近鉄モ5800形電車

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改造所 近畿車輛[1]
改造年 1955年(昭和30年)[1]
近鉄モ5800形電車
サ5700形電車
基本情報
運用者 近畿日本鉄道[1]
種車 モ5601形モニ5161形[1]
改造所 近畿車輛[1]
改造年 1955年(昭和30年)[1]
改造数 モ5800形 10両[2]
サ5700形 2両[2]
廃車 1979年(昭和54年)11月[3]
主要諸元
軌間 1,067 mm狭軌[4][5][6]
電気方式 直流1,500 V架空電車線方式[7]
車両定員 モ5800形 104人(座席36人)[8]
サ5700形 124人(座席44人)[8]
自重 モ5800形 30 t[8]
サ5700形 23.5 t[8]
全長 モ5800形 15,070 mm[4][* 1]
サ5700形 16,500 mm[6]
車体長 モ5800形 14,270 mm[4][* 2]
サ5700形 15,700 mm
全幅 2,740 mm[4][5][6]
車体幅 2,700 mm[4][5][6]
全高 サ5700形 3,820 mm[6]
パンタ折畳み高 モ5800形 4,150 mm[4][5]
屋根高さ 3,635 mm[4][5][6]
車体 半鋼製[4][5][6]
台車 BW 84-25-A[4][5][9]
主電動機 直流直巻電動機 WH-556-J-6[4][5]
主電動機出力 75 kW(端子電圧750 V時一時間定格)[4][5]
駆動方式 吊り掛け駆動[4][5]
歯車比 3.45 (69:20)[4][5]
定格速度 46.0 km/h[4][5]
制御方式 直並列組み合わせ抵抗制御[4][5]
制御装置 WH-AL単位スイッチ式自動加速制御器[10]
制動装置 AMA/ATA自動空気ブレーキ[10]
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近鉄モ5800形電車(きんてつモ5800がたでんしゃ)[* 3]は、近畿日本鉄道(近鉄)が1955年(昭和30年)より導入した電車制御電動車)である。同型の付随車サ5700形[* 3]とともに木造車を種車とする鋼体化改造車であり、種車と同じく南大阪線へ導入された。

後年、南大阪線系統の車両大型化に伴って1971年(昭和46年)に養老線へ転属し、1979年(昭和54年)まで運用された。

以下、本項ではモ5800形・サ5700形を総称する場合「本形式」と表記し、また編成単位の説明に際しては各編成の奇数番号の車両(奇数車)の車両番号をもって編成呼称とする(例:モ5801-モ5802の2両で組成された編成であれば「5801編成」)。

大阪電気軌道(大軌)を母体に各鉄道事業者を吸収合併して成立した近畿日本鉄道(近鉄)は、大軌自社発注車または被合併事業者から継承した多数の木造車を保有した[12]太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)8月時点では、奈良線橿原線などを管轄する上本町営業局では木造車が所属車両の過半数を占め、名古屋営業局管轄の養老線所属車両では約3割が木造車であった[12]。また、南大阪線・吉野線などを管轄する天王寺営業局でも、同局全体の約15 %に相当する16両が木造車であった[12]

これらは戦中から終戦直後の混乱期における酷使によって疲弊していたことに加えて、1950年代半ば頃にはいずれも経年が35年前後に達し、老朽化の進行によって保守に困難を来たしつつあった[2]。さらに同時期桜木町事故など車両火災事故が相次いだことを背景として、運輸省(現・国土交通省)が近鉄を含む木造車を保有する大手鉄道事業者各社に対して保有車両の防火対策を速やかに計画・実行するよう通達したこともあり[13]、早急な対処が必要な状況を迎えていた[13]

そこで近鉄では、新造車両の導入と並行して、木造車の台枠・主要機器を流用して鋼製車体を新造する鋼体化改造を実施することで、新造車両の導入のみに依拠するのと比較して低コスト・短期間で保有車両の体質改善を実現し、またこれにより同時期急増しつつあった輸送需要にも対応する計画を策定した[2]。まずは木造車の保有割合が最も高かった上本町営業局の在籍車両より鋼体化改造に着手し[12]1954年(昭和29年)より鋼体化改造車モ460形・サ300形(初代)の導入が開始された[14]。翌1955年(昭和30年)には養老線所属のモニ5001形の鋼体化改造が開始された[14]

この当時、南大阪線・吉野線系統(天王寺営業局)には大阪鉄道由来のモ5601形10両と吉野鉄道由来のモ5151形・モニ5161形6両、計16両の木造車が残存した[1]。これらの各形式のうち12両[* 4]を対象として、同様に台枠・主要機器を流用し鋼製車体を新造する鋼体化改造が1955年(昭和30年)から1956年(昭和31年)にかけて施工され、モ5601形を種車とする制御電動車モ5800形5801 - 5810(形式およびモ5801 - モ5805は初代)、およびモ5151形・モニ5161形を種車とする付随車サ5700形5701・5702(形式・記号番号とも初代)の計12両の鋼体化改造車が導入された[1]。種車となった車両との番号対照は以下のとおりである。

  • モ5600形5601 - 5606・5611・5608 - 5610 → モ5800形5801 - 5810[1]
  • モニ5161形5161・5162[* 5]サ5700形5701・5702[1]

モ460形のうち初期に竣工した1次車では台枠・主要機器のほか客用扉や窓枠といった車体の部品も種車より流用したが、後に竣工した2次車では台枠より上部の車体周りは完全新造となり、本形式も同様に完全新造されている[12]。また、モ5800形は製造時期によって車体構造が異なり、後述のとおり3つの形態に区分される[17]

改造施工は本形式を含む鋼体化改造車全車とも近畿車輛が担当した[12]

車体

(参考)800系801編成。モ5805・モ5806の前面形状は800系と同様、前面窓上部が後傾した2枚窓を備える湘南形であった。
(参考)800系801編成。
モ5805・モ5806の前面形状は800系と同様、前面窓上部が後傾した2枚窓を備える湘南形であった。

全長15 m級の、構体主要部分を普通鋼製とした半鋼製車体を備える[4][5][6]。鋼体化改造手順は全車共通で、種車の台枠から上部の構造物や床下の構体補強部材であるトラスロッドを全て解体撤去し、その台枠上に新造車体を製作している[2]

モ5800形は奇数車が橿原神宮前吉野方、偶数車が阿部野橋方の妻面にそれぞれ運転台を備える片運転台構造である[18]。車体設計は改造ロットによって異なり、1次車のモ5801 - モ5804およびサ5700形では木製屋根構造を採用し、モ5801 - モ5804の前面形状はモ460形1次車に類似した平妻2枚窓仕様である[18]。一方、2次車のうちモ5805・モ5806は屋根部を鋼製化し、幕板部から屋根部にかけての外板を連続処理した張り上げ屋根構造に変更して、前面形状を同じく2枚窓仕様ながら奈良線用車両の800系に類似した湘南形タイプへ設計変更されている[18]。さらに2次車の残るモ5807 - モ5810は張り上げ屋根構造は同様であるが前面形状を平妻貫通構造へ変更されている[18]。前面貫通扉はモ6601形以来の広幅形で、前面窓幅よりも貫通扉窓幅が大きい独特の形状となっている[14][19]。また連結面は切妻形状の貫通構造で全車統一され、運転台を持たないサ5700形は両妻面とも切妻構造となっている[4][5][6]

車体幅は全車2,700 mmであるが[4][5][6]、車体長に関してはモ5801 - モ5804・モ5807 - モ5810が14,270 mmなのに対して[4]、モ5805・モ5806は14,460 mmと異なる[5]。これはモ5805・モ5806の前面を湘南形流線形状としたことに伴って運転台側の台車中心から妻面端部にかけての寸法(オーバーハング)を延長したためで[5]、モ5801 - モ5804・モ5807 - モ5810のオーバーハングが前後とも2,563 mmの対称構造であるのに対して[4]、モ5805・モ5806は運転台側オーバーハングが2,753 mmに延長された前後非対称構造である[5]。また、種車が異なるサ5700形は種車の台枠寸法に由来して車体長15,700 mm・前後オーバーハング2,364 mmとなっている[6]

前照灯は白熱灯式で、前面屋根上中央部に1灯備える[14]。普通屋根仕様のモ5801 - モ5804は取付座を介して設置し、張り上げ屋根仕様のモ5805 - モ5810は車体一体型の円筒型ケースに収める形で設置する[14]。標識灯は全車とも露出型で、腰板下部左右に1灯ずつ備えるが[14]、モ5805・モ5806は後年標識灯を800系や6000系などと同一の角形2灯式の埋込型に改造されている[20]

側面には運転台部分に500 mm幅の乗務員扉を備え、1,000 mm幅の片開客用扉を片側3箇所備える[4][5]。戸袋窓・妻窓といった固定窓はHゴム固定支持であるが、客用扉窓のみ直接固定支持かつ横桟によって扉窓が2分割された古典的な形状となっている[11]。開閉可能な側窓は種車同様に一段落とし窓構造の1枚窓で、側面窓配置はd D 5 D 5 D 1(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である[4][5]。一方、サ5700形は前述した車体長の相違から各客用扉間の側窓が1枚ずつ増加し、側面窓配置は1 D 6 D 6 D 1となっている[6]

車体塗装は当初上半分クリーム・下半分マルーンの2色塗装とされ、前面の塗り分け線は「金太郎塗り」と俗称される円弧を描いた形状であった[14]。また、モ5805・モ5806・モ5808は快速「かもしか」用車両に指定され、一時期ライトグリーン1色塗装とされていた[10]。その後ダークグリーン1色塗装を経て最終的には近鉄マルーン1色塗装に変更されている[21]

車内座席はロングシート仕様で各客用扉間にのみ設置され、車端部は立席空間となっている[4][5][6]。車内照明は南大阪線系統で運用される車両では初採用例となる蛍光灯仕様である[18]

車両定員はモ5800形が104人(座席36人)、サ5700形が124人(座席44人)である[8]

主要機器

主要機器は基本的に種車へ搭載されていたものをそのまま流用する。

制御装置は米国ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 製の単位スイッチ式自動加速制御器(AL制御器)を各車両に搭載する[10]

主電動機は同じくWH製のWH-556-J-6直流直巻電動機(端子電圧750 V時定格出力75 kW、同定格回転数985 rpm)を1両あたり4基搭載する[4][5]。WH-556-J-6は愛知電気鉄道東武鉄道など他社でも多くの採用例がある、導入当時の日本を代表する電車用輸入電動機の1つと評される機種である[22]。大阪鉄道では同社が1923年大正12年)に日本初となる直流1,500 V電化完成時に導入したデイ1形(後の近鉄モ5601形)へ採用したことを皮切りに、デロ20形(同モ5621形)・デハ100形(同モ5651形)まで計35両分が導入された[7]歯車比は種車同様3.45 (69:20) に設定され、定格速度は46 km/hを公称する[4][5]

台車はモ5800形・サ5700形とも米国・ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス (BLW) 製のボールドウィンA形 (BW 84-25-A) を装着する[4][5][23]。サ5700形の種車であるモニ5161形はTR10系台車を装着していたが、鋼体化に際して台車交換が実施されている[9]。BW 84-25-A台車は形鋼ボルト組立型の弓形イコライザーを備える釣り合い梁式台車で、型番の「84」は固定軸間距離84インチ (2,134 mm) を、「25」は心皿荷重25000ポンド (11.34 t) をそれぞれ示し[24]、ボールドウィンA形の中でも固定軸間距離が84インチに拡大されたモデルとしては最初期の輸入例であった[23]。基礎ブレーキ装置は原形では車輪の一方からのみブレーキシューを押し付ける片押し式踏面ブレーキ仕様であったが[25]、後年の改造によって車輪両側よりブレーキシューを押し付ける両抱き式へ改造されている[26]

制動装置は種車がM三動弁を用いるAMM自動空気ブレーキであったのに対して、本形式への流用に際しては弁装置をA動作弁へ交換し、AMA/ATA自動空気ブレーキ仕様に改良した[10]

電動発電機 (MG)・電動空気圧縮機 (CP) といった補助機器はモ5800形に1両あたり1基ずつ搭載するほか、サ5700形にもMGを1基搭載する[11]

集電装置はWH製の大型菱形パンタグラフS-514をモ5800形各車の先頭寄りに1両あたり1基搭載する[4][5]

連結器は柴田式下作用型自動連結器を前後端部へ装着する[4][5][6]

運用

脚注

参考文献

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