下老袋

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下老袋
川越運動公園
川越運動公園
下老袋の位置(埼玉県内)
下老袋
下老袋
下老袋の位置
北緯35度56分10.85秒 東経139度31分55.51秒 / 北緯35.9363472度 東経139.5320861度 / 35.9363472; 139.5320861
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 川越市
地区 古谷地区
人口
2026年(令和8年)1月1日現在)[1]
  合計 446人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
350-0848[2]
市外局番 049[3]
ナンバープレート 川越
座標は下老袋氷川神社を示す。
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下老袋(しもおいぶくろ)は、埼玉県川越市大字郵便番号は350-0848[2]

河川

川越市の北東部で、荒川入間川右岸側の沖積平野に位置する農業的土地利用の比重が高い区域。 東側で大字東本宿、南側で大字古谷上、西側で大字鴨田、北側で大字石田本郷や大字中老袋と隣接する。また、東本宿を挟んだ北東側の場所に飛地があり、そこでは上尾市大字平方やその飛地、さいたま市西区大字宝来の飛地、大字中老袋とも隣接する。 上老袋西境付近に端を発する古川と称する入間川の廃河川や、それを改修した古川排水路(麦生川)およびその河跡湖がある。旧河道の一部は埋め立てられ、川越運動公園が造成されているが、かつての河道に沿って複雑に屈曲する下老袋の境界線がその名残をとどめている[4]。背の高い入間川の右岸堤防が南北に設けられ、荒川と入間川の間の背割堤天端埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線荒川サイクリングロード)が通る。 地内は市街化調整区域[5]、主に水田などの農地である。民家は川越運動公園の東側や大字東本宿の境界付近の自然堤防[6]でやや纏まって見られるが、それ以外は疎らである。また、荒川や入間川の広大な堤外地(河川敷)が広がり、近郊緑地保全区域[5]に指定されている。その堤外地にはゴルフ場などのレクリエーション施設がある。

  • 荒川
  • 入間川
  • 古川・古川排水路・麦生川 - 入間川の旧流路[7]
  • 旧古川排水路 - 運動公園を囲むように流れ、古川排水路(麦生川)に合流する。

歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国比企郡川島領に属する下老袋村であった[8][9]1693年元禄6年)に検地が実施された際に老袋村より上老袋村・中老袋村・下老袋村・戸崎村・本宿村・鹿飼村・川口村に分村したと云う[9]。分村後も7ヶ村は組合を結成して諸役を負担したと云う[8]。古くは戦国期には北条氏康に仕えていた、道祖土康成の居城である老袋城がこの地にあったと伝わる[8]。 村高は『元禄郷帳』によると212余、『天保郷帳』によると231石余であった[8]化政期の戸数は45軒で、村の規模は東西7、8、南北10町余であった。新田検地は1728年享保13年)と1732年(享保17年)に実施された[8]。下老村の北東に飛地を領していた[8]。 村の東端(現在の下老袋農民センターや、稲荷神社の東方)を流れていた荒川には、舟二艘を有する渡船である「老袋の渡し」があり、中山道大宮宿と川越の城下町を結んていた[10][8]1629年寛永6年)に荒川(現、元荒川)の流れが付け替えられ(利根川東遷事業)、この辺り一帯は水害常襲地と化し、毎年のように水害に見舞われた[8]

小字

  • 東通・前川久保・新工・笹原・岡通・吹上・清蔵野・弁才天・灰俵・新橋・宮脇[16]

世帯数と人口

2026年令和8年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字世帯数人口
下老袋 182世帯 446人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17]

大字番地小学校中学校
下老袋全域川越市立古谷小学校川越市立東中学校

交通

地区内に鉄道は敷設されていない。

道路

バス

施設など

  • 川越運動公園(川越総合運動公園)
    • 川越運動公園総合体育館
  • 芳野台こども園
  • 下老袋氷川神社
  • 稲荷神社
  • 老袋浄水場 - 下老袋氷川神社の北側隣接地に所在
  • 川越聖地霊園
  • トワーム小江戸病院
  • リバーサイドフェニックスゴルフクラブ(旧称、川越初雁カントリークラブ) - 飛地に所在
  • 下老袋農民センター(公民館)
  • 下老袋児童遊園
  • 蔵根公民館
過去の施設
  • 天台宗玉泉寺[8] - 現在は下老袋農民センターがある。墓地が残る。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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