1999年のワールドシリーズ
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| 1999年のワールドシリーズ | |||||||
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| シリーズ情報 | |||||||
| 試合日程 | 10月23日–27日 | ||||||
| 観客動員 | 4試合合計:21万6114人 1試合平均:5万4029人 | ||||||
| MVP | マリアノ・リベラ(NYY) | ||||||
| ALCS | NYY 4–1 BOS | ||||||
| NLCS | ATL 4–2 NYM | ||||||
| 殿堂表彰者 | ジョー・トーリ(NYY監督) デレク・ジーター(NYY内野手) マリアノ・リベラ(NYY投手) ジョン・シャーホルツ(ATL GM) ボビー・コックス(ATL監督) トム・グラビン(ATL投手) アンドリュー・ジョーンズ(ATL外野手) チッパー・ジョーンズ(ATL内野手) グレッグ・マダックス(ATL投手) ジョン・スモルツ(ATL投手) | ||||||
| チーム情報 | |||||||
| ニューヨーク・ヤンキース(NYY) | |||||||
| シリーズ出場 | 2年連続36回目 | ||||||
| GM | ブライアン・キャッシュマン | ||||||
| 監督 | ジョー・トーリ | ||||||
| シーズン成績 | 98勝64敗・勝率.605 AL東地区優勝 | ||||||
| 分配金 | 選手1人あたり30万7808.70ドル[1] | ||||||
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| アトランタ・ブレーブス(ATL) | |||||||
| シリーズ出場 | 3年ぶり9回目 | ||||||
| GM | ジョン・シャーホルツ | ||||||
| 監督 | ボビー・コックス | ||||||
| シーズン成績 | 103勝64敗・勝率.636 NL東地区優勝 | ||||||
| 分配金 | 選手1人あたり20万3542.49ドル[1] | ||||||
| 全米テレビ中継 | |||||||
| 放送局 | NBC | ||||||
| 実況 | ボブ・コスタス | ||||||
| 解説 | ジョー・モーガン | ||||||
| 平均視聴率 | 16.0%(前年比1.9ポイント上昇)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
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1999年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第95回ワールドシリーズ(英語: 95th World Series)は、10月23日から27日にかけて計4試合が開催された。その結果、ニューヨーク・ヤンキース(アメリカンリーグ)がアトランタ・ブレーブス(ナショナルリーグ)を4勝0敗で下し、2年連続25回目の優勝を果たした。
両リーグの最高勝率球団どうしがシリーズで対戦するのは、1995年の地区シリーズ導入以降では、同年以来4年ぶり[3]。両チームのシリーズでの対戦は、1996年以来3年ぶり4回目である。そのシリーズ第3戦から続くヤンキースのワールドシリーズ連勝記録は、今シリーズ全勝によって12に伸びた。これは、1927年初戦から1932年最終戦にかけてのヤンキースに並ぶ、史上最長タイ記録である[4]。シリーズMVPには、第2戦を除く3試合の救援登板全てでイニングをまたいで交代完了を記録し、4.2イニングで1勝2セーブ・防御率0.00という成績を残したヤンキースのマリアノ・リベラが選出された。
過去94回のシリーズのなかで、ヤンキースとブレーブスの対戦は3度ある。最初の対戦は1957年で、このときはブレーブスが4勝3敗でヤンキースを下した。翌1958年と1996年は、いずれもヤンキースが制した。1950年代の2度の対戦時は、ブレーブスはジョージア州アトランタではなくウィスコンシン州ミルウォーキーを本拠地にしていた。
1997年から始まったレギュラーシーズン中のインターリーグでは、3年間で計10試合が組まれており、その結果は5勝5敗の五分である[5]。この年は7月15日から17日にかけて、ヤンキースの本拠地ヤンキー・スタジアムで3連戦が行われ、ブレーブスが2勝1敗で勝ち越した。今シリーズは史上初めて、レギュラーシーズンで実現したカードの再戦となった[6]。ブレーブスのケビン・ミルウッドは、この3連戦の結果を踏まえ「優勝のチャンスは十分にあると思う」と自信をのぞかせた[7]。