寺島本町西
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歴史
江戸時代には徳島城との間を寺島川が流れ、寺島本町東と共に家老・中老の屋敷が並ぶ武家地だった。ここを東西に貫く本丁筋(現在の「ありの道」)が本通りだった。本丁筋の西端は、寺島川を越える出来島橋で出来島に通じていた。
明治には寺島町の一部で、小字では本丁筋を境として北側が寺島本町北の西半分、南側が藍場町の北部だった。
1903年、内町小学校が、現在の寺島本町西・藍場町にかけて(ただし当時は全域が藍場町)に移転し、1978年までここにあった。
1899年、現在の寺島本町西・東にかけて徳島駅が開設し、徳島市の表玄関となった。
1902年から1937年まで、米ケンタッキー州の長老派宣教師チャールズ・アレキサンダー・ローガン(1874-1955)が、現在のポッポ街中ほどに住み活動した。そのためこの付近を南北に通る(現在のポッポ街と直交する)小路がローガン小路と呼ばれた。ローガン小路は本丁筋から花畑踏切(現在の県道30号と高徳線の踏切)に通じており、線路の向こう側の西ノ丸運動場(現 内町小学校)に向かう道として人通りが多かった。
