東赤石山
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 東赤石山 | |
|---|---|
|
権現山付近から望む東赤石山 | |
| 標高 | 1,710 m |
| 所在地 |
|
| 位置 | 北緯33度52分30秒 東経133度22分30秒 / 北緯33.87500度 東経133.37500度座標: 北緯33度52分30秒 東経133度22分30秒 / 北緯33.87500度 東経133.37500度 |
| 山系 | 石鎚山脈東部 - 法皇山脈 |
東赤石山(ひがしあかいしやま)は、「四国山地」のうち、「広義の石鎚山脈」[注釈 1] の東部、「法皇山脈」(ほうおうさんみゃく)に属する、標高1,710mの山である。 [注釈 2] [1]
単に「東赤石」(ひがしあかいし)とも呼ぶ。
行政区画的には、この山の北側が愛媛県 四国中央市(旧;宇摩郡(うまぐん)土居町)、南側が新居浜市(旧;宇摩郡別子山村)に属し、その境界に位置する。[1]
西に隣接する「西赤石山」(標高:1625m)とともに、この一帯は「赤石山系」と呼ばれている。[1]、[2]
山名は、山頂部に赤茶けた色をした「カンラン岩」が分布していることによる。[1] [3]
また、この山は「日本二百名山」、「花の百名山」、及び「四国百名山」にも選定されている。[2] [4] [5]
なお山頂部には、三等三角点が設置されている。三角点の公式名称は「赤石」、標高値は、1706.2m となっている。[6]
「石鎚山脈」の東部は、「笹ヶ峰」の少し東側、「ちち山の分かれ」と呼ばれる場所で、銅山川を間に挟んで、北側の「法皇山脈」(ほうおうさんみゃく)と、南側の愛媛県/高知県の県境をなす山脈(俗称;「県境山脈」)の2列の山並みに分かれ、東西方向に長く伸びている。[1]
「法皇山脈」のうち、標高が1500mを越えるゾーンは、この「東赤石山」(1710m)、西に隣接する「西赤石山」(1625m)、および東に隣接する「二ッ岳」(1647m)、「エビラ岳」(1677m)などを含む「二ッ岳山系」(ふたつだけさんけい)であり、「法皇山脈」の中核部と言える。
これらの「法皇山脈」の中核部は、広義の「石鎚山脈」では広く分布している高圧型変成岩である「結晶片岩類」とは別の「高度変成岩類」[注釈 3]や、マントル由来の「カンラン岩」が分布しており、地質的にも「石鎚山脈」の他の山域とは異なる。特に「東赤石山」とその周辺は、「東赤石岩体」と呼ばれる「カンラン岩」が主稜線に分布しており、四国では珍しい荒々しい岩稜帯を形成している。[1] [3]
また、化学的組成が通常の岩石とは異なる「カンラン岩」は、通常の植物の生育には適さない為、「東赤石山」山稜部の「カンラン岩」分布域では高木はほとんどなく、代わりに「カンラン岩」地帯でも生育できる植物群落が生育しており、固有種「オトメシャジン」を含め、初夏から夏場には、花の咲き乱れる山となる(植生は後述)。
地形的には、北側の平野部から望んでも山頂部はそれほど目立たないが、活断層系、地形境界線としての「中央構造線」がその北側山麓部に東西に走っている為、北麓の新居浜平野から急な傾斜でそびえており、「赤石山系」全体が大きな壁のようになっている。ちなみに、「東赤石山」の山頂から新居浜平野の南端まで、直線距離で約4km、一方で標高差は1700mを越える急斜面である。
この地形は、地形学的には「石鎚断層崖」(いしずちだんそうがい)と呼ばれる地形であり、標高差 約1600~1700mの断層崖として、日本の中でも有数の高度差を持つ。[7]
山名の由来は、前述のとおり、頂上部に分布する赤茶色の「カンラン岩」が元となっているが、[1] 古くは「赤石山系」全体を、「赤太郎尾」(あかたろうお)と呼んでいたという。その意味は、赤い色をしたカンラン岩が作る荒々しい尾根、を表したものという。 [3]
前述の通り「東赤石山」は、「日本二百名山」や「花の百名山」に選ばれていることや、この山でしか見られない、カンラン岩からなる独特の風景があるため、登山者は多い。ただし、南側の登山口から、標高差 1100mほどあり、頂上稜線部は岩場となっていることもあり、楽な山ではない。[1]
なお、東赤石山の北側8合目付近には、かつてカンラン岩やクロムを採掘していた「赤石鉱山」という鉱山があったが、現在は廃坑となっている。[3] またその付近には、6月頃まで残雪が残る「氷室」(ひむろ)もあったが、[3] 北側からの登山道が荒廃しているので、現状は不明である。
植生
前述の通り「東赤石山」の植生の特徴は、頂上稜線部のカンラン岩分布域に咲く、様々な草花である。それらは6月~8月に咲くものが多い。
主なものとしては、固有種の「オトメシャジン」をはじめとして、「タカネマツムシソウ」、「シコクギボウシ」、「コウスユキソウ」、「ナンゴククガイソウ」、「シモツケソウ」など、北アルプスなどの高山帯、亜高山帯で見られるような花々が、わずか1500~1700mの標高しかない場所、かつカンラン岩が作る岩場の間に、健気に咲いている。[1] [8]
カンラン岩が分布していない中腹部も、自然林となっている場所では、比較的草花が多く、春から夏にかけ、「タカネバラ」、「イシヅチザクラ」、「シャクナゲ」、「イワタバコ」など様々な花を見ることができる。[8]
その他、「東赤石山」の稜線部や北側山腹部は、「五葉松」と呼ばれるサイズの小さい松が比較的多い。 [8] この「五葉松」は、かつては「盆栽用」として乱獲ぎみに採取されていた。
登山ルート
(※注;この項では、一般的な情報として登山ルートを記載してますが、登山ガイドではないので、実際の登山にあたっては、最新の登山ガイドブックや、インターネット上の最新情報を利用してください)
1990年頃までは、南側の(旧)別子山村側(四国中央市では「嶺南地域」)ともよぶ)は、都市部となっている瀬戸内側からのアクセスが難しかった為、主に北側の、(旧)土居町側からの登山ルートが良く使われていたが、[3] 1990年頃の、新居浜市内から(旧)別子山村へと通じる「大永山トンネル」の開通で、南側からの登山口までのアクセスが良くなったことと、2000年代に数度の豪雨災害、台風災害があって、北側からの登山口までの林道が荒廃したため、2000年代以降は、南側(「嶺南地域」)から登るのが一般的になっている。[1]
南側(「嶺南地域」)からの登山口としては、「瀬場(せば)登山口」、「筏津(いかたず)登山口」が主に使われている。両者とも途中で合流し、その後、沢沿いのルート、尾根沿いのルートに再び分岐し、8合目付近の赤石山系の縦走路に出て、その後、頂上稜線部への道を登り、「東赤石山」の山頂に至る。[1]
なお山頂部はあまり突出した岩峰ではなく、平凡な感じだが、100mほど隔てて東西2つの「頂上」の標識がある。このうち、東側のピークは、「三角点」のあるピークで、標高;1706.2m となっており展望に優れる。西側のピークは、地理院地図では、1710mと記載されており、東の三角点のあるピークより、わずかに高い。[9]
それ以外の登山ルートとしては、東赤石山の山頂部から西へとカンラン岩の岩稜を進み、「八巻山」(はちまきやま;標高;1698m)[注釈 4]と呼ばれるカンラン岩の岩稜部をたどり、「前赤石山」付近で縦走路に合流する、岩稜歩きコースであり、草花の鑑賞、岩稜歩きを楽しむには良いコースである。[1]
また、「八巻山」の岩稜帯の西端で、上記の岩稜コースと縦走路とが合流するが、そこから西へと縦走路は続き、「西赤石山」、「銅山越」へと縦走ができる。[1]
一方、8合目付近の東西に伸びる縦走路は東へも続いており、「権現越」(ごんげんごえ;標高;1461m)という峠に至る。「権現越」にはやや荒れているが、南側の「床鍋(とこなべ)登山口」からの登山道が伸びている。また「権現越」の東にある「権現山」(標高;1594m)付近には、南側は「床鍋登山口」から、北側は関川の上流部にあたる、「五良津・河又」(いらず・こうまた)地域からの、電力会社の巡視道が伸びてきている。[1]
なお、「東赤石山」の南側、8合目付近には「赤石山荘」という山小屋があって、かつては良い拠点となっていたが、2010年代に廃業し、使用不可となっている。[1]
また、北側の(旧)土居町からのルートは、前述の通り、登山口までの林道、登山道ともに荒廃しているので、説明は略す。
地質
「東赤石山」を含めた石鎚山脈の大部分は、日本の地帯(地体)構造区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、「三波川変成帯」に属する。[10]
「東赤石山」とその周辺では、「三波川変成帯」の主要構成要素である、「結晶片岩」類に加え、より変成度の高い「高度変成岩類」[注釈 3] 、およびマントル由来の岩石である、「カンラン岩」やその仲間である「蛇紋岩」の、3グループの岩石が分布しており、かなり複雑である。[11]
東に隣接する「二ッ岳山系」と共に、「赤石山系」全体は、古くから日本の地質学、特に、変成作用の研究や、「沈み込み帯」との関係の研究において注目されてきた場所で、数多くの研究があるが、いまだ不明確な点も多い。
以下では、「東赤石山」とその周辺の地質について、「結晶片岩類」、「高度変成岩類」、「カンラン岩」の3グループに分け、地質学の専門文献や地質図を元に説明する。[10][11][12]
(1)結晶片岩類
「三波川帯」の主体をなす結晶片岩類であるが、「東赤石山」のうち、南側山腹では山麓部から8合目付近(標高;約1500m)まで、北側の山腹では、山麓部から5合目付近(標高;約800m付近)まで、結晶片岩類が分布している。具体的な種類としては、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)と「泥質片岩」が多く、「珪質片岩」、「砂質片岩」もある。また「石鎚山脈」では珍しいが、北側中腹部には、石灰岩を原岩とする「石灰質片岩」が分布している。これらは褶曲などにより、複雑な分布形態をしている。[12]
この「三波川帯」の主体をなす結晶片岩類の原岩は、「付加体」であると推定されている。[10]
「付加体」の形成時代は、南側に隣接する「秩父帯」と同じ「ジュラ紀」であるとする学説と、更に南側に分布する「四万十北帯」と同じ「白亜紀」であるとする学説があり、明確にはなっていない。また変成ピーク時期については、放射年代の分析結果に幅があるため、「白亜紀」の「アルビアン期」から、「古第三紀」の「暁新世」の間と推定されている。[10][12]
ところで、変成岩の変成度の違いを分類する方法の一つとして、「変成分帯」という分類法がある。[13][14]
「変成分帯」による分類でみると、「東赤石山」とその山麓部まで含めた地域では、石鎚山脈では大部分を占める「緑泥石帯」(りょくでいせきたい)という低変成度のものはほとんどなく、「アルバイト・黒雲母帯」、「オリゴクレース・黒雲母帯」や、「ザクロ石帯」といった、中~高変成度のものが広く分布している。[11][12][注釈 5]
「三波川帯」結晶片岩類は、「沈み込み帯」で形成された「付加体」が原岩であり、地下深部へと沈み込んで高圧型変成作用により変成岩となったものと推定されているが、変成度が高いものは、変成ピーク時の深さが、より深いことを示している。「石鎚山脈」における結晶片岩類の多くが、「緑泥石帯」という低変成度のもの、つまり沈み込みの深度はさほど深くないものが多いが、この「東赤石山」付近の結晶片岩類は、他の地域より、より深い場所まで沈み込んで、その後、地表に上昇してきたことになる。[11]
東赤石山とその周辺での、「変成分帯」法における、「ザクロ石帯」や「黒雲母帯」に属するゾーンの結晶片岩類は、「点紋」(てんもん)と呼ばれる、長石類からなる白いつぶつぶ状の鉱物結晶が多数、表面に表れていることが多く、「点紋帯」/「無点紋帯」という、ざっくりとした変成度の区分も用いられる。[11]
なお、「変成分帯」法は変成度が高いか低いかの定性的な分類法であり、具体的な圧力、深さを示すものではないことに留意が必要である。
変成岩の変成条件を間接的に確認できる、もう一つの分類法として「変成相図」による分類法がある。[13][14]
「東赤石山」の結晶片岩類のうち、中腹部以上のゾーンのものは、地質図[12]や文献[11]では、「「エクロジャイト相」の変成作用を経験した岩石」と表記されている。特に、南側の山麓部から中腹部にかけての結晶片岩類は、「瀬場岩体」(せばがんたい)、あるいは「瀬場苦鉄質片岩」と呼ばれ、目視上は結晶片岩類であるが、「エクロジャイト相」という高度な変成作用を受けた岩体として、注目されている。[11][注釈 6]
「変成相図」による分類法と、「変成分帯」による分類法は、それぞれ、別々の研究者が考案した、変成岩の変成度分類法であり、直接的な対応関係はないが[注釈 7]、「変成相図」法における「エクロジャイト相」とは、少なくとも1.2GPa[注釈 8]以上の圧力範囲であり[13]、いくつかの仮定を置いての簡易的な計算では、深さに換算すると、40km以上の深さまで沈み込んで、高圧型変成作用を受けたことを示している。
また、これらの変成岩は、現在は地表に現れているので、何らかのメカニズムで地表へと上昇してきたことになるが、その際には圧力、温度が低下する為、「後退変成作用」と呼ばれる作用を受けている。その為、見た目は、岩石としての「エクロジャイト」(eclogite)ではなく、結晶片岩類となっている。
いずれにしろ、「東赤石山」とその周辺の結晶片岩類は、「石鎚山脈」の他の地域の結晶片岩類と比べると、かなり深い場所まで沈み込んで、その後地表まで戻って来たことを示している。[11]
(2)「高度変成岩類」
ここで言う、「東赤石山」周辺に分布している「高度変成岩類」とは、文献、地質図によって、「変成ハンレイ岩」、「苦鉄質片麻岩」、「片麻岩類」、「角閃岩」[11][12][3][1] などと、色々な名称で呼ばれている岩体のことを、説明の為に、「高度変成岩類」と呼ぶものである。なお、前述の「「エクロジャイト相」の履歴を持つ結晶片岩類」は含めない。
地質図で見るその分布範囲は、「東赤石山」の北側中腹部から、「二ッ岳山系」の主稜線部を含む大部分にかけ、比較的広く分布している。この岩体は、まとめて呼ぶ場合は「五良津岩体」(いらずがんたい)と呼ぶが、岩相や推定される原岩などを元に、2つに分けることもあり、その場合、この「東赤石山」の北側中腹部の岩体は、西側部分にあたる、「五良津西部岩体」(いらずせいぶがんたい)と呼ばれるものである。その範囲は、東西の長さが、約5km、南北方向の幅が最大で約2.5kmの範囲で、楕円形状に分布している。[11][12]
ちなみに、もう一つの「五良津東部岩体」(いらずとうぶがんたい)は、東に隣接する、「二ッ岳山系」に広く分布している。[11][12]
それ以外には、「西赤石山」の南側中腹部に「東平岩体」(とうなるがんたい)と呼ばれる「高度変成岩類」が分布しており、その分布東端は、「東赤石山」の南西の中腹部にまで達している。「東平岩体」はハンレイ岩を原岩とした、「変成ハンレイ岩」と推定されている。[11]
また、「東赤石山」と「西赤石山」との中間に、「物住の頭」(ものずみのかしら;標高;1635m)というピークがあり、そこから北側と延びる支尾根上に、「上兜山」(かみかぶとやま;標高;1561m)という岩峰があり、北側の平野部からも良く目立つ。この「上兜山」の部分も、ここでいう「高度変成岩類」が分布しており、後述の「五良津西部岩体」と同じ、「苦鉄質片麻岩」が大部分を占め、「カンラン岩」も併存している。この「上兜山」が岩峰状となっているのは、周辺部の結晶片岩類と比べて浸食への抵抗性が違うためだと推測される。[3]
「東赤石山」の北側中腹から「二ッ岳山系」へと分布している「五良津西部岩体」は、「西赤石山」の南側~西側中腹に分布していて、「ハンレイ岩」を原岩として高度変成作用を受けたと考えられている「東平岩体」(とうなるがんたい)とは、岩相が少し違う。
具体的には、優白質部分と、優黒質部分とが縞々状に繰り返す、いわゆる「片麻状組織」をしており、また岩石化学的には苦鉄質 [注釈 9]であるため、「苦鉄質片麻岩」とされるものが多くを占める。鉱物組成としては、「ザクロ石」、「緑れん石」、「(普通)角閃石」(ホルンブレンド)、「バロア閃石」が主で、「エクロジャイト相」の指標鉱物である「オンファス輝石」を含む場合がある。鉱物組み合わせが複雑であるが、「ザクロ石含有苦鉄質片麻岩」と呼ばれている。[11]
この岩体の原岩は、「ハンレイ岩」ではなく、「玄武岩」と推定されている。また「変成相」としては、大部分が、「エクロジャイト相」に達しており、少なくとも地下 50km以上の深度まで沈み込んで変成作用を受けたと推定されている。
また、「五良津西部岩体」の一部となっている「石灰質片岩」は、海洋プレート上にあった火山島由来と思われる「石灰岩」の塊が原岩と推定されている。
それらの研究結果より、「五良津西部岩体」は、海洋プレートの断片が、沈み込み帯から地下深部まで沈み込んで「エクロジャイト相」に至る様な高度な変成作用を受けた後、何らかのメカニズムで地上へと上昇してきたものと推定されている。[11]
なお、この「五良津西部岩体」に属する、あるいは隣接する岩石として、特筆すべきものとして、「東赤石山」の東部、「権現越」と呼ばれる峠付近に分布している、「エクロジャイト状岩石」がある。主に濃い緑色の「オンファス輝石」と、赤茶けた「ザクロ石」からなる岩石で、「狭義のエクロジャイト」の定義では、「エクロジャイト」とは言えないが [注釈 10] 、鉱物組み合わせとしては、「狭義のエクロジャイト」と同じであり、「広義のエクロジャイト」と言える。日本国内で、広義とはいえ「エクロジャイト」が存在しているのはこの地域だけであり、それだけでも貴重である。[15] なお、「日本地質学会」により、「愛媛県の岩石」として「エクロジャイト」が選定されている。[15]
この岩体の「変成相」は、詳細な分析により「藍晶石」(らんしょうせき)という高圧変成鉱物が認められていることから、「エクロジャイト相」のうち下位区分の「藍晶石エクロジャイト亜相」に達している、と判断されている。[11]この変成相における圧力範囲は、「亜相」レベルまで書かれた「変成相図」で確認すると、約2.1~2.6GPaになり[13]、いくつかの仮定を置いての概略の深さとしては、約65~80kmの深さまで沈み込んで高圧型変成作用を受けたことが示唆される。
なおこの、広義の「エクロジャイト」からなる岩体は「権現岩体」と呼ばれているが[11]、その中でも最大の岩体は、「権現越」のすぐ脇に岩峰状に立っている。この岩峰は古くから、「権現岩」、「権現さま」、あるいは「法皇権現」と呼ばれ、信仰の対象となっていたものである。「権現越」という峠の地名、その東の「権現山」という山名は、いずれもこの「権現岩」という岩峰が名前の由来である。[3]
(3)「カンラン岩」
「概要」の項で述べたように、「東赤石山」という山名のうち「赤石」とは、赤茶けた色をした「カンラン岩」がその由来である。
「西赤石山」では、カンラン岩の分布域は山頂近くの「兜岩」付近のみであったが、この「東赤石山」とその周辺では、「東赤石山」の山頂部を含み、西側は「東赤石山」の西側に続く、「八巻山」(はちまきやま)と呼ばれる岩稜帯が全てカンラン岩からなっており、その少し西の「前赤石(山)」と呼ばれる小岩峰まで、このカンラン岩が分布している。 一方、東側は狭義の「赤石山系」の東端である「権現越」という峠を越え、「二ッ岳山系」の南側山腹を横に細く伸び、「黒滝」と呼ばれるあたりまで広がっている。また「東赤石山」の北側山腹では標高 約1000m付近まで広がっている。[11][12]
この、東西方向に約5km、南北方向の最大幅、約2kmと、かなり広い範囲に分布しているカンラン岩体は、「東赤石岩体」と呼ばれている。但し、分布域の広さのわりに、その厚さはさほどではなく、構造的下位の「結晶片岩類」の上に、最大厚み400m程度で乗っており、褶曲により折りたたまれているような状態、と推定されている。[11]
なお、地質図を詳細に見ると、「二ッ岳山系」の南側山腹部や山麓部にも、孤立した小さいカンラン岩の分布域が点在している。[12]
¥「東赤石山」を含め、「赤石山系」のカンラン岩体は、表面が赤茶けた色合いをしていて、「赤石」の名前の通りであるが、これはカンラン岩中に含まれる鉄分(Fe)が酸化して表面に酸化鉄(Fe2O3)ができている為と考えられる。内部の新鮮面は、カンラン岩を構成している鉱物、「カンラン石」、「直方輝石」(「単斜輝石」)、「斜方輝石」の3つの鉱物が、いずれも緑色系の色合いであるため、緑色~深緑色をしている。[16]
「カンラン岩」とは、地質学的には「地殻」の下、「上部マントル」を構成している岩石と考えられており、密度も約3.2~3.4g/cm^3 と、大陸性地殻を代表する岩石である「花崗岩」の密度、約2.9~3.0g/cm^3 よりも大きい(=重たい)ので、自然に地表に現れることは少ない。[注釈 11]
また「上部マントル」内では安定だが、水分(H2O)と反応して、「蛇紋岩」に変化しやすいという化学的特性がある。[16]
そのため、日本国内でも、「蛇紋岩」が分布している場所は、例えば「早池峰山」(北上山地)、「至仏山」(尾瀬)、夕張岳(北海道)などあちこちに点在しているが [17]、蛇紋岩化していない、新鮮な「カンラン岩」の岩体が見られるのは、この「赤石山系」と、北海道 日高山脈の「アポイ岳」くらいであり [17]、日本の地質学的には非常に重要な岩体である。なお「アポイ岳」は、その貴重さが評価され、ユネスコの「世界ジオパーク」(アポイ岳ジオパーク)に認定されている。[18]
この「東赤石岩体」と呼ばれる、カンラン岩体は、「上部マントル」由来と考えられているが、形成されたのち、複数回の高圧型変成作用を受けている。最も強い変成作用を受けた際の条件は、最大圧力で、2.9~3.8GPa(29~38kbar)、最大温度は、710~810℃と推定されており、「高圧型変成作用」よりも上のランクの、「超高圧変成作用」と呼ばれる条件に達していたことが推定されている。 これを、いくつかの仮定を置いての、ざっくりとした深さに換算すると、地下約100を超える深さ(約90~120km)に達していたと推定される。[11]
この「東赤石岩体」の「カンラン岩」は、「上部マントル」由来という点については、コンセンサスは得られているが、どのようにして、「沈み込み帯」由来(=「付加体」起源)の結晶片岩類などの、高圧型変成岩の内に紛れ込んだのか、というメカニズムは不明である。
仮説としては、地下で「固体貫入」というメカニズムで混入したという古くからの仮説や、沈み込み帯の上盤側(=陸側プレート)の地下深部にあたる「ウエッジマントル」(「マントルウエッジ」とも呼ぶ)部分を起源とし、変成作用を受けた「付加体」が、何らかのメカニズムで上昇する際に、断片化した「ウエッジマントル」の一部が、変成した「付加体」と共に上昇した、などの仮説がある。[11]
また、この「東赤石岩体」や西赤石山のものも含め、マントル由来の「カンラン岩」が、なぜ地表に上昇してきたのか、というメカニズムは、「三波川帯」のような「高圧型変成帯」を構成している「結晶片岩類」などの変成岩が地表に上昇するメカニズム自体が解っていないため、いまだ、『地質学上の大問題』 [11] 、と位置付けられている。
特に「東赤石岩体」は、地下100km以上という相当な深さまで一時は沈み込んでいたことが、岩石学的研究から明らかとなっているが、それが、そこまでの深さ(変成条件)に至っていない、付加体由来の結晶片岩類と一体となって上昇してきたプロセス、メカニズムは、不明である。[11]
