冨士大和
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 埼玉西武ライオンズ #67 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | 埼玉県さいたま市 |
| 生年月日 | 2006年8月26日(19歳) |
| 身長 体重 |
186 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2024年 育成選手ドラフト1位 |
| 初出場 | 2026年3月28日 |
| 年俸 | 280万円(2026年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
冨士 大和(ふじ やまと、2006年8月26日 - )は、埼玉県さいたま市出身[2]のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。兄は千葉ロッテマリーンズの冨士隼斗[3]。
プロ入り前
小学校1年生のとき[4]に『大宮パワーズ』で野球を始め[2]、さいたま市立三橋中学校では軟式野球部に所属[5]。3年時は『埼玉西武ライオンズジュニアユース』に選出された[6]。
大宮東高校へ進学し、入学当初の最速は120km/hであったが、兄・隼斗(当時平成国際大学でプレー)が実家に帰ってきた際に、大和は自身の投球映像を見せて助言を求めると[2]、「胸のしなりを使えていない」と教わった。隼斗は大学で故障を経験し、身体の使い方や練習法について勉強しており[7]、大和は胸郭のトレーニングに励むと、球速が上昇[2]。2年春から背番号1を付け[8]、県大会ではチーム9年ぶりのベスト4入りに貢献した[9]。2年夏は埼玉大会5回戦敗退[10]、2年秋は県大会3回戦敗退[4]、3年夏は埼玉大会4回戦で敗退[8]で甲子園出場経験はなし[11]。高校時代の最速は144km/hであった[5]。
2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから・育成1位指名を受けた[11]。11月7日には支度金350万円・年俸280万円(金額はいずれも推定)で仮契約を締結[12]。12月1日に新入団選手発表会が行われ、背番号は123と発表された[13]。
西武時代
2025年は二軍で4試合に先発登板し、1勝1敗、防御率3.44の成績を残した[14]。オフはアジアウインターリーグに参加した。
2026年は一軍キャンプに抜擢されると完走し、オープン戦も最後まで一軍帯同。オープン戦には4試合の登板で7回2/3を投げ、1勝1敗、防御率5.87の成績ながら[15]、4試合中3試合は1失点以下に抑えるなど存在感を見せた[16]。3月23日、球団より支配下選手契約を締結したことが発表された。背番号は67に変更となる[15][16][17]。そのまま開幕一軍入りを果たすと、同月28日、千葉ロッテマリーンズ戦の4点ビハインドの6回から2番手でプロ初登板を果たす。しかし、ネフタリ・ソトに本塁打を許すなど5連打を浴び、1死も奪えず降板で5失点を喫した[18][19][20]。2試合目の登板となった4月1日のオリックス・バファローズ戦では、3番手で2回無失点と雪辱を果たすも[21][22]、翌2日に二軍再調整を理由に登録を抹消された。二軍では先発で調整する見込みである[23]。
選手としての特徴
足を上げた後に膝を胸につけ[11]、テイクバックに入ると、トップでは左肘が落ち、そのまま低い位置から左腕を振り抜く[24]変則的でリリースポイントが見えにくい独特な投球フォーム[11]。いわゆる「肘が落ちる」故障が懸念される腕の使い方であるが、その点について本人は「自分は胸郭を柔らかく使う腕の振りなんですけど、テイクバックで胸を張ると両肘の位置が下がるのは自然だと考えています」と話し[5]、アマチュア時代は肩肘の故障歴はなく、フォームを指導されたこともないという[7]。
打者の手元で伸びる[24]最速151km/h[25]のストレートと独特の軌道を描くチェンジアップが武器[5][26]。持ち球はその他にスライダー、フォークなどがある[27]が、実際の投球はストレートとチェンジアップの2球種が中心であり、2026年時点では監督の西口文也からは勝負できる球の少なさが指摘され、スライダーやフォークも精度を上げることが求められている[23]。
詳細情報
記録
- 初記録
- 初登板:2026年3月28日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(ZOZOマリンスタジアム)、6回裏に2番手で救援登板、0回0/3を5失点[18]
- 初奪三振:2026年4月1日、対オリックス・バファローズ2回戦(ベルーナドーム)、8回表に西川龍馬から空振り三振
背番号
- 123(2025年[13] - 2026年3月22日)
- 67(2026年3月23日 - )