下老袋
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河川
川越市の北東部で、荒川や入間川右岸側の沖積平野に位置する農業的土地利用の比重が高い区域。 東側で大字東本宿、南側で大字古谷上、西側で大字鴨田、北側で大字石田本郷や大字中老袋と隣接する。また、東本宿を挟んだ北東側の場所に飛地があり、そこでは上尾市大字平方やその飛地、さいたま市西区大字宝来の飛地、大字中老袋とも隣接する。 上老袋西境付近に端を発する古川と称する入間川の廃河川や、それを改修した古川排水路(麦生川)およびその河跡湖がある。旧河道の一部は埋め立てられ、川越運動公園が造成されているが、かつての河道に沿って複雑に屈曲する下老袋の境界線がその名残をとどめている[4]。背の高い入間川の右岸堤防が南北に設けられ、荒川と入間川の間の背割堤の天端を埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(荒川サイクリングロード)が通る。 地内は市街化調整区域で[5]、主に水田などの農地である。民家は川越運動公園の東側や大字東本宿の境界付近の自然堤防上[6]でやや纏まって見られるが、それ以外は疎らである。また、荒川や入間川の広大な堤外地(河川敷)が広がり、近郊緑地保全区域[5]に指定されている。その堤外地にはゴルフ場などのレクリエーション施設がある。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国比企郡川島領に属する下老袋村であった[8][9]。 1693年(元禄6年)に検地が実施された際に老袋村より上老袋村・中老袋村・下老袋村・戸崎村・本宿村・鹿飼村・川口村に分村したと云う[9]。分村後も7ヶ村は組合を結成して諸役を負担したと云う[8]。古くは戦国期には北条氏康に仕えていた、道祖土康成の居城である老袋城がこの地にあったと伝わる[8]。 村高は『元禄郷帳』によると212石余、『天保郷帳』によると231石余であった[8]。化政期の戸数は45軒で、村の規模は東西7、8町、南北10町余であった。新田検地は1728年(享保13年)と1732年(享保17年)に実施された[8]。下老村の北東に飛地を領していた[8]。 村の東端(現在の下老袋農民センターや、稲荷神社の東方)を流れていた荒川には、舟二艘を有する渡船である「老袋の渡し」があり、中山道大宮宿と川越の城下町を結んていた[10][8]。 1629年(寛永6年)に荒川(現、元荒川)の流れが付け替えられ(利根川東遷事業)、この辺り一帯は水害常襲地と化し、毎年のように水害に見舞われた[8]。
- はじめは川越藩領で1694年(元禄7年)より幕府領となる[8]。
- 1680年(延宝8年)[8]に入間川が松平伊豆守信輝によって直線的な流路に河川改修される[11]。水除堤はまだ設けられなかった。これにより下老袋村は入間川の右岸側に位置するようになる。元の流れは現在の古川と称する廃河川や古川排水路に沿っていた。
- 幕末の時点では比企郡に属し、木村飛騨守支配所が管轄する幕府領であった。
- 1868年(慶応4年)6月29日 - 旧幕府領が韮山県の管轄となる。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 廃藩置県後の第1次府県統合により、韮山県が廃止され、入間県の管轄となる[12]。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併し、熊谷県となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した比企郡に属す。郡役所は松山町に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 下老袋村が上老袋村、中老袋村、東本宿村、鹿飼村と合併して植木村となり、植木村の大字下老袋となる[13]。
- 1890年(明治23年) - 荒川の水害により地内が水没する被害を受ける。1898年(明治31年)にも同様に被災した[13]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 比企郡が改めて発足され、それに伴い所属郡が比企郡から入間郡に変更される。
- 1938年(昭和13年)5月1日 - 植木村南部の大字下老袋、大字東本宿が古谷村へ分割編入され、古谷村の大字となる。
- 時期不明(昭和17年頃) - 1910年(明治43年)8月に起きた明治43年の大水害を契機に、荒川の河川改修が1920年(大正9年)より実施され、荒川や入間川の流路が現在の流路に変更され、広大な河川敷が整備された[14]。これにより、地区の東部が、両河川の広大な河川区域となる。また、「老袋の渡し」がこの時廃止される[10]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 古谷村が川越市に編入され、川越市の大字となる。
- 2000年(平成12年)度 - 1982年(昭和57年)より整備着手された川越運動公園が完成する。
- 2018年(平成30年)6月 - 地内に芳野台こども園が設立される[15]。
小字
- 東通・前川久保・新工・笹原・岡通・吹上・清蔵野・弁才天・灰俵・新橋・宮脇[16]
世帯数と人口
小・中学校の学区
交通
地区内に鉄道は敷設されていない。
道路
- 埼玉県道51号川越上尾線 - 飛地の北東端でかすめる。
- 埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線 - 東端部でかすめる。
バス
- 東武バスウエスト川越営業事務所
- 市内循環バス「川越シャトル」
- 地区内に40系統(埼玉医大 - 川越運動公園 - グリーンパーク - 南古谷駅)のコミュニティバスが設定され、「川越運動公園」バス停留所が設置されている。