南出来島町
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地理
歴史
江戸時代には、出来島一帯は武家地だった。現在の南出来島町の東には寺島(現在の徳島駅前方面)との間に寺島川が流れ、出来島橋(現在の国道192号の交差点付近にあり、昭和の出来島橋とは別)で寺島と結ばれていた。出来島橋は明治になると、ここから大滝山(現 眉山町大滝山)の白糸の滝が見えることから「滝見橋」と呼ばれた。この橋は明治になるまで、出来島に架かる唯一の橋だった。
明治になると、川の水運を利用した工場が建つようになった。1876年以前に仁心橋が架かり、たもとから寺島川河口にかけての石場(地名、現 新町川公園)には商家が並んだ。さらに、現存しないが、1924年に北佐古橋(現在の佐古大橋東詰の一筋北の道と佐古大橋西詰を結ぶ)、1945年に出来島橋(佐古南端との間を結ぶ)が架かった。
1953年の国民体育大会に合わせ、国道192号が敷かれ、佐古大橋が架けられた(北佐古橋は同時に、出来島橋はまもなく撤去)。
明治以降の町割では、出来島町の一部で、小字では東から
- 西土手外 - 河岸近くを通る道より川側
- 土手町北 - 中央部分
- 本丁東 - おおよそ仁心橋から北に伸びる道より東
の、それぞれ現高徳線より南部分だった(当時は現高徳線で町が分かれておらず町はその南北に伸びていた)。1941年より現在の町名となった。1975年に東出来島町の一部を編入。
地形
- 河川:新町川