マニウス・クリウス・デンタトゥスの勝利
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ロシア語: Триумф полководца Мания Курия Дантата 英語: Triumph of Manius Curius Dentatus | |
| 作者 | ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ |
|---|---|
| 製作年 | 1730年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 550 cm × 322 cm (220 in × 127 in) |
| 所蔵 | エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク |
『マニウス・クリウス・デンタトゥスの勝利』(マニウス・クリウス・デンタトゥスのしょうり、露: Триумф полководца Мания Курия Дантата, 英: Triumph of Manius Curius Dentatus)[1]、または『皇帝の凱旋式』(こうていのがいせんしき)[2]は、18世紀イタリア・ロココ期の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが1730年ごろにキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1890年にアレクサンドル・アレクドロヴィッチ・ポロフツォフ (Aleksandr Aleksandrovič Polovtsov) のコレクションからスティーグリッツ (Stieglitz)・アカデミー (装飾・応用芸術美術館) に寄贈され[1]、現在はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されている[1][2]。
本作は、古代ローマの歴史を表す10点の連作のうちの1点であった。これら10点は、サン・パンタロン教会近くのドルソドゥーロ地区にあるドルフィン家の宮殿カ・ドルフィン大広間を装飾するためのもので[1][3]、ドルフィン家の人々が登場するヴェネツィアの栄光を描くニコロ・バンビーニの天井画の下に設置された[4]。ティエポロが1725-1730年の修業時代の終わりに制作した画家最初の連作となっている。
この連作を当時もっとも有名であった画家ティエポロに注文したのは、70歳で駐コンスタンティノープル大使として赴任すべく出発しようとしていたダニエーレ3世ジョヴァンニ・ドルフィン (1654-1729年) であった。ティエポロへの依頼を決めたのは、ジョヴァンニの兄ディオニジオ・ドルフィン (1663-1734年) に勧められたからで、ディオニジオはすでに画家にウーディネのパトリアルカーレ宮殿のフレスコ画装飾を依頼していた[5]。
歴史
1872年、ミケランジェロ・グッゲンハイムの仲介で、大広間の10点の連作はオイゲン・ミラー・フォン・アイヒホルツ (Eugen Miller von Aichholz) 男爵に売却され[6]、連作は大きな鏡に置き換えられた。男爵は連作中の5点を自身のウィーンの宮殿に掛け、本作『マニウス・クリウス・デンタトゥスの勝利』と他の4点の『コリオラヌスに祈るウォルムニアと息子たち (Volumnia e i figli che pregano Corialano)』[7]、『ムキウス・スカエウォラとポルセンナ (Muzio Scevola e Porsenna)』[8]、『カルタゴ議会前のファビウス・マクシムス (Fabio Massimo davanti al senato cartaginese e Dittatura)』[9]、『キンキナトゥス1世に与えられる独裁権 (Dittatura offerta a Cincinnato I)』[10]をサンクトペテルブルクの貴族アレクサンドル・アレクドロヴィッチ・ポロフツォフに売却した。5点はポロフツォフからスティーグリッツ・アカデミーに譲渡されたが、1934年にはエルミタージュ美術館に移された。
オイゲン・ミラー・フォン・アイヒホルツ男爵のウィーンの宮殿に掛けられた5点の作品は、1919年にトリエステの銀行家カミッロ・カスティッリオーニ (Camillo Castiglioni) に売却された。そのうち、『ブルトゥスとアルンス』および『ハスドゥルバルの頭を見つめるハンニバル (Annibale contempla la testa di Asdrubale)』はウィーンの美術史美術館に寄贈された[11]が、男爵は残りの3点の『ウェルケラエの戦い』、『カルタゴの征服』、そして『マリウスの勝利 』をスイスに輸出する許可を得た。その後、それら3点の絵画は1934年にアメリカの個人蔵となり、次いでメトロポリタン美術館に寄贈された[12]。
作品
古代ローマの著述家プルタルコスの『対比列伝』によれば、ローマの指揮官マニウス・クリウス・デンタトゥスは、紀元前275年にのエピロスの王ピュロスの軍勢を打ち破った[1]。ティエポロは、ローマ軍の凱旋の行進を画面奥から鑑賞者に向かってくるような迫力で描く[2]と同時に、果てしなく続く色彩豊かな行列として表している[1]。ローマ人はポエニ戦争でゾウを荷物運搬用に用いたが、画面に見るようにゾウは戦勝をも表すようになった[2]。ピュロスから奪ったゾウの背に跨っているのは、指揮官マニウスその人である[1]。
画家は、個々の人物よりも渦巻く色彩豊かな群衆が表す全体的な印象を描くことに関心を持っている[1]。画面前景右側に見られる捕虜の衣服の赤色と、上方に広がる空の青色が対照的である。その間に行列を「く」の字型に配し、前景にのみ光を当てて中心部が強調されており、周到な構図上の工夫のあとがうかがえる[2]。