ルノー・RE50

From Wikipedia, the free encyclopedia

コンストラクター ルノー
デザイナー ミッシェル・テツ[1]
ベルナール・デュド
先代 RE40
ルノー・RE50
カテゴリー F1
コンストラクター ルノー
デザイナー ミッシェル・テツ[1]
ベルナール・デュド
先代 RE40
後継 RE60
主要諸元[2]
シャシー カーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) フォーク / スプリング / デルタアーム
サスペンション(後) フォーク / スプリング / デルタアーム
トレッド 前:1,802 mm (70.9 in)
後:1,670 mm (66 in)
ホイールベース 2,680 mm (105.5 in)
エンジン ルノー・ゴルディーニ EF4, 1,492 cc (91.0 cu in), 90° V6, ターボ, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ヒューランド / ルノー, 5速 MT
重量 540 kg (1,190.5 lb)
燃料 エルフ
タイヤ ミシュラン
主要成績
チーム エキップ・ルノー エルフ
ドライバー 15. フランスの旗 パトリック・タンベイ
16. イギリスの旗 デレック・ワーウィック
33. フランスの旗 フィリップ・ストレイフ
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1984年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
16012
テンプレートを表示

ルノー・RE50 (Renault RE50) は、ルノー・スポール1984年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーフェラーリから移籍したパトリック・タンベイと、トールマンでの3シーズンを過ごしたデレック・ワーウィックがドライブした。2位が3回と3位が2回という成績であったが、1978年RS01以来ファクトリーチームが初めて1勝も挙げられないシーズンとなった。

RE50は、フェラーリで2勝の経験があるタンベイと実力を持つワーウィックが、前シーズンプロストが4勝を挙げたRE40の発展型をドライブすると言うことで期待された。果たして車は速かったものの、いくつかの問題を抱えチームもドライバーもそれを克服できなかった。ルノー・EF4エンジンは800 bhp (597 kW; 811 PS)を発揮したが、ドライバーが2、3位に挑戦するには燃料消費が多すぎた。この問題はルノーエンジンを使用するロータス・95T(元リジェのデザイナーであり、1984年にロータスに加入したジェラール・ドゥカルージュが設計した)と言った他の車と同じ問題であった。1984年のF1マシンは燃料搭載量が220リッターに制限され、再給油も禁止されていたため、ルノーは新たな燃料モニタリング装置を搭載したにもかかわらず、この問題を克服することはできなかった。もう一つの大きな問題は、従来のアルミニウムよりも強度が高いカーボンファイバーで作られていたにもかかわらず、モノコックが壊れやすかったということであった。この脆弱性によりワーウィックはディジョンとモナコでのクラッシュで脚を負傷し、タンベイはモナコの第1コーナーでクラッシュしたワーウィック車に突っ込み左脚を負傷した。両名ともカーボン製のモノコックを突き抜けたサスペンションアームによって脚を負傷することとなった。

レース戦績

タンベイとワーウィック(加えてテストドライバーのフィリップ・ストレイフがシーズン終盤のポルトガルでドライブした。)が獲得した34ポイントで、ルノーはコンストラクターズランキング5位となった。ワーウィックは23ポイント(2位2回、3位2回、4位1回)、タンベイは11ポイント(2位1回、5位2回、6位1回)を獲得し、両名ともファステストラップを1回獲得している。タンベイはフランスで84年シーズンチームにとって唯一のポールポジションを獲得した。彼はこのレースでトップを48周走行し、マクラーレンニキ・ラウダに次ぐ2位を獲得した(ラウダはこの年、チームメイトのプロストを0.5ポイント差で抑えタイトルを獲得した。)。これはまた、第1期ルノーのターボエンジンにとって最後のポールポジションであった。

1985年にチームはRE50に代えてRE60を投入した。

F1における全成績

参照

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI