仙波町
埼玉県川越市の町名
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地理
川越市の中心市街地の南東部に位置し、東側は新河岸川を挟んで大仙波と、南側は岸町・富士見町と、西側は菅原町・南通町と、北側は西小仙波町・小仙波町とそれぞれ接している。町域を田の字型に区切る形で、北西に一丁目、南西に二丁目、北東に三丁目、南東に四丁目が位置する[4]。
川越台地または仙波台地[5]と呼ばれる舌状台地上にあり、台地から新河岸川へと下る仙波町三丁目・四丁目には急勾配がある。特に仙波町四丁目の一部は土砂災害特別警戒区域に指定されている[6]。
仙波町一丁目・二丁目が第二種中高層住居専用地域および都市機能誘導地域に、三丁目・四丁目が第一種中高層住居専用地域にそれぞれ指定されている。町内を東西に横切る都市計画道路沿いは第二種住居地域、南北に走る都市計画道路沿いは第一種住居地域に指定されている。さらに仙波町四丁目を通る国道16号(都市計画道路3・4・4川越環状線)沿道は準住居地域に指定されている。町内には生産緑地が点在している[7]。
歴史
縄文海進の時期には仙波付近が海岸で、仙波町三丁目の弁天西遺跡は当時から続く集落跡とされる[8]。地名の読み「センバ」は狭い場所の意味とされ、日本各地に見られる[9]。喜多院の開山とも伝えられる仙芳仙人が付近の入江を陸地に変えたことから、仙波という地名になったという伝承が残っている[10]が、『新編武蔵風土記稿』はこれを「覚束ナキ説ナリ」としている[11]。平安時代末期に興った仙波氏がこの地域を領し[11]、隣接する小仙波を含めた地域一体を山田庄仙波郷と称していたが、後に小仙波と大仙波に分けられた[12]。
明治維新後、入間県においては大仙波村・大仙波新田・小仙波村・伊佐沼村・岸村によって第一大区第二小区が構成され[13]、1889年(明治22年)の町村制施行時は小仙波を除く4ヶ村で仙波村が成立した[14]。1922年(大正11年)に仙波村が川越町と合併し川越市が成立すると、翌1923年(大正12年)に制定された川越市区設置規程[15]によって大字大仙波は仙波町区となった[16]。1952年の地図には仙波町[17]の名が見られ、また天然寺[18]や川越市立川越第一中学校の住所[19]として大仙波町の名が見られる。
1962年(昭和37年)、川越市中心部において第二次の町名・地番整理が2段階に分けて実施され、8月1日の第2回整理で仙波町一丁目~四丁目となった。このとき、旧仙波町の北端の一部は小仙波町四丁目と五丁目にそれぞれ統合され、南端の一部は菅原町の一部とともに富士見町となった[20]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
町域に小・中学校はない。川越市立仙波小学校はかつて大仙波にあったことからその名がついたが、前述の通り町名・地番整理で富士見町に含まれることとなった。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[21]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 仙波町一丁目 | 全域 | 川越市立川越第一小学校 | 川越市立川越第一中学校 |
| 仙波町二丁目 | 全域 | 川越市立仙波小学校 | |
| 仙波町三丁目 | 全域 | 川越市立川越第一小学校 | |
| 仙波町四丁目 | 全域 | 川越市立仙波小学校 |