赤星山
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赤星山は、「法皇山脈」のうち、「二ッ岳」(標高;1647m)の東側、「豊受山」の西側に位置する。
「法皇山脈」には、「二ッ岳」のほか、「東赤石山」(標高;1706m)、「西赤石山」(標高;1626m)など、標高が1500mを越える個性的で険しい山が多いが、この赤星山は、標高は1400m台であるが、富士山型の均整の取れた端正な山体をしており、遠方からも良く目立つ山である。[1] [2]
山容から、古くから「伊予小富士」[注釈 2] という別称を持つ。 [1] [2] また北側の麓には、「小富士」という地名もあり [2] 、その地域には、四国中央市立「小富士小学校」がある。 [3]
古くは、西行法師が、赤星山をたたえて以下の和歌を詠んだ、という。[1]
『忘れては 富士かとぞ思う これやこの 伊予の高嶺の 雪のあけぼの』
「赤星山」という山名の由来は諸説あり、定かではない。
一説には、「伊予国司の越智玉澄が乗った船が、養老4年(720年)に瀬戸内海の赤星山沖で転覆しかかったため、豊受山(「赤星山」の東側の山)に祈ったところ、その西方の山(=赤星山)の頂に火の玉が現れて、海を照らし風が収まったことにちなんで命名された」、との伝承がある。[2] [3]
また、「8月、北側の麓から望むと、「さそり座」の一等星「アンタレス」という赤い星が、山頂の真上に輝くことに由来する」 という別の伝承もある。 [3]、[4]
なお、山名と関連があると思われるが、赤星山の頂上から登山道沿いに南へと10分ほど下ったところに、赤い星のマークが刻まれた石の祠がある。 [4]
後述のとおり、赤星山の北側には、「皇子渓谷」(おうじけいこく)と呼ばれる、滝の多い渓谷があり、変化のある良い登山道にもなっている。
植生
登山コース
赤星山への主な登山道は、北側の「野田登山口」から登る、「皇子渓谷ライン」コース [1] [2]と、南側の、銅山川の支流である中尾谷川の上部の、「中尾」地区から登るコース(通称;「中尾コース」とも言う)の2つがある。 [4]
このうち「皇子渓谷ライン」(別称;「赤星ライン」)コースは、後述のとおり中小の滝が次々に現れる見どころの多いコースであるが、標高差が1100mあまりもあり、登りで約4時間を要する。このコースは急登が続くコースであるが、山頂部は一転して、なだらかな草原状となっている。なお、この「皇子渓谷ライン」コースの途中、標高700m付近に分岐があり、そこから南東へと進むと、東に隣接する「豊受山」へと登ることができる。[1] [2]
また、南側のコース(「中尾コース」)は、中腹の登山口まで車でアクセスできるため、北側のコースよりはやや楽である。[4]
その他、「赤星山」山頂から東へと、「法皇山脈」の主稜線をたどって、東隣りにある「豊受山」へ行き来することもでき、それを使うと、「赤星山」、「豊受山」を巡る回遊コースとなる。[1]
皇子渓谷(おうじけいこく)
地質・地形
「赤星山」を含めた、広義の「石鎚山脈」の大部分は、日本の地帯(地体)構造区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、「三波川変成帯」に属する。[5]
「赤星山」付近では、結晶片岩類のうち、「泥質片岩」、「珪質片岩」、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)が、褶曲により複雑に分布している。また西側の中腹部と、北側の中腹部には、「蛇紋岩」の小さい岩体がある。[6]
なお「法皇山脈」の山麓部、平野部との境界は、地形的境界であるとともに、地質境界、活断層系でもある「中央構造線」が東西に伸びている。「赤星山」の北麓にも「中央構造線」が東西に伸びている。北麓の平野部から「赤星山」へ斜面が急角度になっているのは、この「中央構造線」の影響が大きく、「中央構造線活断層系」が活断層として活動する場合は、この「法皇山脈」に沿う地域では、水平方向では「右横ずれ」の活動センスを示すが、鉛直方向では南側上がり(北側下がり)の活動センスを持つ。[7]

