中徳島町
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河川
歴史
江戸時代には重臣の屋敷が並ぶ武家地だった。助任橋(明治初めまでは今の助任新橋の位置にあった)のたもとには藩の会所(集会所)があり、そこから南へ伸びる道(現 国道11号の城東高校まで)とその両側の町は会所丁と呼ばれた。助任川河岸は北浜と呼ばれ、松並木があった(一部が現存)。
明治には徳島本町・新蔵町と共に徳島町の一部で、字は会所町・裏町・本丁北の一部だった。おおよそ、現1丁目が会所町・裏町、2丁目が本丁北部分にあたる。
1902年4月15日、蜂須賀駿河屋敷跡(現 城東高校)に、県立徳島高等女学校(のちの城東高校)に併設して徳島県師範学校女子部が開校した。
1941年、北徳島町・徳島本町・新蔵町・中洲町と共に徳島町から分離され、現在の町名となった。1975年に北徳島町の一部を編入し、中徳島町の一部が徳島町となった。
1957年11月1日、徳島市立動物園(現 とくしま動物園)が開園したが、1997年12月28日閉園。埋蔵文化財発掘調査ののち徳島文化公園となった。
小中学校の学区
施設
公園
企業
教育
- 徳島県立城東高等学校 - 1丁目。
かつて存在した施設
- 徳島市立動物園 - 2丁目。1957年~1997年。とくしま動物園として市内渋野町入道に移転。
- 徳島県立聾学校 - 2丁目。1949年~2014年。徳島県立徳島聴覚支援学校として南二軒屋町に移転し徳島県立徳島視覚支援学校と併設された。