明神町 (徳島市)
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河川
歴史
元は富田浦町の一部で、昭和16年より現在の町名となった。地名の由来は、六丁目に弥吉明神(大麻比古神社)が存在することによる。
江戸時代には曲尺丁・御細工人丁・裏御細工人町・東御廐丁と呼ばれた。当地域の南部を流れる御座船入江川(明神川)は、参勤交代時に藩主の御座船が発着した。
弥吉明神は正式には大麻比古神社と呼ばれ、承応2年に藩士・河野忠左衛門の子・弥吉郎が一宮の山中で発見した神像を奉祀したのが始まりといわれ、また天正10年の一宮城落城の際、城内奉祀の御神体を一宮に祀ったもので、宵宮には昭和初年頃まで、明神川川沿いの馬場で奉祀競馬が行われた。昭和20年7月3日の徳島大空襲では、市街地方面が著しい戦火を受けた。