金融庁、防衛省、地方自治体などでの行政実務を通じて、制度設計や予算査定、予算執行の現場に携わってきた。公式サイトでは、こうした行政経験を背景に、行政の現場を理解する立場から政策決定により直接関与する必要性を感じ、政治の道を志したとしている。また、地域行政の経験を踏まえ、地方自治体の課題解決に政策面から取り組む考えを示している。[15]

2021年9月に金融庁総合政策課長を辞し、義父のかつての選挙区とは異なる石川1区で自民党県連の公募により候補者に選ばれた[16]。10月31日の投開票の第49回衆議院議員総選挙で初当選した[17]

2023年9月13日、第2次岸田第2次改造内閣が発足。9月15日付で情報通信、放送、郵政などを担当する総務大臣政務官に就任[注釈 1]

2024年1月1日の能登半島地震においては、家族が帰省先の輪島市で被災し、公民館の避難所へ。小森本人は、石川県庁をよく知る立場からも、県庁に置かれた政府の現地非常災害対策本部の副本部長に任じられ、200名を超える組織の立ち上げや前線の支援を指揮した。

2024年1月31日、総務大臣政務官を辞職[21]

同年10月31日の投開票の第50回衆議院議員総選挙では、石川1区で再選[22]

2025年10月22日、高市内閣にて経済産業大臣政務官復興大臣政務官内閣府大臣政務官に就任[23]

2026年2月8日投開票の第51回衆議院議員総選挙で石川1区から3選[24]。同年2月19日、第2次高市内閣で経済産業大臣政務官兼復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官に再任[25]

政策と実績

  • 能登半島地震復旧復興対応 (現地対策副本部長として)  2024年1月1日の能登半島地震発災後、石川県庁に政府の現地非常災害対策本部が置かれた。内閣府(防災)副大臣の古賀篤が本部長となったが、異例ながら、石川県庁で3年間の部長経験を有する小森が副本部長として抜擢された。大蔵省時代の後輩である古賀とともに現地対策本部をゼロから立ち上げることに奔走。応援職員の増派などを東京に働きかけ、各省庁から審議官クラスの職員をはじめとする職員が逐次増強され、当初の数十人から二百人を超える陣容となった。増強の状況に応じて速やかに組織や急造オフィスの改編を実施。霞が関で各省庁の出向者が集う内閣官房副長官補室を模した「ミニ霞が関」を作り上げ、迅速なインフラ復旧支援や物資のプッシュ型支援の実行体制を築いた。インフラ復旧などの課題に応じて3つのグループ分けを行い、グループごとに各省庁、県庁の担当部局を横断的に一同に召集し、連日、情報の共有と今後の行動の決定を行った。急場で縦割りの作業になりがちな弊害を、例えば浄水場といった道路以外のインフラ復旧のニーズを道路復旧の優先順位付けに加味することで克服できるように取り組んだ。南加賀地域の旅館などでの被災者の「2次避難」の実施について、旅館側が受け取る一人あたりの費用の低さが障害になりかねないところ、即日、特例措置として金額引き上げを意思決定し、受け入れ態勢の構築が迅速に行われることとなった。生活用水不足の問題にもいち早く着目し、仮復旧の加速のための人材派遣などの要望に加え、自衛隊のPFI船の派遣による被災者や支援者へのシャワー施設や休息場所の提供などについても本部長の古賀とともに主導した。小森は、24年1月末までで現地副本部長の職を退いた。 (石川県選出議員として)   その後も構造的な課題への取組みを中心に震災復興に積極的に関わり、衆議院の委員会での質問の機会などで、上下水道の迅速な復旧、建物解体の加速化などを訴えた。また、災害発生当時の岸田総理、松村防災担当大臣、古賀副大臣、平沼政務官など政権内でともに対応にあたった議員らとフォローアップ活動を積極的に実施。特に液状化地域の地籍の再確定にかかる年月の大幅短縮や、能登観光への支援による被災地の活性化や災害の風化防止に熱心に取り組んだ。 (経済産業大臣政務官として)  2025年10月に高市内閣で経済産業大臣政務官に任じられてからは、赤沢経済担当大臣(同年11月)や高市総理(同年12月)とともに被災地を回り、政府の新たな支援策の表明に繋げるなど、温泉旅館を含めた被災地のなりわい再建支援に取り組んでいる。
  • 経済財政 (経済運営と価格転嫁)  初当選以来一貫して、デフレからの脱却、賃上げと原資確保のための価格転嫁を主張。2025年には官公需にも価格転嫁を反映させる活動を自民党内で展開。日本経済を新たなステージに押し上げて、2040年代初頭にGDP1000兆円を目指すことも早くから提唱(2024年衆議院選挙での小森の公約)。価格転嫁に関連して、「下請法」の改正の議論に加わり、2024年夏に齋藤健経済産業大臣(当時)に法改正の要望を行った。こうした関わりを買われ、2024年秋には自民党の競争政策調査会事務局長に登用され、下請法改正などの政策に中心的に関わり続けた。これを受けて、下請法は2025年に大改正され、新たに「中小受託取引適正化法」(取適法)として事業者の保護が強化された。改正内容の中で、適用対象となる事業者の範囲の拡大(資本金要件に加えて従業員数要件を導入)は、小森が強く主張を行い続けたもの。 (経済と財政)  IMF(国際通貨基金)エコノミストを3年間務めた小森の得意分野の一つ。政府の重要文書で用いられる「経済あっての財政」について、脆弱な財政のリスクについて考慮しつつ、財政収支が先に立った経済運営ではなく、企業投資の増加と足並みを揃えて財政の改善を追求すべきと主張(月刊誌「正論」2024年9月号への寄稿「『不思議の国から目覚めれば成長する』」)。  (金融行政)  金融庁で総合政策課長や市場課長など、課室長級の管理職を5年務めた経験を背景に、2024年秋に自民党金融調査会(片山さつき調査会長)の事務局長に就任。例年春に取りまとめられて6月の「骨太の方針」に反映される金融調査会の提言には、事務局長時代はもちろんのこと、毎年、主要なメンバーとして関わっている。NISAの恒久化と抜本的拡充をはじめとする「資産運用立国実現プラン」や「地域金融力強化プラン」の策定、暗号資産の規制体系の刷新と税制の改正、東京証券取引所グロース市場の改革、非上場株式の取引の活性化など、金融庁課長時代から取り組んでいる日本経済活性化のための幅広い課題の解決に精力的に取り組んでいる。 (情報通信、放送、郵政)  初当選以来、衆議院総務委員会に所属することが多く、2023年には岸田内閣において情報通信、放送、郵政などを担当する総務大臣政務官に就任。NTT法改正の議論に参加したほか、AIに関する世界初の首脳レベルの国際会議となった英国での「AIサミット」に日本の政治家として唯一参加して、松本剛明総務大臣(当時)の代理として大臣級の国際会議に出席。また、AIサミットにあたり、欧米諸国のカウンターパートと精力的に二国間会談を実施した。政府から自民党に戻ってからは、情報通信戦略調査会の「放送法の改正に関する小委員会」事務局長として、2025年春に放送コンテンツ産業の強化・振興に向けた緊急提言をとりまとめた。また、同年秋には、NHKと民放各社が出資することによりネットワークの効率化を図ろうとする共同会社「日本ブロードキャストネットワーク」(J-bn)に関する問題について、小委員会事務局長として尽力して、解決へと導いた。 (AI)  前述のように2023年の「AIサミット」に政府を代表して参加したほか、自民党に戻ってからは、2024年2月から25年10月まで2年近くにわたり、デジタル社会推進本部の「AIの進化と実装に関するPT」(AIPT)の事務局長を務めた。24年春と25年春にそれぞれ「AIホワイトペーパー」をまとめ、変化が激しく先行きが読みにくいからこそ、立ち止まらずアジャイルに政策を進めていく必要性を説いた。党主導で政策の方向が決まる色彩が濃いAIの分野において、AI法の制定やAI戦略本部の創設、ロボティクス✕AI、エージェントAI、未公開データの重要性、ワット・ビット連携など、時代の先端のイシューに方向性を示している。
  • 安全保障  財務省主計局防衛担当主査(総括担当)、防衛省大臣官房会計課長を歴任し、国家公務員として4年間防衛予算や防衛力整備の中枢に関わり、この分野について隅から隅まで知り尽くす存在。初当選直後の2021年秋から念願としていた安全保障三文書の改訂への議論が政府や自民党内で開始され、その中で防衛計画の大綱(防衛大綱)と中期防衛力整備計画(中期防)の関係の抜本見直しなどを提案した。自民党内の安全保障調査会、国防部会での議論のほか、衆議院予算委員会分科会において、毎年必ず防衛大臣や防衛省と議論を行っている。2025年には安全保障調査会の「南西諸島の国民保護強化プロジェクトチーム」の事務局長を務めた。
  • 地域活性化 (地域交通) 2022年3月、コロナ禍により経営に大きな打撃を受けた地域の公共交通ネットワークの再生を目指す「ポストコロナの地方創生実現のための公共交通ネットワークの再構築を目指す議員連盟」が自民党の国会議員有志により結成された。小森も石川県庁企画振興部長時代に地域公共交通に関する業務に携わった経験をもとに、建設的に議論に参加した。 国による積極的な関与など、同議連がまとめた提言に基づき、翌年にかけて法改正や予算措置の拡大(新たな制度の創設)が行われた。これを受けて、小森の地元である石川県でも「みなし上下分離」方式の導入によって、北陸鉄道浅野川線と石川線の持続性の向上が図られた。
  • 北陸新幹線金沢開業対策など(※石川県庁時代)  北陸新幹線金沢開業を控えた2011年夏から2014年夏にかけて石川県庁の担当の部長(企画振興部長、総務部長)として、3年間、県内の魅力の磨き上げや首都圏への発信など新幹線開業プロジェクトの指揮をとった。有識者を招いた「STEP21県民推進会議」での議論を深めながら、「記念貨幣」及び「記念切手」の発行、北陸新幹線金沢駅舎の内装デザイン(県内の伝統工芸品の活用を含む)、石川県の観光PRマスコットキャラクター「ひゃくまんさん」の選定、都内のアンテナショップの銀座一丁目への新装移転など多彩な事業に元締めとして関わった。 (IRいしかわ鉄道)   北陸新幹線金沢開業で最も懸念が示されたのが、金沢駅以東の北陸本線を地元の第三セクター鉄道として引き受けることであった。当時、先行開業していた全国各地の並行在来線会社4社が当初計画の抜本見直しなど大変な苦戦を強いられていたことから、石川県議会からも心配の声が累次に渡って寄せられた。小森は、担当の課長(当時)の山本陽一らとともに、この問題に先頭となって取り組んだ。並行在来線準備会社の設立を行い、役員として議事を切り回した。譲渡元となるJR西日本と精力的な折衝にあたったほか、新会社の経営陣(社長、副社長)の選定、「IRいしかわ鉄道」の社名の立案、運賃体系や社員規模、社員採用計画の決定、中長期にわたる経営計画への策定、県内の基礎自治体や主要企業に対する出資などの要請、乗り継ぎ運賃の軽減などに携わり、自他ともに認める「IRいしかわ鉄道」の生みの親。小森が石川県庁から離れた2014年夏の翌年3月に北陸新幹線金沢開業となり、これを機に「IRいしかわ鉄道」も運行を開始した。「IRいしかわ鉄道」は、予想を上回る金沢開業効果や役職員の努力などにより、黒字が続いたことで当初の経営計画において期間中に予定されていた運賃の値上げを回避するなど、全国において模範となる財務状況の第三セクター鉄道会社となっている。 (北陸新幹線敦賀開業認可)  金沢開業準備と平行して、北陸新幹線金沢敦賀間の延伸について、国土交通省と沿線各県などとの折衝が行われた。小森は石川県庁の担当の部長として、2012年の敦賀延伸認可の際の当事者の一人となった。 (小松空港、能登空港)  北陸新幹線金沢開業準備の中で、小松羽田線や能登羽田線が新幹線により旅客を奪われる懸念が存在した。小森は担当の部長として、担当の空港企画課長の表正人(当時)らとともに、小松空港の国際線の充実や羽田以外の国内線の増便、新幹線に左右されないように羽田便を用いた国内乗り継ぎ便の利用促進などに取り組んだ。エバー航空による小松台北線は1年2ヶ月あまりの間に週2便から3度の増便を行い、2012年12月に念願のデイリー化を実現した。国内線では、2013年3月に小松福岡便の2便増便や小松仙台便の増便を同時に実現した。また、羽田便に関しては、全国の数十の地方空港とともに「航空乗継利用促進協議会」を新たに発足させ、航空機の乗り継ぎ利用の促進キャンペーンの実施など活発な活動を行った。同協議会は石川県企画振興部空港企画課が発足時から事務局を担っている。能登空港については、能登羽田便の一日二往復便を守るべく、2011年の東日本大震災の余波による利用者数の低迷からの復活を図り、2012年7月においても、石川県が全日本航空との間で結んでいる「搭乗率保証」の保証ラインをぎりぎり超えることに成功した。

衆議院での所属委員会

  • 経済産業委員会
  • 東日本大震災復興及び原子力問題調査特別委員会

自由民主党での役職

  • 金融調査会:事務局長
  • 競争政策調査会:事務局長
  • デジタル社会推進本部:AIの進化と実装に関するPT事務局長
  • 情報通信戦略調査会:放送法の改正に関する小委員会事務局長
  • 安全保障調査会:南西諸島の国民保護強化PT事務局長 などを歴任していた。

選挙歴

脚注

外部リンク

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