石鎚山脈
四国山地の一部
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地理・地形
四国を地形的にみると、地質境界線、かつ地形境界線、活断層系でもある「中央構造線」より南側の山地は、一般的には「四国山地」と呼ばれている[2][3]。「石鎚山脈」とは、この「四国山地」の一部分であり、「四国山地」の北部から北西部にかけ、北側山麓部を走る「中央構造線」と並走する形で、ほぼ東西走向に、約 80kmの長さで延びる、細長い山脈である[2] [4] 。[注釈 1] [注釈 2]
(※ 以下に述べる、「石鎚山脈」に属する主な山々の位置関係などは、「主な山」の項に掲載の概略図も参照のこと)
石鎚山脈のうち、「堂ヶ森」(どうがもり、標高 1689 m)から東、「二ノ森」(にのもり、1930 m)、主峰「石鎚山」(いしづちさん、1982m)、「岩黒山」(いわぐろやま、1746m)、「瓶ヶ森」(かめがもり、1896m)、「伊予富士」(いよふじ、1756m)、「寒風山」(かんぷうざん、1763m)、「笹ヶ峰」(ささがみね、1860 m)、及び「岩黒山」から南に派生した尾根上にある「筒上山」(つつじょうやま、1860m)、「手箱山」(てばこやま、1806m)を含むゾーンは、標高 1700~1900 m台の山々が連なり、いわば石鎚山脈の中核部である。このゾーンは、「石鎚山脈」の一部としての「石鎚山系」(いしづちさんけい)と呼ばれることが多いが [5] [6] 、このゾーンを(狭義に)「石鎚山脈」とする文献もある [7] [8] 。
「笹ヶ峰」のすぐ東側にそびえる「ちち山」(ちちやま、標高 1855 m)の東側にある「ちち山の別れ」と呼ばれる分岐点から東は、あいだに銅山川(どうざんがわ)が作る東西走向の谷を隔てて山並みが二つに分岐し、その2つの山並みとも、銅山川に並走して、東西走向に長く延びている [2] 。
このうち北側の東西走向の山並みは、一般的には「法皇山脈」(ほうおうさんみゃく)と呼ばれている[5] [7] [8][9] [注釈 3] 。「法皇山脈」には「西赤石山」(にしあかいしやま、1626m)、「東赤石山」(ひがしあかいしやま、1710m)、「権現山」(ごんげんやま、1594 m)、「エビラ山」(えびらやま、1677 m)、「二ツ岳」(ふたつだけ、1647 m)、「赤星山」(あかぼしやま、1453 m)、「豊受山」(とようけやま、1247 m)、「翠波峰」(すいはみね、900 m)などが、北側山麓部にある「中央構造線」に沿って立ち並んでおり、東へ向かって徐々に高度を低下させている。このうち「西赤石山」から「東赤石山」付近は、「法皇山脈」の一部としての「赤石山系」(あかいしさんけい)と呼ばれることも多い [5] [8] [9] 。また「二ツ岳」を含む一帯は、険しい岩場の多い山域で登山者も少ないが、「二ツ岳山系」や「二ツ岳山塊」と呼ばれることもある [9] 。
この「法皇山脈」は、その北側、新居浜市、四国中央市の市街地がある平野部に対し、急峻な傾斜で面している。この急斜面は、活断層系としての「中央構造線」(「中央構造線活断層系」)の活動によって形成されたもので、地形学の分野では「石鎚断層崖」(いちづちだんそうがい)と呼ばれている [10] 。その最大標高差は、約1700 mに及び、日本列島のなかでも、南アルプス(赤石山脈)の北部にあり、「糸魚川静岡構造線」に属する活断層系が作った「釜無断層崖」(かまなしだんそうがい)と並び、第一級の断層地形である[10]。
一方で、前述の「ちち山の別れ」と呼ばれる分岐点から、銅山川の南側に、「法皇山脈」に並走するように並ぶ山並みも、「石鎚山脈」の一部とすることが多い。この山並みには、特別な山脈名称が付いていないが、愛媛県と高知県との県境をなす山脈である[2]。この記事では、この山脈を説明の便宜上、「県境山脈」と称する [注釈 4]。この「県境山脈」には、「冠山」(かんむりやま、1732m)、「平家平」(へいけだいら、1693 m)、「三ツ森山」(みつもりやま、1430 m)、「大座礼山」(おおざれやま、1588 m)「佐々礼尾山」(さざれおやま、1404 m)など、1700~1400 m台の山々が立ち並んでおり、最東部は「三傍示山」(さんぽうじやま、1158 m)で、そこから2つに分岐し、北東側へ分岐した尾根上には「塩塚峰」(しおづかみね、1043 m)などがあり、南西側に分岐した尾根上には、「野鹿池山」(のかのいけやま、1294 m)などがあるが、その東側は吉野川中流部が作る険しい渓谷である、「大歩危 小歩危」(おおぼけ こぼけ)渓谷に面して終わっている[2]。
一方で、前述の「石鎚山系」とも呼ばれる「石鎚山脈」の中核部より西側に目を向けると、「堂ヶ森」よりも西側では急激に高度を下げ、1500 m以下の山々にはなるが、更に西へと山並みは続いており、「青滝山」(あおたきやま、1304 m)、「石墨山」(いしずみやま、1456 m)、「皿ヶ嶺」(さらがみね、1271m)などが立ち並んでいる[2]。これらの山々は、松山平野に面しており、「皿ヶ嶺連峰」(さらがみねれんぽう)[5][8]や、地元自治体(東温市)の命名により「東温アルプス」(とうおんアルプス)などと呼ばれている。なおこのゾーンでは、活断層系としての「中央構造線」は、いくつかの分岐断層に分かれ、一部は松山平野の地下を通っていることから、前述の「石鎚断層崖」のような急斜面は少ない[10]。また「皿ヶ嶺」までは地形的にみると明瞭な山脈状の地形であるが、「皿ヶ嶺」の西側にある「三坂峠」(みさかとうげ、標高 約720m)より西側では山脈状の地形ではなく、500~700m程度の山々が散在するような地形である[2]。「石鎚山脈」の西端をどこにするかの定義はなく曖昧であるが、地形的にみるとこの「三坂峠」付近が、その西端とみなすこともできる。
自然保護
石鎚山脈の主峰「石鎚山」(1982m)は、「日本百名山」の一つでもあり[11]、また関西地方以西を「西日本」とすると、「西日本最高峰」とされ[5][8][11]、西日本の山々のなかでも、名前が良く知られた山である。また「四国山地」のなかでも、自然が比較的良く残っている山脈でもある。指定、管理主体はバラバラであるが、「石鎚山脈」の一部は、以下のような自然保護地域に指定、管理されている。
石鎚国定公園
石鎚山を中心とする山域および石鎚山の南側の山麓部にある「面河渓」(おもごけい)は、1955年に「石鎚国定公園」に指定されており、保護管理されている[12] [13][14]。この「石鎚国定公園」の範囲にある山としては、主峰「石鎚山」の他、「二ノ森」、「瓶ヶ森」、「伊予富士」、「岩黒山」、「筒上山」、「手箱山」などが含まれている[15]。(※ 詳細はウイキペディア内の「石鎚国定公園」の項も参照のこと)
愛媛県 県立自然公園など
この記事でいう「石鎚山脈」のうち、西部に位置する「皿ヶ嶺」を中心としたゾーンは「皿ヶ嶺連峰県立自然公園」として、また東部に位置する「翠波峰」を含むゾーンは「金砂湖県立自然公園」として、愛媛県が、県立自然公園に指定しており、保護・管理がなされている[16]。
また石鎚山脈の一部である「法皇山脈」のうち、「西赤石山」、「東赤石山」を含む一帯は、愛媛県が、「赤石山系県自然環境保全地域」に指定し、保護・管理がなされている[17]。[注釈 5]
環境省 自然環境保全地域
「笹ヶ峰」を含む一体は、環境省が、「笹ヶ峰自然環境保全地域」(537ヘクタール(ha))に指定しており、保護・管理がなされている[18]。[注釈 5]
林野庁 自然保護林など
「石鎚山」とその周辺のうち、林野庁が管理している国有林の一部は、林野庁により、「石鎚風景林」として保護・管理がなされている[19]。また「瓶ヶ森」とその周辺は、「瓶ヶ森自然休養林」に指定され、保護・管理がなされている[20]。
地質
まず四国全体の大まかな地質構成を述べると、地質境界線としての「中央構造線」より南側は、結晶片岩類などの高圧型変成岩類からなる「三波川帯」(さんばがわたい)があり、その南に、「ジュラ紀」の「付加体」などからなる「広義の秩父帯」[注釈 6] があり、最南部に「白亜紀」から「古第三紀」にかけての付加体からなる「四万十帯」(しまんとたい)が、それぞれほぼ東西走向に分布している。なお「中央構造線」より北側は、地帯としては「領家帯」(りょうけたい)と呼ばれるが、「白亜紀」の「花崗岩類」や、「新第三紀」「中新世」の火山岩類、「領家変成岩」と呼ばれる高温型変成岩類(片麻岩など)、及び「白亜紀」後期の堆積岩層である「和泉層群」(いずみそうぐん)、などが分布している [21] 。
地質境界線としての「中央構造線」の南側に位置するこの「石鎚山脈」は、前記の地帯構造区分上は、全域が「三波川帯」に含まれており、高圧型変成岩である結晶片岩類が広く分布している。またそれ以外の地質体も部分的に分布している。以下、「石鎚山脈」に分布する地質体を、いくつかのグループに分けて説明する。
(※ なお詳細は、ウイキペディア内の「石鎚山」、「皿ヶ嶺」、「東赤石山」、「西赤石山」、「二ツ岳」、「瓶ヶ森」などの項も参照のこと)
(1)結晶片岩類
「石鎚山脈」が含まれる「三波川帯」は、高圧型変成岩である結晶片岩類が主体となっている。具体的な岩石の種類としては、「泥質片岩」(黒色片岩)、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)、「珪質片岩」(石英片岩)、「砂質片岩」などである [22] [23] [24] 。
これら結晶片岩類の原岩は「付加体」と推定されており、海洋プレート沈み込み帯でまず付加体として形成されたのち、沈み込み帯に沿って地下深部に沈み込んで高圧型変成作用を受けて結晶片岩類へと変化したのち、何らかのメカニズムで地表へと上昇してきたもの、と考えられている [25]。[注釈 7] [注釈 8]
なお「泥質片岩」(黒色片岩)の原岩は「泥岩」、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)の原岩は「玄武岩」などの苦鉄質な火成岩、「珪質片岩」(石英片岩)の原岩は「チャート」、「砂質片岩」の原岩は「砂岩」、と推定されている [26] [26] [27] 。
(2) 「高度変成岩類」、「カンラン岩体」(「法皇山脈」>「赤石山系」)
「石鎚山脈」の東部にあたる「法皇山脈」のうち、「赤石山系」とも呼ばれる、「東赤石山」や「西赤石山」を中心とする一帯には、「上部マントル」を構成している地質体である「カンラン岩」や、結晶片岩類よりも更に高温、高圧化で変成作用を受けた、「高度変成岩類」[注釈 9] が分布している [22] [23] 。
このうち「カンラン岩」は「東赤石山」の山頂部とその周辺に比較的小さな分布域を持つが、植生の少ない岩場となっており、含まれる鉄分のせいで赤茶けた岩場のなかに、固有種を含む草花が彩りを添える、独特の景観を示している。「上部マントル」を構成していると推定されている「カンラン岩」は、地殻を構成している花崗岩類、玄武岩類などよりも密度が大きく(平たく言うと「重たい」)、更に水分(H2O)があると水分と反応して、「蛇紋岩」という別種の岩石に変化しやすいために、新鮮な「カンラン岩体」が地表に現れている場所は少なく、地質学的には希少なものである。「日本列島」全体でみても、この「東赤石山」以外では唯一、北海道(日高山脈)にある「アポイ岳」が、新鮮なカンラン岩が分布している山として知られている[28]。「アポイ岳」は「世界ジオパーク」(アポイ岳ジオパーク)に選定されているが[28]、「東赤石山」は知名度が低いためか、「ジオパーク」とはなっていない。
またここでいう「高度変成岩類」は、「東赤石山」のほか、「西赤石山」、「二ツ岳」にも分布しており [22] 、場所によっては険しい岩場を形成している。
ここでいう「高度変成岩類」は、結晶片岩類と同じく、原岩は付加体と推定されており、結晶片岩類よりも更に深く沈み込んで、より高度な変成作用(「変成相」という変成岩の分類法では、「エクロジャイト相」相当)を受けたもので、その後何らかのメカニズムで地表へと上昇してきたものである。「高度変成岩類」のなかでも、「エクロジャイト」及び組成的に類似した「エクロジャイト様岩石」などと呼ばれる高度変成岩が、狭い範囲であるが分布しており、日本列島では唯一、この「赤石山系」に見られるのは特筆すべき点である [29] [30] 。「エクロジャイト」は、原岩は付加体のうち「玄武岩」などの苦鉄質な火成岩類と考えられているが、大まかな深さとして地下50km以上(圧力にして、約1.5 GPa(ギガパスカル)以上)でしか形成されない岩石であり、沈み込み帯から深さ50km以上まで沈み込んだ付加体由来の地質体が、何らかのメカニズムで地表へと上昇したことを示している [27] [30] 。また世界全体でみても、「エクロジャイト」岩体が地表に現れている場所は、ヨーロッパアルプス、ヒマラヤ山脈など、限られた場所にしか確認されていないことや、プレートテクトニクスでいう「変動帯」のテクトニクスを知る手掛かりとなることなどから、地質学、地球物理学の分野では注目されている岩石である[30]。
また東赤石山の「カンラン岩体」は、「上部マントル」由来であり、高圧型変成作用を受けたのち、これもまた何らかのメカニズムで地表へと上昇してきたものである [29] 。
ここでいう「高度変成岩類」や「カンラン岩体」の変成条件、変成相、原岩、上昇メカニズムなどは明確ではなく、古くからこの山域の「高度変成岩類」や「カンラン岩体」については、古くから数多くの研究がなされている [25] [29] 。
(3) 「石鎚層群」(「新第三紀」火成岩類)
主峰「石鎚山」や、それより西側に位置する「皿ヶ嶺」を含む、ここでいう「皿ヶ嶺連峰」の一帯には、「新第三紀」「中新世」(ちゅうしんせい)の火山岩類(主に安山岩質)が、稜線部を中心に広く分布している [22] 。
これらの火山岩類は、15~13Ma [注釈 10] の放射年代を示し、「中新世」中期に一時期に活動した火山群からの噴出物である。これらは堆積岩ではなく火成岩類であるが、まとめて「石鎚層群」とも呼ばれている。なお石鎚山の南側山麓部にある「面河渓」には、その火山活動の元となった、地下深くにあった「マグマ溜り」由来の花崗岩体が地表に顔を出している。険しい岩稜帯となっている「石鎚山」の山頂部や頂上近くにあるいくつかの鎖場も、これらの火山岩類(溶結した「大規模火砕流噴出物」)からなる。また現在の「石鎚山」とその周辺は、大規模火砕流を噴出したのち陥没した、カルデラの跡と推定されており、その、直径約 8 km に及ぶ地質学なカルデラの痕跡は、地質学の分野では「石鎚コールドロン」[注釈 11]と呼ばれている [31] 。また「皿ヶ嶺」の山容を特徴づける平坦な山頂部は、一種の溶岩台地と見なされている [32] 。
この、一時期に生じた火山活動の要因としては、元々はユーラシア大陸の東側に接していた、現在の「日本列島」に相当する部分が、「日本海」の形成と拡大によって、押し出されるように南や東へと移動し、そのうち現在の「石鎚山脈」に相当する地域を含む「西南日本ブロック」[注釈 12] は、南方向へ移動して、まだ形成されてあまり地質学的な時間が経過してなく、比較的温度の高かった「フィリピン海プレート」の上へと強制的に乗り上げる形となったために、プレート境界部でマグマが生成し、それによって一時期に火山活動が生じたもの、と推定されている [32] 。
(4)「久万層群」(「新第三紀」、礫岩層)
石鎚山脈の中核部に位置する「瓶ヶ森」の一部や、その南側に隣接する「子持権現山」(こもちごんげんやま、1677m)から「石鎚山」の周辺部にかけては、結晶片岩類の構造的上位に、不整合の関係で、主に結晶片岩の礫からなる礫岩層が分布している [22] 。これらは「久万層群」(くまそうぐん)と呼ばれている。この「久万層群」を構成する礫岩が形成された時代は、含まれる植物化石などから、「新第三紀」「中新世」(のうち「前期」~「中期」)と推定されている [注釈 13] 。また、この「久万層群」の堆積環境は、海中ではなく、陸上の扇状地あるいは河川性の堆積環境と推定されている。このことが示しているのは、元々は地下深部で変成作用を受けてできた結晶片岩類が、「新第三紀」「中新世」(約23~5Ma)[注釈 10] にはその一部が上昇して、すでに地表に現れており、かつ、浸食作用により礫を供給できるほどの高さを持つ山地となっていたということ、と考えられている。従ってこの「久万層群」は、石鎚山脈の形成、隆起に関する情報の一つとして重要な堆積岩層といえる [33] 。
気候
水系など
植生
観光開発
「石鎚山脈」の主峰「石鎚山」は、信仰登山が盛んだった山であり、古くから大勢の人々が登る山であった。戦後(第二次世界大戦後)には、「石鎚山」を中心に観光開発がなされ、登山者だけでなく、観光客、スキーヤーなども集まる様なゾーンとなってきた。「石鎚山」とその周辺における、主な観光開発を以下に列挙する。
なお、「石鎚山脈」のなかでも観光開発が活発なのは主に「石鎚山」付近であり、それ以外の山々では、本格的な観光開発の事例は少ない。
- 石鎚スカイライン (石鎚山の南側山麓の「面河渓」(おもごけい)から主稜線部の「土小屋」(つちごや、標高 約 1500 m)までの山岳舗装道路、当初は有料道路で、後に無料化。なお冬場は積雪、路面凍結などのため通行不可。
- 石鎚登山ロープウェイ (石鎚山の北側山麓部から、標高 約1300 mの、「成就社」近くまで登る、登山、信仰、観光、スキーなどの為のロープウェイ)[36]
- 石鎚スキー場 (石鎚山の北側中腹部、「成就社」の近くに作られたスキー場、アクセスは前記の「石鎚登山ロープウェイ」を使う)[37]
- UFOライン(ゆーふぉーらいん);旧)国道194号線の、旧)寒風山トンネル(標高 約1150m)から、石鎚山脈の主稜線沿いに「土小屋」まで延びる山岳道路。元は、林道「瓶ヶ森線」で、現在は高知県 いの町が管理する町道で正式名称は「いの町道 瓶ヶ森線」。全線舗装、無料。なお冬場は積雪、路面凍結などのため通行不可。
主な山
皿ヶ嶺 西 ┃ ┃ 石墨山 南━╋━北 ┃ ┃ 青滝山 東 ┃ 堂ヶ森 ┃ 五代ヶ森━鞍瀬ノ頭━三ヶ森 ┃ 二ノ森 ┃ 石鎚山 ┃ 鶴ノ子ノ頭 ┃ 筒上山━━岩黒山 ┃ ┃ 手箱山 伊吹山 ┃ 子持権現山 ┃ 瓶ヶ森 ┃ 西黒森 ┃ 自念子ノ頭 ┃ 東黒森 ┃ 伊予富士 ┃ 寒風山 ┃ 笹ヶ峰━黒森山 ┃ ちち山 ┣━━━━┓ 冠山 西赤石山 ┃ ┃ 平家平 東赤石山 ┃ ┃ 三ッ森山 二ッ岳 大座礼山━━┫ ┃ 東光森山 赤星山 ┃ ┃ 玉取山 豊受山 ┃ ┃ 佐々連尾山 翠波峰 奥工石山━━┫ カガマシ山 ┃ 橡尾山 ┃ 笹ヶ峰 ┃ 三傍示山━剣ノ山 ┃ ┃ 野鹿池山 塩塚峰 ┃ 黒滝山
ここでは、石鎚山に、西ノ冠岳・三角点山・弥山・天狗岳・南尖峰・矢筈岩の山塊を含む。