陳賀
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紀元前208年に劉邦は碭を陥落させ、現地の兵6,000人を編入した。陳賀はこの戦いの際、舍人として劉邦の陣営に加わった。
高祖元年(紀元前206年)、左司馬として漢王に封じられた劉邦に従い、漢中に入った。
後に都尉に転任し、韓信の指揮下に属して楚漢戦争を戦い、戦功により将軍に任じられた。
高祖5年(紀元前202年)、決戦の垓下の戦いで、韓信は30万の前陣として正面から項羽を迎え撃ち、孔藂が左翼、陳賀が右翼を指揮、劉邦は中軍に鎮し、周勃と柴武が後陣を受け持った。10万の楚軍を前に韓信は初戦で不利となり後退したが、陳賀と孔藂は左右両翼から同時に挟撃を仕掛け、楚軍の側面を撃破し、韓信もこれに乗じて再攻勢をかけ、楚軍を大いに破った。戦後、将軍として南方に進軍し、会稽郡の浙江と湖陽を平定した。
高祖6年(紀元前201年)、正月丙午の日、費侯に封ぜられた。前漢の建国功臣における列侯の序列は第31位であった。侯位には22年間在り、死後、圉侯と諡された。