長尾立子

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生年月日 (1933-05-01) 1933年5月1日
没年月日 (2026-01-10) 2026年1月10日(92歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都
長尾 立子
ながお りつこ
生年月日 (1933-05-01) 1933年5月1日
没年月日 (2026-01-10) 2026年1月10日(92歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都
出身校 東京大学文学部社会学科
所属政党 自由民主党
称号 旭日大綬章
日本の旗 第62代 法務大臣
内閣 第1次橋本内閣
在任期間 1996年1月11日 - 1996年11月7日
選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 1997年5月19日 - 1998年7月25日
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長尾 立子(ながお りつこ、1933年5月1日 - 2026年1月10日)は、日本政治家厚生官僚法務大臣(第62代)、参議院議員(1期)、日本社会事業大学理事長を歴任。

旧制府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)に入学したが、家庭の事情で転校し、1953年に東京都立江北高等学校を卒業(なお、第五高女に在籍したため、その後身である富士高校の同窓会にも在籍。新設都立富士高校第4回卒業生同窓会「よんの会」のメンバーでもある)。

一浪後、東京大学に入学し、文学部社会学科を卒業[1]。1958年、厚生省に入省し、年金局年金課長[2]、厚生省年金局企画課長[3]社会保険庁年金保険部長[4]、厚生省児童家庭局長[5]、厚生省社会局[6]などを歴任した。厚生省年金局年金課長時代、1978年から1979年にかけて社労族橋本龍太郎が初入閣で厚生大臣となり、橋本との信頼関係が強固となる。

橋本の強いプッシュで1992年第16回参議院議員通常選挙自由民主党公認で、比例区から立候補するが落選。

1996年1月5日、村山富市首相が退陣を表明[7]。これに伴い、自民党総裁の橋本龍太郎が首相の座に就くことになったが、橋本は就任前日の1月10日夜、加藤紘一幹事長と野中広務幹事長代理を呼び、組閣作業を一任した。野中は女性の入閣を望むも、当てにした人物はことごとく断られた。そのとき浮かんだのが長尾であった。「(注・1992年の参院選に)こっちから出てくれと言って出しておいて、当選できなかった。申し訳ないから、罪滅ぼしするとしたらあの人だ」と橋本に薦めた。打診を受けた長尾は「今さらもういいですから」と一度は断るが、熟慮ののち引け受けた[8]。1月11日発足の第1次橋本内閣女性初の法務大臣として入閣した。同年に内閣が提出した民事訴訟法法案の成立を推進した[9]民間人閣僚の法務大臣就任は、細川内閣三ヶ月章法相以来。同年11月まで務めた。法相在任中は、3人の死刑囚死刑執行を命令した。また同年には、全国社会福祉協議会(全社協)中央共同募金会全国老人クラブ連合会の会長に就任した[10]

1997年5月19日、嶋崎均の死去により参議院議員に繰り上げ当選したが[11]、翌年の次期参院選には立候補せず、政界から引退した。引退後は自由民主党党紀委員会委員に就任し、引き続き党務に関わった。

1999年から2010年まで、日本社会事業大学理事長を務めた[12]。2004年11月、旭日大綬章を受章。

社会福祉法人読売光と愛の事業団理事長も務めた[10]

2026年1月10日、老衰のため、東京都の病院で死去した[13]92歳没。訃報は同月19日に明らかになった[10]

政策

役職

  • 全国社会福祉協議会名誉会長

著書

出典・脚注

関連項目

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