翠波峰
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「翠波峰」の属する「法皇山脈」(ほうおうさんみゃく)とは、「広義の石鎚山脈」[注釈 1]のうち、「ちち山」の東側から、あいだに銅山川の谷を挟んで2列に分かれる山脈のうち、瀬戸内海に面した、北側の山脈を言う。
この「法皇山脈」は、「二ッ岳」(1647m)辺りまでは1500mを越える標高を保つが、それより東は徐々に高度を下げ、「豊受山」(1247m)の東側あたりからは、標高1000mを切って低い山並みとなる。「翠波峰」は、その標高800~900m台のなだらかな山並みのうちの一峰である。[1]
北麓の、四国中央市の瀬戸内海に面した市街地からは、あまり目立つ山容をしていないが、頂上付近まで車道が通じているため、観光客、ハイカーも含め、訪れる人は多い。
頂上部は東峰と西峰の2つのピークに分かれており、東峰と西峰の間に、三等三角点(889.6m)が設置されている。
特に西峰は展望台状に整備されており、北側は、眼下に四国中央市の市街地と瀬戸内海が良く望め、また南側は、眼下に銅山川の渓谷と金砂湖、その向こうに、「法皇山脈」と対峙するかのように、愛媛県/高知県の県境をなす山脈が東西に立ち並んでいる眺めが得られる。西には、法皇山脈の一部である「赤星山」、「豊受山」などが望める。また北東方向には、香川県の観音寺市辺りまで望める。 [1]
また、南面の8合目付近は、「翠波高原」(すいはこうげん)と呼ばれ、かつての牧場跡を、四国中央市が公園状に整備しており、春は菜の花、秋はコスモスが植えられ、また展望台も設置されており、美しい景観をなしている。[3]
なお「翠波峰」(すいはみね)という名前は、東峰のすぐ近くにある、雨乞いの神様である、「水波神社」(すいはじんじゃ)(「水波権現」(すいはごんげん)とも呼ぶ)が、その名の由来とされている。[1]
四国中央市の瀬戸内海に面した側は大きな川が無いため、江戸時代の昔から現代に至るまで、水不足に悩まされてきた地域であり、この「水波神社」も、水の神様、雨乞い祈願の神様として崇められてきた神社である。[1] [2]
登山ルート
「翠波峰」は、前述のとおり頂上まで車道が通じているため、麓から登る登山者はさほど多くはないが、北麓の四国中央市から歩いて登る登山道もある。麓から、戦国時代の山城跡である「松尾城跡」、5月頃には植栽されたアヤメが咲く「アヤメ池」、前述の「水波神社」(水波権現)を経て東峰に至る道で、比較的急登が続く。[1] [2]
四国中央市付近では、瀬戸内海に面した「嶺北地域」(れいほくちいき)とも呼ぶ狭い平野部と、「法皇山脈」を越えた、銅山川沿いの「嶺南地域」(れいなんちいき)との行き来のため、古くから何本も山越えの道があったとされ、翠波峰を越えるこの登山ルートも、その一つである。[1] 。また前述の「水波神社」(水波権現)への参拝の道でもあった。[2]
現在では、翠波峰の直下に、「法皇トンネル」があり、瀬戸内側から銅山川沿いの「嶺南地域」とは、車道で結ばれている。
また、前記の、南側8合目付近の「翠波公園」からも、頂上へ登るルートが整備されている。[2]
地質
「翠波峰」を含めた、広義の「石鎚山脈」の大部分は、日本の地帯(地体)構造区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、「三波川変成帯」に属する。[4]
「翠波峰」付近では、結晶片岩類のうち、主に「泥質片岩」が分布しており、その他には南側、北側の中腹部に、「珪質片岩」、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)が帯状に分布している。また北側の中腹部には、「蛇紋岩」の小さい岩体がある。[5]
なお「法皇山脈」の山麓部、平野部との境界は、地形的境界線であるとともに、地質境界線、活断層系でもある「中央構造線」が東西に伸びている。「翠波峰」の北麓にも「中央構造線」がある。北麓の平野部から「法皇山脈」の山稜への斜面が急角度になっているのは、この「中央構造線」の影響が大きく、「中央構造線活断層系」が、活断層として活動する場合、この「法皇山脈」に沿う地域では、水平方向では「右横ずれ」の活動センスを示すが、鉛直方向では南側上がり(北側下がり)の活動センスを持つ。[6]
