宇治十帖
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別作者説
この部分については一条兼良の『花鳥余情』、一条冬良の『世諺問答』などが、紫式部の娘である大弐三位が作者であるとしているなど、古くから紫式部が作者ではないとする見解も多い。計量分析においても1957年(昭和32年)の安本美典による論文において、各巻ごとの本文の長さ、個々の文の長さのほか和歌、直喩、声喩、心理描写、色彩語、名詞、用言、助詞、助動詞の出現頻度、品詞の長さの12項目について調べた結果、個々の文の長さと助動詞の出現頻度以外の10項目について偶然では起こりえない違いが存在することから紫式部が作者である可能性が低いとされ[1]、また他の研究者による論文[2][3]も発表されている。
これに対して、「源氏物語とは異なる作者によることが明かであるが源氏物語の多大な影響の元に成立したと考えられている狭衣物語や手枕といった作品と源氏物語とを上記と同様の計量言語学的手法によって比較したときに算出される差異」は「源氏物語を宇治十帖とその他の部分に分けたものに見いだされる差異」より遙かに大きなものであり、このことから考えると宇治十帖別作者説は成り立たないとする見解も存在する[4]。