長崎県の市町村章一覧

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長崎県の市町村章一覧(ながさきけんのしちょうそんしょういちらん)は、長崎県内の市町村に制定されている、あるいは制定されていた市町村章の一覧である。なお、一覧の順序は全国地方公共団体コード順による。廃止された市町村章は廃止日から順に掲載している。

市章由来制定日備考
長崎市外形は草書体「長」を表し、鶴の港を象徴して折鶴の形を星状に配し、五つの「市」を加えたもの[1][2][3]1900年5月2日[1][3]
佐世保市「サセホ」を組み合わせ、意匠化したもの[1][4]1911年10月20日[1][4]
島原市「4マ」を表したもの[4]1940年4月1日[4]
諫早市「い」を図案化したもの[3]2005年1月1日[3]左側は濃紺色・右側は緑色が指定されている[5]
2代目の市章である
大村市六つの「ラ」で「村」・「大」を表したもの[6][3]1948年1月1日[3][7]
平戸市「ひ」を図案化し、丸を表したもの[8]2005年10月1日[8]2代目の市章である
松浦市「M」を図案化したもの[8]2006年1月1日[8]色は左の弧が緑色・右の弧が青色・上部の円が赤色に指定されている[9]
2代目の市章である
対馬市「つ」を六つ使っているものを表している[4]2004年3月1日[4]色は暗緑色がかった青色が指定されている[10]
壱岐市人間太陽を表している[3]2004年3月1日[3]色は人の部分は青色と・楕円は緑色・小円は赤が指定されている[11]
五島市「G」を図案化したもの[3]2004年8月1日[3]色は緑色・青色・赤色が指定されている[12]
西海市「S」を図案化かつ意匠化し、その文字に沿って五つの円を配したもの[4]2004年8月1日[4]色は青色が指定されている[13]
雲仙市「U」を図案化したもの[3]2005年10月11日[3]色は青色・緑色・太陽は橙色が指定されている[14]
南島原市「M」を基本にし、有明海天草灘早崎瀬戸などの海と雲仙岳などの山々を図案化したもの[8]2006年3月31日[8]色は群青色と赤色が指定されている[15]

町村部

町村町村章由来制定日備考
西彼杵郡長与町「ナ」を円と両翼で図案化したもの[16][4]1967年[4]長与村章として制定され、町制施行後に継承される
時津町「と」を時計の針の如く図案化したもの[17][4]1951年12月1日[4]
東彼杵郡東彼杵町「ヒ」・「ソ」を組み合わせ、鳥の形にしたもの[18][4]1968年6月[4][19]
川棚町「カワ」で円を象り、中央に「タナ」を配してから、丸くし、図案化したもの[20][3]1957年[3]当時の川棚町長の竹内清吾の作品である[20]
波佐見町「ハサミ」を図案化し、「ハ」は円型・「サミ」は上に開いたもの[21][4]1962年2月8日[4]
北松浦郡小値賀町「小」を図案化したもの[3]1975年3月23日[3]
佐々町「サ」を図案化したもの[4]1976年4月17日[4]
南松浦郡新上五島町椿と「K」・「G」を表している[4]2004年10月19日[4]

廃止された市町村章

市郡町村市町村章由来制定日廃止日備考
西彼杵郡高島町三つの小さな輪は高島町・鉱業所・労働者を表し、それらを囲む輪は平和と家族の円満を意味したもの[22]1969年10月[22][23]1996年12月2日初代の町章である
鉱業所が閉されたことで町章として相応しくない為に変更された[22][24]
壱岐郡郷ノ浦町「ゴ」・郷ノ浦港を円形に図案化したもの[25][26]1955年12月[26]2004年3月1日
勝本町「か」を左右の翼の形に図案化したもの[27][26]1973年9月[26]
芦辺町三つの「ア」を図案化したもの[26]1961年9月[26][28]
石田町「イシ田」を組み合わせ、意匠化したもの[26]1967年[26]
下県郡厳原町「イヅハラ」を図案化したもの[29]1967年3月30日[30][31]
美津島町「つ」の組み合わせにより全体が出来、中側に浅野湾を頂いたもの[32][33]1964年4月[34]
豊玉町全体は「と」を図案化し、「▼」は末広がり・「C」は玉を表したもの[35]1970年9月10日[36]1970年3月10日に公表され、同年9月10日に制定される[36]
豊玉村章として制定され、町制施行後に継承された
上県郡峰町「ミ」を図案化し、山を象る三角形を表したもの[37]1971年3月24日[38]峰村章として制定され、町制施行後に継承された
上県町「カミ」を結んで図案化し、大きく広げた姿を翼で表したもの[39][40]1967年4月[40]
上対馬町「カミ」を鳩の形に意匠化したもの[41]1966年11月4日[42]
福江市「フク」を翼上に図案化したもの[43]1954年6月10日[43]2004年8月1日
南松浦郡富江町三つ組み合わせた「と」円やかな三つの曲線にして、それでサンゴを想像してから、そして、「とみ」を意味し、それらを意匠化したもの[44][45][46]1922年9月1日[44]
玉之浦町「玉」を異形にし、波で囲むのを象徴し、意匠化したもの[47][48]1980年[48]
三井楽町三つの「い」をアレンジして配置し、中央の円は「楽」を表したもの[49]1978年10月2日[50]
岐宿町「き」を円形に図案化し、中央の空白は町のポイントとして「和」を表したもの[51][52]1971年[53]
奈留町全体は宝船であり、七つの「ル」で「ナル」を表したもの[54]不明1973年以前には制定されていた[55]
若松町「ワ」を便化し、波頭で納めて表したもの[56]1966年9月25日[56]1966年9月10日に公表され、同年9月25日に制定された[56]
上五島町「カミ」を結んで図案化し、外側の円・内側の円は海を表したもの[57]1966年10月1日[58]
新魚目町上側は「ウ」を配し、両翼は「シン」を図案化し、更に下側の円は融和・平和・団結を表したもの[59]1969年9月20日[60][61]
有川町全体は太陽であり、「ア」を右に、「リ」を左に、外側の丸の上下を合わせて「川」を中心にいれたものである[62][63]1961年10月17日[62]色は地色はコバルト色であり、紋章は白色が指定されている[62]
奈良尾町「な」を魚型に図案化したもの[64][65]1961年11月[65]
西彼杵郡香焼町長崎港を表す鶴の港の中に折り鶴の形にして「こ」を図案化したもの[66]1962年3月25日[67]2005年1月4日色は青色が指定されている[66]
当時、在職していた香焼町立香焼中学校の教師の作品である[68]
伊王島町「い」を円形化て、同時に左右は伊王島・沖之島を表したもの[69][70]1962年5月20日[67]
高島町全体は「T」を表し、青色(町民の和を表す)の両手(町民を表す)で赤丸を差し伸べたもの[24]1996年12月2日[67]1996年12月2日に制定され、1997年4月1日に使用される[67][24]
色は赤色と青色が指定されている[24]
2代目の町章である
野母崎町「の」を逞しく描き、中心部は野母崎を表したもの[71][72][73]1956年1月1日[67]
三和町三つの「ワ」を放射線状に組み合わせ、「○」を表したもの[74]1969年2月11日[75][67]当時、在籍していた長崎県立長崎南高等学校の2年生の男子生徒の作品である[75]
外海町「外」を波上にして意匠化したもの[76]1975年12月20日[67]
諫早市「イ」を三つ外向きに配置し、全体を早の字に形どり、「イ三早」としたもの[77]1940年10月28日[77]2005年3月31日初代の市章である
西彼杵郡多良見町「た」を翼上に意匠化したもの[78]1971年[78]
北高来郡森山町「森」を図案化し、三方に広がる「木」を表したもの[79]1969年4月1日[79]色は緑色が指定されている[79]
飯盛町「い」を図案化し、二人の人間が手を取り合った姿を図案化した円は「輪(和)」を表したもの[80][81]1965年4月1日[82]色は円の部分は赤色が指定されている[81]
当時の1955年3月31日から1961年7月1日まで・1964年1月25日から1966年7月21日までの飯盛町助役の山口惣右エ門の作品である[82][80]
飯盛村章(制定日不明[82])と制定され、町制施行後に継承された
高来町円の上半分は「タ」・下半分は「カ」・中心部で「キ」を表したもの[83]1974年12月[84]
小長井町「小長井」を図案化したもの[85]1956年11月[86]小長井村章として制定され、町制施行後に継承された
西彼杵郡西彼町「S」を取り、西海橋に形容し、真珠を真円に描いたものを図案化したもの[87]1965年6月1日[87]2005年4月1日西彼村章として制定されたものを町制施行後に継承された
西海町「サ」を図案化し、三角形を虚空蔵山として中心に描き、円は大村湾内海五島灘縁海)に面する地勢と町民の融和を示したもの[88][89]1975年1月1日[90]
大島町「大シマ」を波しぶきにし、円形に図案化したもの[91][92]1959年4月[92]
崎戸町三つの線で「サキト」を図案化したもの[93]1938年12月[93]旧・崎戸町制時に制定され、新町制時に継承された
1938年10月に公表され、同年12月に制定される[94]
大瀬戸町右の半月は、町の東に位置する多以良瀬戸雪浦の陸地を、左の円は松島を形どったもの[95]1965年5月1日[95]
北松浦郡吉井町「吉井」を組み合わせたもの[96][97]1951年12月1日[96][97]吉井村制時の1932年吉井村立吉井小学校の新校舎の落成を記念して、校章を制定したものを1951年12月1日の町制施行時に吉井町章として採用された[96][97]
世知原町外枠は「の実」を形どり、中心に「セ」を配している[98]1960年11月3日[98]
平戸市円内の文字は、南蛮貿易の時に渡航目的に使用された南蛮船と飛ぶ鳥を図案化し、「平」を表したもの[99]1955年1月1日[100]2005年10月1日1955年12月20日に再制定された[99]
初代の市章である
北松浦郡田平町「田平」を重ねて翼の形に図案化したもの[99]1960年5月[99]
生月町「生月」を意匠化したもので「生」を中心に輪郭に「月」を図案化したもの[99]1966年2月24日[99]
大島村「大」を図案化し、下部を円形にしたもの[99]1977年2月8日[99]
南高来郡国見町「クニミ」を図案化したもので、「ミ」の広がりは、羽ばたく翼を形どったもの[101]1968年2月[101]2005年10月11日
瑞穂町「瑞」の周りに三つの「ホ」を配したもの[102]1969年4月1日[102]
吾妻町「ア」を三本組み合わせて果実を表し、「ア」の三本の縦棒は山を表したもの[103]1974年4月1日[103]
愛野町「ア」を変形したもの[104]1969年1月3日[104]1969年10月7日に1回目の公表、同年10月18日に2回目の公表、同年11月3日に制定される[105]
千々石町左右の千千の二字で「○(和)」を形成し、相互調和の形での組合せにより、端的に表したもの[106]1962年12月24日[106]
小浜町国見岳・妙見岳・普賢岳の山群で「小」を形づくり、波の形は橘湾を表したもの[107][108]1970年1月1日[108]
南串山町「串山」を力強く形どり、山の中心線を下部へ指して「南」を表現したもの[109]1963年10月1日[109]
南高来郡有明町「A」を図案化したもの[110]1966年3月[110]2006年1月1日
松浦市「ま」を図案化したもの[100]1955年12月26日[100]色は群青色が指定されている[111]
初代の市章である
北松浦郡福島町町の花であるツバキを形どり、花弁で「ふ」を表したもの[112][113]1966年5月27日[113][114][112]
鷹島町「タカ」を波頭と羽ばたく翼を想像し、意匠化したもの[115][113]1978年6月1日[115][113]2代目の町章である
西彼杵郡琴海町「琴」を飛躍の鳥に象ったもの[116]1966年11月[116]2006年1月4日琴海村章として制定されたものを町制施行後に継承された
南高来郡加津佐町「加」を中心に「ツサ」で丸く囲みの型で安定させたもの[117]1961年6月1日[117]2006年3月31日
口之津町「口」を図案化し、口之津港を表したもの[118]1889年4月1日[119]
(推定日[119]
口之津村章として制定され、町制施行後に継承される[119]
1889年4月1日町村制施行頃に制定されたもので明確な日付は不明である[119]
南有馬町「ミナミ」を左がきに三組に読めるように円形に描き、「十」は原城十字架を表したもの[120][121][122]1960年前後1964年以前に制定されていた
(公募で制定された)
北有馬町「北」を表したもの[117]1966年6月[117]北有馬村章として制定されたものを町制施行後に継承された
西有家町二個の「ア」で「西」の形に構成し、中央は「エ」を配し、波頭を表したもの[117]1962年4月19日[123][117]
有家町「あ」を図案化したもの[117]1965年9月30日[124][117]
布津町「ふ」を円形に図案化し、全体は地形を表したもの[117][125]1980年1月31日[125]1980年4月1日に再制定された[117]
深江町「深」を図案化したもの[117]1967年8月11日[117][126]
北松浦郡宇久町「う」を円形に図案化したもの[127]1955年[128]1977年1月に再制定された[129]
小佐々町「小」を三重の円で中央に置き、「ササ」を図案化したもの[130][131]1950年[131]当時の日鉄矢岳炭鉱の社員の作品である[132]
北松浦郡江迎町「エムカエ」を表し、「カ」は町の活力・両方の「エ」は翼の形を表している[133][3]1965年4月1日[3]2010年3月31日
鹿町町「シカ」を組み合わせて円に纏め、図案化したもの[134][3]1967年10月1日[3]

参考文献

脚注

関連項目

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