平家平 (高知県・愛媛県)
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| 平家平 | |
|---|---|
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平家平を南から望む | |
| 標高 | 1,692.6 m |
| 所在地 | 愛媛県新居浜市・高知県吾川郡いの町・土佐郡大川村 |
| 位置 | 北緯33度48分52秒 東経133度19分35秒 / 北緯33.81444度 東経133.32639度 |
| 山系 | 四国山地;石鎚山脈 |
平家平(へいけだいら)は、「四国山地」の北西部に東西に伸びる、広義の「石鎚山脈」のうち、「ちち山の分かれ」[注釈 1]という場所から銅山川を間に挟んで2本に分岐して、更に東側へと並走して延びる2つの山脈のうち、南側の山脈、つまり愛媛県と高知県の県境をなす山脈(俗称;「県境山脈」)上にある、標高; 1692.6mの山である。
行政上は、愛媛県新居浜市と、高知県吾川郡いの町、及び高知県土佐郡大川村にまたがる。
「四国百名山」および「四国百山」の両方に選ばれている。[1] [2]
また、「笹ヶ峰」から「平家平」を含む一帯は、環境省により、「笹ヶ峰 自然環境保全地域」に指定され自然保護されている。[3]
「平家平」は、「ちち山」(標高;1855m)の山頂のすぐ東側にある、前記の「ちち山の別れ」と呼ばれる、広義の「石鎚山脈」の東部が、銅山川を間に挟んで、北側の「法皇山脈」と南側の「県境山脈」(俗称)という、並走する2本の山脈に分岐する地点から、「県境山脈」(俗称)の稜線伝いで約4kmの位置にある山である。
山名の由来は、平家の落人伝説にからみ、「壇ノ浦の戦いに敗れた平家方の残党が、落ち延びる途中に、平家平の麓に滞在した」[1] という伝承や、「平家方の残党がこの山の麓に住み着いた」、などという伝承がある。[2]
「ちち山」からは縦走路があり、その間に「冠山」(かんむりやま;1732m)がある。「冠山」と「平家平」とは約1.5kmの距離であり、両方を合わせて登られることも多い。 [1] [4]
「平」(たいら)という名前が示す通り、山頂部は広い笹原となっており、展望は非常に良く、「石鎚山脈」の山々や、四国山地の高知県内の山々が望める。特に「ちち山の別れ」から分岐した北側の「法皇山脈」の西赤石山、東赤石山などは、銅山川の深い谷を隔てて指呼の間である。また広い笹原であるため、冬季には一面の雪原となり、近くの山からもよく目立つ。[1] [4]
この「平家平」から西に隣接する「冠山」の稜線の北面は、住友林業の所有林であるが、銅山川の源流域で、ブナ、トチ、サワグルミなどの落葉樹や、ウラジロモミ、ツガなどの常緑針葉樹がある自然林となっており、山深い場所である。初夏の新緑や秋季の紅葉も楽しめる。[1] [2] [4]
登山ルート
「平家平」への登山道は複数あり、隣接する「冠山」と合わせて登られることも多い。[1] [4]
最も一般的な登山ルートは、石鎚山脈北側の愛媛県側から、「法皇山脈」(赤石山系)を「大永山トンネル」で抜けて、銅山川沿いの、旧)別子山村(現;新居浜市 別子山地区)へ向かう、愛媛県道47号線を進み、その途中にある、「住友林業フォレスターハウス」という施設付近が [注釈 2]、「中七番登山口」(なかひちばん)と呼ばれる登山口となっている。そこから、送電線巡視道を兼ねた登山道を南側の稜線へ向かって登り、稜線にでてからは西へと進み平家平の山頂へ至るルートが一般的である。[4]
高知県側からは、林道「寒風山大座礼線」(かんぷうざんおおざれせん)を使って、平家平の南側 標高 約1000m付近の「高藪登山口」(たかやぶとざんぐち)まで車でアクセスし、そこから平家平への尾根を直登するルートや、同じ林道を使って「小麦畝登山口」(こむぎうねとざんぐち)まで車でアクセスし、そこから北へと電力線の巡視道を使って登り、「平家平」の東側に上がるルートも、よく使われている。[5]
なお、かつては、前記の「中七番登山口」から、銅山川の源流部にあたる平家谷と呼ばれる谷筋沿いに登り、かつては春にカタクリの花が咲く名所として知られていた「なすび平」[注釈 3] という場所を経由して、「冠山」と「ちち山」との間の「一の谷越」と呼ばれる稜線上のコルへと上がり、その後、稜線伝いに「冠山」、「平家平」へ回り、「中七番登山口」へ戻る、という周回ルートも使われていたが [2]、2000年頃以降は、登山道崩落のため通行止めになっており廃道化している。 [4]

